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神棚とテレビ。

◇よく考えたら数日後には田舎から大型家具が、どどどっと届くわけで、その置き場を確保しなければ。
というわけで、今日は恐れ多くも神棚の移動をしました。もう仏壇やらクリスマスツリーやら、おまえは何をしてるんだと言われそうですが、新しい方の小さい家を建てたとき、多分大工さんが適当に頼んだどこかの神主さんが、安い料金にもかかわらず、ものすごく立派な祭壇を作って地鎮祭やら新居のお祓いやらをしてくれて、若い神主さんがフルート演奏までしてくれたものですから、ついつい、いただいたお札を、神棚なんかないから、小さい壁掛けの神棚みたいなのに入れてキッチンと居間のコーナーにひとつずつかけていたのです。何で二つにわけたかって言うと、壁掛け神棚が二種類売ってて、どっちもかわいかったので、つい何枚もあるお札を二カ所にわけてしまったのよ(笑)。

今回、居間に大きな絵をかけるので、その一つをキッチンに合流させなければならず、神さまたちも新しい環境がお気に召すようにという気もあって、まあこの機会にと、ありあわせの皿や花瓶で代用していた榊や塩や水を入れる器を、ちゃんとしたものに代えたろと思い、今朝近くの仏具屋に行ったら、ちゃんと神具のコーナーもあって、もう何かさすがに日本だよなあ。
しかもかわいいまん丸な水入れも含めて何もかもが100円そこそこの安さ。一式そろえても1000円ちょっと。すごすぎる。

で、帰って、冷蔵庫の上に釘打ち直して神棚をつけ直して、新しい神具を飾りました。冷蔵庫の上ってごちゃごちゃしやすいので、神棚代わりにしておくと、ちょうどいい。て言うか、もうここしかないのです、置くところが。
それをすませて、下の家の小さいテレビを、上の家のこの前大工さんが作ってくれた本棚の一角のテレビ置き場にめでたく移動。小さいので私が抱えて行けました。さっき試運転したら、DVDはきちんと見られる。放送は当分見ないことにしてるので、これで上等です。

他にもいろいろ懸案事項がうまく行き、まあまだ楽観はできないけど、明日にそなえて今夜はせいぜい早く寝ることにするか。

◇カツジ猫は廊下の寝椅子でぐっすり寝こけているのですが、私がキッチンの流しの前に立ったり、庭に出て行ったりすると、まるで瞬間移動のように音もなくそばに来て、背中のテーブルの上に立っていたり、金網の向こうからじっと見ていたりします。ほんと知らない人なら同じ猫がもう一匹いるんじゃないかと思うでしょうよ。
でも本当に秋らしく、首毛がふさふさ立派になったなあ。「シートン動物記」に出てくるヤマウズラの首毛って、きっとこんなんじゃなかったろうか。

◇小渕大臣が辞任したそうで、まあ彼女を弁護する気はないんですが、ヘイトスピーチやってる団体との仲を問題にされてる大臣がやめないで、こっちがやめるっていうのも、バランス感覚が狂うなあ。信じらんないよ。「選挙民に説明できない」ってあのせりふ、もしや、在特会との関係をうやむやにしてる何とかいう大臣への強烈な皮肉じゃないかと思った私も考え過ぎだろうが。

だいたい、ヘイトスピーチや人権問題への感覚は内閣のみならずジャーナリストや芸術家など一番そういうのに敏感な人の感覚も、もう本当になまぬるい。異常なぐらいに鈍感だ。
だいぶ前だが、「週刊朝日」のコラムで、室井さんだっけ、ヘイトスピーチに対して大変まともできっちりとした批判を書いていた。ところが、その挿絵のイラストが、ものすごく冗談めかして、ヘイトスピーチに抗議する人たちをおちょくっていて、何のつもりかと唖然とした。その危機感のなさと言ったら、だいぶ前の毎日新聞の四コマ漫画もそうだったが、もう救いがたい。

人の国籍や人種やを理由に、死ねの殺せのと公然と口にすることの意味を、この人たちはどう考えているのだろうか。ある意味、私なんかには、ストーカーだのいじめだの、いかにろくでもないにしろ、それなりの理由があって個人的怨恨や執着で殺人に走る犯罪者より、こうして不特定多数の人を色分けして差別して攻撃する人の方がよっぽど病的で悪質で罪が深いと思える。冗談にでも認める余地なんかない。

そしてつくづく思い知らされて暗澹とするのは、障害者や女性やその他の弱い存在を差別してはいけないとか言ってる今の世の中が、本当にうわべだけの、いやいややってるだけのものなんだなあということだ。

私はまだセクハラという言葉も存在しなかったころ、周囲の男性に多分悪意でさえもなく、いろいろ傷つけられることを言ったりされたりしたけれど、その後だんだん世の中が「女性にこういうことをしてはいけない、するものではない」という流れに変わって行くにつれて、彼らはそういうことを私にも他の女性にもすううううっとひとりでに言ったりしたりしなくなったのを見て、むしろそのことが、ものすごく気持ち悪くて、その男たちの薄っぺらさと安っぽさが身に染みていやだった。

あんなに私が深く傷つき時には瀕死の思いをし、相手を憎むまいと必死になっていた言葉や行動の数々を、この男はただ何となく「言ってもいい」と思って言っていたにすぎず、「言ったらやばい」と感じ始めるご時世になったら多分何の苦痛も不便もなく、それこそ禁煙するより簡単にやめてしまえるんだと思い知らされたことは、予想してはいても実際目の前にすると衝撃だった。

今、中国や韓国や朝日新聞(笑)の悪口を言っている人たちの中にも、本当に何らかの信念や体験や実感に基づいているならまだしも(そういう人は逆にうかつには言わないんじゃなかろうか、そういうことは)、「皆が言うから今の世の中では」こういうことは言ってもいいんだ、という感じで言ってる人はいるんだろう。そしてそういう人たちは何かが変わればあっという間に、女性や障害者や動物や、今の世の中ではちょっと攻撃しにくい者を、攻撃しはじめるんだろうと思う。そのことが一番、やりきれない。

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カツジ猫