私もいらつく
じゅうばこさん
あの地域ですが、そもそも汚染地区でも危険地区でもないわけですよね。だいたい私がカリカリするのは、30キロとか20キロとか何々市とか言ったって、放射能の灰やチリは、市の境界とかあの30キロでくるっと描いた円の線上とかで区切って落ちやしないことです。国境や水域で律義に区別するのは、人間だけで、鳥も動物もバイ菌も放射能もそんなこと知っちゃいない。
あれは、あくまでめやすです。それを、その境界内に入る人がいないって、何だかもう、科学的でさえないじゃないですか。
大学で学生に文学史を教えるとき、「近代とか近世とか中世とか年表が色分けしてあるからって、いきなり世の中や文化ががらっと変わるんじゃないよ。じわっと移っていくんだよ」と最初に教えるんですが、それと同じ錯覚が、まかり通っているなあ。
くりかえしますが、あの地域は汚染されても危険でもない。少なくとも国はそう指定してない。人を住まわせてるんだから。
しかし、おかげで、あの地域は汚染地区や危険地区なら配慮してもらえる恩恵さえも受けられない。
「その地域の人は外出をひかえろ、帰宅したら身体を洗え」などと言われたら、やっぱり外から行くのは皆ひるむと思う。
だったらもう、それを認めて、せめて、外部の人が「ここからは行きたくない」という地点か線上かに、燃料食料その他もろもろ、山ほど物資をおいて、住民に取りに来てもらうべきでしょう。それは、いかにも汚染、危険を公認するようで問題はあるだろうけど、今の状況よりましなんじゃないだろうか。
どうせ他のことで、政府も関係者も死ぬほど忙しいのはわかるけれど、この地域のことをどう扱うか、どう考えるかは、国と国民の尊厳が問われる問題です。私たち国民ひとりひとりの・・・私はこれまでこんなことば使うのは、こっぱずかしくて使ったことはなかったのですが、今こそ使わせてもらう・・・私たち国民ひとりひとりの「品格」が問われる問題です。
いずれ、どんどん放射能の影響が広がれば、同様の地域が拡大し波及する。その時の考え方を、今さしあたり寄付金送るしかできることがない、比較的ヒマな人たちが、考えておくべきでしょう。あくまでも自分たちの暮らしはきちんと守りながら。
庭先のユキヤナギが白い花をいっぱいつけて、滝のようにうねっています。花を楽しんだあとは枝を刈り込まないと大変なことになりそうです。
イチゴは、「ほのかいちご」が好きなのですが、今日、えらく小さな粒のほのかいちごが、安く売ってあったので、喜んで買って来ました。本当はトイレットペーパーを補充するころなのですが、まあ、もうちょっと待とう。うちはウォシュレットじゃないのですが、いざとなったら植木鉢用の噴霧器で尻ぐらい洗い流してやる。(笑)