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白いカーネーション

あ、そうか…。
 昨日の話にちょっと補足。
 アホで凶暴(最悪じゃんね)なプーチンの核兵器攻撃のちらつかしに、岸田首相は狂ったように怒れよという話だが、思えば日本に原爆落としたのはアメリカであるわけだからして、下手すりゃそれだと、アメリカを攻撃してプーチンを喜ばせることにもなるかもね。(まさか、それで岸田首相は遠慮したのか。あり得るね。しょうもないことで、ひるんでびびって、ますますしいたげられるのは、バカな子分の特徴だからな。)

でも、だからこそ、なおいいんじゃないか。プーチンも喜ぶし、アメリカも最近の民主主義の守り手っぽいポーズとりすぎの、いい子ぶるのを、少しはひかえるかもしれないし。

要するに、ロシアとアメリカ仲介して世界で株を上げたいと願ってる国は中国だかインドだか、どこでも多いだろうけど、その中で、その役割を最高に果たせる、こんな切り札持ってるのは日本だけなんですよ。被爆国でアメリカにひどい目にあったって、この位置は使いようでは申し分なく効果的です。

そこをうまく使ったら、とにかく戦争はいけない核兵器はいけないという主張で、ロシアとアメリカ双方を牽制できるし説得できる。難しいけど、やらなきゃならない、やりがいのある仕事でしょ。

それでなくても、最近ウクライナ問題は、もうまったく戦争状態を世界が容認公認して、軍備その他で応援合戦してるような雰囲気に、こちとらうんざりしてるんだよ。ウクライナにもゼレンスキーにも、もちろん絶対支援したいし、するけどさ、それとは別に、もう全世界が戦争そのものに反感も怒りも表明しにくい状況は、異常だし不快だよ。そこへの怒りと危機感は、冷蔵庫の食べ物を点検する勢いで、いつもぴちぴち新鮮にしておかないとまずいんだよ、私たちがひとり残らず。

母の日が近づいたので、今朝、横庭においてたカーネーションの鉢二つを、道路から見える窓の下の晴れ舞台に移動させた。

この鉢のカーネーション、いつ買ったかも覚えてない。「庭にカーネーションがあるなんて素敵じゃん」とずっと以前に思っていたから、その勢いで買ったのだろう。同じ環境で育ててるのに、なぜか一つの鉢の花はいつも満開、もう一方は全然花が咲かなかった。咲かない方を少し刈り込んでみたら、うれしいことにいくつか花が咲きだしてくれた。
 一時期に比べると、二つの鉢のどっちも、今は花が少なくてぱっとしないが、まあまあ見られないこともない。とにかく両方咲いてるのを飾れてよかった。

窓がちょっと淋しいので、安っぽいのでいいからカーネーションの造花とかないかなと思っていたら、何と今日、スーパーの売り場に私の希望通りの、あつらえたように、てきとーな作りの、ほんと自分で買っといて何だが、こんなの誰が買うんだろうかというような造花が二本おいてあって、苦笑いしながらさっそく買った。今からこれをリボンでもつけて、安っぽく見えないように飾っちゃる。もちろん、とっておいて来年も飾る(笑)。

ラジオでも母の日の話題が出ていて、カーネーションを飾る習慣は、何とかいう女性が、亡くなった母に白いカーネーションを供えたのが始まりで、その後、赤い方が主流になったらしく、元来は白だったのらしい。「母は亡くなったので、私は白いのを飾らなきゃ」とか女性アナウンサーが言っていた。白いカーネーションはきれいだろうから私もできれば飾りたいが、白いカーネーションの造花なんて、逆立ちして探しても見つかるわけないもんなー。

そして、ふと思い出すのは、大学に在職していたころ、同和教育の講演会で、差別されたいろんな体験を語る講師の方が、パワフルな語り口で、小学校だったか幼稚園だったかの母の日に先生が「はい~、お母さんのいない人は白いカーネーションね~」とか言って、皆が赤い花を胸につける中、白いのをつけさせられた体験を「バカにするなってんだ」みたいな怒りをこめて話しておられたこと。その時だったか別の時か忘れたけど、「離婚してお母さんが生きてるけど、いっしょじゃない人はピンク」ということになってた学校もあったような。

白い花の方が元祖なのだと言ったって、こんな体験をした子どもには何の慰めにもならないだろうし、難しいなあ、まったく、こういうことは。今でもどこかの学校やら保育園やらで、「お母さんのいない人は白いカーネーションね~」なんてやってるところ、あるのだろうか。(ないみたいね、ネットで検索したら。当然か。)こういうことは、どういう風にしたらいいものなんだろうか。

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カツジ猫