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神戸と宗像。

◇今日は講演をひとつ無事にすませて、へたっていたら、市が現在ある三つの体育館をこわして、新しく一つ作るという計画があるのに対して、無駄が多すぎるのではないかと心配する人たちの集りがあると連絡があって、ちょっとだけ顔を出した。詳しいことはまた書くが、沖ノ島の世界遺産問題と同様、住民の意見を充分に聞かないで、上から下ろして来るというやり方が、ものすごく心配だ。

それで今夜は阪神淡路大震災から20年ということで、NHKスペシャルが特集をしていた。神戸の新長田区の復興がうまく行っていないという話で、私が一番感心したのは、街の復興を担当した市の職員が、問題点や反省点を赤裸々に厳しく自分から述べていることで、ほとんど感動してしまった。
私だって同様の迷いや、誤った決断をすることはきっとあると思うほど、難しい選択肢がいくつもあったのが、よくわかった。そして、市の主導で進める街づくりが、結局失敗すること、住民とよく話し合わなくてはいけなかったということが最大の教訓として語られていた。

今、宗像で、そして日本で行われている町づくりや国づくりは、まさにこの、住民に相談しないで決めて行くというものばかりで、それは非常に脆弱で粗雑な計画になってしまうと思う。神戸の教訓があんなに明らかなのに、他の都市や国が、それ以上の住民無視の計画を進めるのでは、神戸の人たちだって浮かばれないだろう。

◇ところで震災と言えば、20年前、私と母は神戸から被災した犬を引き取った。たしか東灘区の交差点で迷子になっていた中型犬で下あごが上あごより突き出しているので、仮にアンダーと呼ばれていた。
母はとてもかわいがっていたが、私は帰省するたびに吠えられるのであまり好きではなかった。十何年か生きて穏やかに死んだが、母はよく、「アンダーは絶対に小さい女の子に飼われていたんだね」と言っていた。近所の女の子たちが来たときの、喜び方やなつき方が、大変なものだったらしい。「女の子によっぽどかわいがわれていたのだろうと、よくわかる」と、母はいつも言っていた。

東灘区は被害の激しい地域だった。アンダーの主人だった女の子も生きているかどうかわからない。もし生きていたら今では大人の女性だろう。アンダーと呼ばれていた、前の名はわからない、茶色と黒の下あごが出た犬は、田舎でまあまあ幸せに生きて年とって死んだことを伝えられたらなと思う。もしも被災して死んでいたら、アンダーはあの世で大好きな飼い主に再会して、私や母のことなどはとっくに忘れているにちがいない。

◇それと思い出すのは、酒鬼薔薇事件が起こったとき、小田実さんがテレビの取材を受けたコメントで、「犯人の少年が異常な殺人をした原因の一つは、絶対にあの大震災だ」と断言していたことだ。あの震災はそれだけ子どもたちの心を破壊したのかと、あのコメントで漠然と私は知った。
その小田さんももう亡くなった。時のたつのは本当に残酷なほど早い。そして「しんぶん赤旗」の記事だったかで印象的だったのは、震災後再興を願って、店や自宅を再建したり、その他で借金をした人たちが高齢になって今もなお、その返済に苦しみつづけている実態だ。
この人たちを何とかしてやることもできないで、国防とか景気回復とか言ってる場合じゃないとつくづく思う。国民一人一人の命と心と身体こそ、国家にとって最大の財産じゃないか。それを守りぬかないでどうするんだよ。一見無駄の極致に見えて、そういうものを大事にして救うことが、思いがけない利益を生みだしたりするんだよ、実もふたもない言い方をすると。

◇やや、私はまた無理をしている。今夜は絶対、早く寝ないといけないのに。皆さま、おやすみなさい。

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カツジ猫