福津の蓑生浜
昨日は地域の方々と江戸時代の地元の俳人たちの編んだ俳書を読む読書会だった。ちょうど、連句にさしかかったところで、句の意味をあれこれ皆で考えて、面白かった。「鼠気遣う今日のこんにゃく」という句で、ネズミはこんにゃくを食うのか、いやあいつらは何でも食べるだろう、歯が伸びるのを防ぐだけでもいいのだし、しかしこんにゃくじゃ歯を削る役にはたつまい、別に実際に食べなくても面白ければいいんだ、などと、あれこれ言い合ってる内に、だいたいこの句の俳言は何だ、やっぱりこんにゃくか、そもそもこんにゃくは季語か、とか言う話になり、スマホでちょっと調べたら食べ物のこんにゃくは無季だがこんにゃく芋は初夏か春らしくて、そしたら農家の方が、畑のこんにゃく芋ならネズミもねらうと言われて、そっちの意味らしいということになる。ちょうど参加者のお一人が、こんにゃくをお菓子のように味付けしたお料理を提供して下さっていて、それを食べながらだったので、一段と盛り上がった。
いずれはこれらの俳書を出版する予定だが、句集の題の「蓑生浜」を「みのう」と読むか「みのぶ」と読むかでまた難しい。地元では「みのう」と呼ばれているようだし、宗祇の紀行などを読んでも「みのう」なのだろうが、権威ある「俳諧大辞典」などには「みのぶ」となっていて、それを踏襲した本もある。漢字の「蓑生」や「みのふ」という表記などから、「みのぶ」とまちがえられたんだろうが、やっぱり、ここは「みのう」だよねということになって、本でもそういう読みをつけることにした。
福津の海岸には歌碑もあって、地元の方が紹介されている。何でも今は「福津の海岸」と呼ばれるこのあたりを、もうちょっと風情のある名前にしたいという声もあるそうで、「蓑生浜」にしたらどうですかと提案しようかという話も出た。
他にもいろんな句の解釈で、あれこれ推理していると、わけわからんと思っていた句がわりとわかったり、案外うまいんじゃないかと見直したり、楽しくて飽きない。「弓張に杉の若葉の戦ぎたち」の「弓張」は月か提灯かとか、「戦きたち」をどう読むか「おののき」だと字余りだから「そよぎ」だろう、それなら「き」には濁点を補っておかないととか。この句はこんにゃくの句の次なので、弓張り提灯で、畑のネズミを見回ってるんだろうかとも考えたりした。
さく花に橋の丸太を投げわたし
草の広みに遊ぶ蝶々
あら筵姥が眠りのうららかに
なんて続く春の三句もいいよなあ。川向うに桜が咲いたから、地元の人がお花見に行くのに、臨時の橋に丸木を渡しちゃうんだろうか。草の原っぱにはちょうちょがひらひら、そこで場面は変わって、庭先かどっかで粗末なむしろの上で老女が昼寝でもしてるってことかな。
夜は久しぶりに友人と電話で長話をして、ネタニヤフをこき下ろした。友人はもうイスラエルも嫌いだそうで、私はネタニヤフ一人で、ホロコーストで犠牲になった多くの人たちが世界に与えてた罪悪感みたいな負債を、全部チャラにして借金作ってるやないかと言った。そもそも全世界がこれだけイスラエルを非難してるのに、アメリカがかばいまくるのが責任重大だと話してるとき、私は思い出して、「何でもトランプはハリスを負かすために票を稼ごうとして、最近じゃアラブや中東系の人たちと仲良くしてるらしい」と教えた。
「あいつはほんとに、とことん商売人なんやね。移民入れない壁作るとまで言ってたくせに、中東と手を組むとはもうわやくちゃもいいところやん。死の商人と言われる軍需産業が敵味方に武器売ってもうけるのと同じで、保守とか右翼とかの主義主張よりも、とことん利害優先なのよ。しかし、もしこれでハリスとバイデンが行き詰まって、中東関係者の票を守るためにイスラエルを切り捨てるとかしたら、トランプも使い道があったってことになるのかしら」と言い合った。
そう言えば石破首相がアベ派の議員を公認しなかったりして冷遇したのに腹を立てた杉田水脈支持の人たちとかは、もう絶対に比例も何も自民党には入れないと息巻いていて、これももうトランプと中東の接近同様、何だかわけがわからず、頭が痛くなる世の中だ。まあ私はどうせ共産党あたりに投票するから、大きなお世話じゃあるけれど、自民党の再生や延命や復活を真剣に願うなら、当面は石破氏がめざす方向しか道はないと思うから、支持しとくしかないと思うよ、とりあえずは、現政権を。
今朝は久しぶりにちょっとだけ庭仕事をした。菊の株と同じ鉢で競合してへたってたバラの苗(挿し木から伸びたちっちゃいやつ)を掘り出して、別の鉢に移してやり、垣根にはびこっていたチョウセンアサガオのつるをむしりまくって少しだけ退治した。何だかさわやかな香りが漂ってる気がしたら、もう金木犀も咲き始めてるみたい。