窓べは大にぎわい
今日もあいかわらず寒かった。でも陽は照っていたし、空気の冷たさはぴりっとして吸いこむと清涼飲料水みたいに清々しくて気持ちよかった。猫のカツジがいつもいる、金網の中の庭には梅の木があって、枝が伸び放題になっているのを刈り込まなくちゃと思いながら、つい放っていたら、今日その枝にこれまでにないほどいっぱいつぼみがついているのを発見。これは花が咲くまでこのままにしておくしかなさそうだ。
上の家の玄関横にあるユキヤナギにも、ひとつふたつ、小さい白い花が咲いていた。
とは言ってもこの寒さだから、クリーニングに出しそこねていた冬の服や、出番がないままになっていたストールやセーターを、この冬最後のチャンスと身につけている。
今日は、紺と白のだんだら縞のヘビの顔をした長いマフラーを巻いて歩いた。行きつけのお店の店長さんがヘビが大嫌いでビビるので、ついひかえていたのだが、いっぺんぐらい脅かしてやれと思って、巻いて行った。ものすごく暖かで快適だったが、やっぱり非常にいやがられた(笑)。かわいいのになあ。赤い舌もついてるし。
おばあさん猫のグレイスは、そろそろおしまいかと思っていたら、昨日はよろよろしながらベッドの上のテーブルに飛び上がって、少ししおれた猫の草をかじっていた。口当たりがいいのだろうか。しかもその後、私がむりやり口に押し込んだエサのせいか、今朝はちゃんとうんちもしていた。こいつの生きようとする意志は実に賞賛に値する。
さっそく、新しい猫の草を買いに行った。ナフコは品切れだったが、スーパーの新しいペット売り場に立派なのがそろっていたので、買って来たら、うまそうに食べた。その後ほんの少しだが、エサも自分でなめるようにかじって食べた。
お医者さんが「首から下の臓器はちゃんと機能してるんですよねえ」と言ったとおり、口内炎で口が痛いから食べられないだけで、身体はちゃんとしてるのだろう。
無理に食べさせたり薬を飲ませたりするのがかわいそうで、毎日気がめいっていたが、だんだんこっちもサディスティックになって来て、押さえつけて口に押し込むのが快感になってきた。何かヤバい。
だって、そっとして静かに死なせてやるったって、どうしていいかわからないんだもの。本人まだまだ、最後まであがく気らしいし。つきあってやるしかない。
せめて早く居間を片づけて、一晩でも二晩でも、いっしょに寝てやりたい。ベッドで寝てやってもいいが、もうエサも水も小さいトイレも猫の草もベッドに乗せてやっているので、いっしょに寝てやろうにも場所がないんだよな。
そんなこんなで忙しいからニュースもろくに見ていないが、コロナ特措法の罰則は、与野党の話し合いの結果、懲役も罰金も全部なしになったそうだ。もともとが正気の沙汰ではない話だから、あたりまえではあるが、これまでは、そのあたりまえのことが通じなかったのだから、野党には感謝するしかない。
ついでに、生活保護の受給に際して、曾祖母から甥姪にいたるまで、家族親族を探して「扶養できんのか」と確認を求めるという、これまた正気の沙汰とは思えないことが行われていたか行われそうだったかで、批判や抗議が上がっていた。今どうなってるか知らないが、これって、「何が何でも家族に面倒みさせよう」という発想が、政府や与党だけじゃなく、マスメディアや世間や福祉関係者や医療機関まで、そこはかとない常識として行き渡ってるのが根底にあると思う。「家族にいかにして関心を持たせ、面倒を見させるか」を手柄にしている節さえあるから、結果として、ますます家族をこわし、遠ざけることになる。「断捨離狂騒曲」の中で、私がぶちきれて書いた通りだ。
今日は家の中の、しおれかけた花を全部片づけたので、花の先端だけ切って、小さいびんに飾って最後まで楽しむことにしている、窓べがいちだんとにぎやかだ。そして部屋の中には、新しくまた買ってきたスイートピーの香りが、どうかしたはずみに、ほのかに流れる。