私の宿題。
◇あ、忘れてた。忘れてたらいかんことだったんだけど(笑)。
福岡教育大学で前期に私がした古典文学の授業は「八犬伝」でした。
ちなみに前にも書きましたが、私は馬琴や八犬伝に関してはシロウトです(と言っちゃっていいのか)。つまり、馬琴を専門に研究しておられる大変立派な先生方は他におられて、その中でも有名な板坂則子先生というお方がおいでなので、ちょっと話がややこしくなる(笑)。
珍しい苗字ですが、まったく血縁関係とかはありません。そりゃ、ずっと前に大学の人権問題の講演会で同和問題についてとてもわかりやすく熱く語って下さった先生が、たしかご自分もそういう地域の出身の方で、「だいたい人間の先祖をたどって行けばそんなにさかのぼらなくても皆どっかでつながって同じになるんだから、差別とか血筋とかこんなにナンセンスなものはない」と、数字をあげてものすごくきちんと言って下さって、「なるほど!」と痛快かつ爽快だったのですが、それで言うならそりゃ板坂則子さんともどっかで血のつながりもあるかもしれんけど、さしあたりは赤の他人です。あ、もちろんいろいろと親しくしてはいただいて、御本の贈答とかメールのやりとりはあります。私より10歳以上かそのくらい若い、とても華やかな方で研究室も楽しそうですよ。たしかブログがあるはずです。
差別や血筋ということでつまらんことを思い出しましたが、私の祖父は何とかいう殿様に仕えて、武田信玄の侍医とかいう有名な医者の子孫で武士の出だということを、ときどき自慢にしていました。
田舎の村医者だったのですが、医院の玄関わきに平たい庭石があって、祖父の前にその家で開業していた大先生は貧しい人とか差別されていた人は、玄関の中の待合室には入れないで、その石に座って待つようにさせていたということです。戦前のことでしょうが今なら考えられないことが、当時は普通だったのでしょう。
で、その大先生がどこかに行かれたあと、同じ医院を買い取って村医者になった祖父は、そういう差別をいっさいしませんでした。どんな貧しい人でも皆に差別されていた人でも、まったく同じように扱って診療し交際していましたから、相当人気があったようです。
この前実家に帰ったとき、今その医院をリフォームした部分に住んでいる若者は、その話を聞いて感心し「立派な方だったんですねえ」と言いました。
「シロウトはそう考えるのよね」と私は言いました。「そうじゃないのよ。まあ、基本的にはちゃらんぽらんで人のいい、人間好きな人だったんだけどね、ただ祖父がそうして、誰のこともいっさい差別をしなかったのは、自分のような立派な家柄の人間に比べると、たとえ金持ちだろうが町長だろうが社長だろうが、皆ただの田舎者で、いっしょくたで、そこに優劣なんてつけようがあるかって意識だったと思うのよ。自分以外の人間をすべて差別してたから結果として誰のことも平等にあつかったんだわ、うちのじいさんは」
しかしあれです、それこそ血筋は争えんもので、私が今、自分の周囲で誰かが誰かを差別して、特に自分の方があの誰かさんよりもよりあなたに似ているとか近いとかいう態度を取ると、私は何はさておき、まず、けっと思ってしまいます。同和地区とか在日とか娼婦とか前科者とか、あらゆる何かの理由をつけて、人をけっとばしふみにじる人が、そのけっとばした反動で、どっか遠くを目指して行ってしまっていなくなるなら私まだ平気なんですが、ともすれば、そうやって人をさげすむ人って、けっとばした力を推進力に私に近づいて来るんですよ。「同じ日本人でしょ」とか「同じ知識人でしょ」とか「あいつと我々はちがいますよねえ」とか。
いやいやいや、それちがうから。仮にそのあいつが私は嫌いだとしても、あんたもしょせんは同じ程度の人間だから私にとっては。
そういう気分に限りなくなる。まあ祖父と同様、私のこういう意識もヒューマニズムとは微妙にちがっているのかもといつも思います。
それだけにどういうか、弱まったり消えたり薄らいだりまちがえたりする心配はまったくと言っていいほどありませんけど、何せ感覚の問題だもんだから(笑)。
◇しゃあない無駄話はさておくとして、とにかく学生たちに「八犬伝」を教えて、中間レポートの課題に「一番好きな八犬士の中の一人は誰か。その理由も書け」というのを出しました。
最終レポートの課題は当然もうちょっとまともなものを何か出そうと思ってたところが、補講の一時間を使って教室で書かせたのがよかったのか何なのか、あまりにどのレポートも面白かったので、私はつい、「これをもっと詳しく書いて資料とかもつけたら、最終レポートにしてもいいよ」と言ってしまいました。
だってさ、面白かったんですよ。あ、ちょっと猫たちの水をやらなくちゃならないから、いったん中断します。そうか、トイレの掃除もしなきゃだなあ。