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窓の灯り。

◇トランプの当選について、「むなかた九条の会」のメンバーの中には、これで日本が対米従属から脱して自立できるのではないかと歓迎や期待する人もいるようです。そりゃまあ、いちかばちか何かがどうか転がればそういう風にならないもんでもないと思いますが、私が一番心配なのは、アベ政治と同様、とにかく基本的にあの人はバカではないかと思うので、それを利用する人たちに囲まれたらひとたまりもあるまいということですよね。

それと、これも日本や福岡教育大などで、まま見受ける図式ですが、ちゃんとした人たちが筋を通して理路整然とアホな権力者を追いつめたら、相手はもうどうしていいのかわからなくなって、権力使って横紙破りのめちゃくちゃをするしかなくなるということです。逃げ道や花道を作れと言うのは、そりゃ追いつめる方に酷ですが、しかし、こういう人たちって、どうしていいかわからないけど、一応見た目みっともないことはしたくないと一応は思っているから、あとはもうどんどんそれだけはしちゃいかんことをして行くんですよね(それをみっともないという感覚や美学はない。多分知らない、考えたこともない)。

そして、アベ政治や、それに類した人たちの例を考えると、まず金にものを言わせて言論を封殺し、とりまきを優遇して、身内で要職を固め、雑な発言や回答ではぐらかしながら、禁じ手を次々使って反対派の息の根をとめにかかる、みたいな感じかな。それをどこまでやらせるか、やらせないか。

◇ネットを拾い読みしていると、トランプ勝利とクリントン敗北の理由は、とにかくアメリカが行き詰まっていて、格差が広がっていて、チェンジを求めてオバマさんを応援したけど、結局あまり変わらなかったので、その不満と恨みが爆発した、って、それまるっきり、民主党政権に失望してアベ政治の方がまだましとかいまだに言ってる人たちの図式と同じじゃん。

私は民主党政権の人気ぶりにも相当うんざりしてはいたけど、どんなにひどい状態の時でも自民党政権よりははるかにましだと思っていたし、ましてやこの今、ありとあらゆるひどいことされてまだアベ政治に絶望しなくて、その理由に何かと言えば民主党政権の失敗とか何とか持ち出す人たちのせりふを聞くと、まったくもう、目と耳と口と脳みそははあったのかいと言いたくなるわけですが、とにかく期待したから裏切られたら、あとはもうどんなひどいものでもそれよりましと思いこむ、この思考構造って、いったいどこに原因があるんだろう。

オバマさんにも、いろいろたいがい、いらいらはさせられたよ。でも、反対勢力の多い中で彼はいつもがんばっていたと思うし、いろんなことは確実に実現させて来た。クリントンだってそれは同じだろうと思う。トランプみたいな素人のばくち屋のしかも弱者や異分子を徹底的に攻撃するDNAがしみこんでいる人間に、国や世界をまかせるなんて、自爆テロに民族の未来をかけるのといい勝負だろうよ。

◇そりゃ私の心にも悪魔的な気分がきざさないわけでもなくて、あのアベと組み合わせるにはまっとうな感覚のやつよりも、いっそ黄色人種なんて白人のしもべだぐらいに思ってるだろうトランプに相手させた方が面白かろうと、ちらと思わないでもない。だいたい、いろいろトランプを歓迎してるらしい日本人たち、黒人や女性と同じく、日本や日本人もトランプには差別の対象だってこと、ちらっとでも自覚してるのかね。そのへん、ほんとに鈍いと思うよ。

「むなかた九条の会」では27日に河東コミセンで、チャップリンの「独裁者」の映画を上映するんだけど、もう何十年も前に見たこの映画の中で、私がけっこう笑ったのは(まあ笑うとこいっぱいあるんだけど)、ムッソリーニをもじったナバロ二がヒトラーをもじったヒンケルと会見する場面でさ、「よう、ヒンキー!」とかそれこそ下品なアメリカ人のノリで、ナバロニがヒンケルを圧倒しちゃうの。いかーん、どう考えても今あれ見たら、トランプとアベにしか見えないのじゃないかしらん。
ちなみに白状すると当時の私はミーハーで、カッコいいヒンケルの副官(多分ゲッペルスがモデル)に見とれて、最後の名演説よりも、副官を見に映画館に通ったんでした(笑)。

◇ところで少し前、ヤフーのニュースで見た「右翼の高齢化」って記事が、面白かったんで、リンクしておきます。これで見ると、正統な昔ながらの右翼の人たちはヘイトスピーチなんて嫌ってるって話もあって、さもありなんとうなずきますが、こういう人たちは多分トランプも決して好きではないのじゃないかな。どうなんでしょう。

http://news.yahoo.co.jp/pickup/6220326

◇電通の過労死について調査が入ったというニュースも気になっていました。
特に、毎日新聞の記事で、仕事を猛烈にやる会社の体質について、「残業が制限されたら、チェックするバーの下を匍匐前進で通り抜けても会社に行って仕事していた。それが社風だった」という、元社員の話を読んで、何かもう、だろうなあとやりきれなかった。

私はパソコンのことなんか、からきしわからないのに、なぜか大学の情報処理センター長をやってたことがあって、パソコン関係の会社の方との会議にもよく出ていました。
その時の雑談で、ある有能な社員の女性の方が、「夜、残業をしていて、終わって帰る時に、向いのビルの同業の会社の窓に明かりがついていなかったら、『勝った!』と思う」とおっしゃっていました。
私はとっさに、「え、それ『負けた!』のまちがいじゃ…」と思ったのですけど、そんなもんかと思って口には出せませんでした。
でも、そういう感覚ってきっとあるのだろうなあ。私は人より少しでも働かないのが、優秀なしるしだと、どっかでいつも思っていて、ついうっかりがんばってしまうと、「やっちまった」という敗北感にうちひしがれるのだけど。

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カツジ猫