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田舎の山

◇プロフィール欄の写真を変えました。これは実家から見える山で、かなり遠くて、そう高くもないのですが、何せ田舎で田んぼしかないので、全貌がよく見えます。(みけねこシナモンの写真は5月19日の書き込みに移動しています。)
携帯で撮ったので、拡大するとあまりきれいじゃありません。今度帰った時に、まともなカメラで写しなおして来ます。

私はこのブログの背景画像に、「キリマンジャロの夜明け」というのをつい選択して、なかなか他のに変える気になれずにいるのも、ひょっとしたら、この田舎の山に似ていたからかもしれませんね。小さい時から毎日これを見て育っているので、自分の一部のように見慣れてしまっています。あ、自分の顔は鏡でしか見ないから、きっとそれよりよく知ってるわな(笑)。

でも、この山、立派そうに見えて、実は平べったいつうか、薄いっつうか、この方向から見るのが一番大きく見えるんですよ。近くの町に行くとき、もう廃線になった電車の窓から見ると、横から見るかたちになって、まるでちがう山のように、こんもり小さくて子供心にショックでした。今度、そっち側からの写真も撮って来ます(って、ほんとに何をしてるんだろうな自分)。

老人ホームの母に、携帯の画面を見せて「変わってないやろ」と言うと、「あ、ほんと」と言ってました。

◇なじみの花屋さんに行って、「花買いたいけど、今模様替え最中で、飾るとこが確保できない」とぼやくと、「匂いのいいバジルとかどうですか」と言われて、小さな鉢を二つ買いました。400円ぐらいで安かったし。「この匂い好きなんですよー」とすすめてくれた、バジルじゃないもう一方のハーブの名は聞き忘れました。さわやかで、雨の日のうっとうしさを忘れるような香りです。

◇安倍首相が集団的自衛権を強硬に認めさせようとしているので、「しんぶん赤旗」はもちろん、大新聞もさすがにいろいろと「危ない」「問題だ」という解説や記事を載せはじめていて、どーでもいいけど、切り抜いたり読んだり紹介したりしなくちゃと思って、新聞が毎日捨てられずたまって行くばかりで部屋が散らかるばかりで、腹が立つっちゃありません。いやまあ、そんな問題じゃないのだけど。

毎日新聞の「風知草」の山田記者が「まあ集団的自衛権を持ち出す首相の気持ちもわからないではない」みたいな書き出しをしていて、おー、わかるんかい、私は前々から安部さんのいろんなことしたがる気持ちが、まったくわからんで困ってるんだが聞かせてもらおうじゃないかいと思って読んだら、さすが原発絶対反対の人らしく、筋が通った話でした。つまり日本が今のような生活を続けて行こうとするのなら、それは集団的自衛権で強い国をめざすしかない、しかし、これまでとちがって、もっと地味なささやかな暮らしぶりを国全体で追求し、もちろん原発なんかは使わないでやって行こうとするならば、集団的自衛権など考えなくてもやっていけるはず、というような内容で(めちゃくちゃ乱暴なまとめ方ですが、まあだいたいそういう感じの話)、そうかつまり首相やその周辺は、日本を強い豊かないけいけどんどんの国にする以外の未来を考えてないんだろうなと、思い当りました。

靖国とか愛国とか美しい国とか言うわりに、首相や政府の言うことすることって、もう死ぬほどどういうか、精神性がないもんなー。モヤシ食ってる生活にも楽しさはあるぜよとか、どっかのバカな自動車メーカーの人が書いて世間のひんしゅくかってたけど、そういうことを人に言うわりに、まあ人に言うってこと自体が、大企業や富裕層にも悲しいぐらい、物欲以外の悦びを知ってる風がないもんなー。
きっと自分たち自身が、豊かで便利で人に勝つ以外の幸福や満足を想像もできないんだろう。だから、それが維持できない国になることが、ものすごく恐ろしいし、国民も恐ろしいだろうと思ってるんだろう。
それを維持するためには、原発事故で大変な被害が出ても、大勢の若者が戦争で死んでもしかたがないと思ってるんだろう。何かわかる気がするけど、やめてよねもう。

まあしかし私ら大学につとめて知識や教養を売ることで生きて来た者の責任でもあるかもね。知性とか精神性とかいうものの、貴重さ、楽しさ、大切さ、というものを、国民はおろか指導者層にまで教えることができないまま、こんな事態にたちいたったというのは、やっぱり私のせいでも少しはあるんだと思う。

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カツジ猫