絶望と危機感
昨日、ようやく年賀状を出して、洗濯をして干して、クリスマスケーキとローストチキンの受け取り時間を決めて連絡して、銀行で通帳の残高を確認して、ふだんばきのパンツ二つのウェストのゴムがゆるんだのを、取り替える方法をネットで確認して、ついでに冬の水まきはしなくてもいいということもネットで確認して肩の荷を下ろして、冷蔵庫の中身を整理しておかずを作って、それでも何だか一ミリも仕事が進んだ気がしない。まったく、どういう年末になることやら。読みたい本はたまっているし、授業の資料は見つからないし、しかも今度の週末はまた気温は高くなるというではないか。まったくもって、まったくもう。
最近テレビを見るのが恐い。特にワイドショー関係が、おどろおどろしい音楽とともに、中国がいかにも日本を侵略して来そうな雰囲気を盛り上げて、例のレーダー照射問題にしても、こっちは一ミリも悪くないという主張を、あの手この手でくり返すのが、気持ちが悪くてしかたがない。ネットの方では、こちらが一方的に悪いという主張があふれていて、頼むからもう、どこかできちんと論点整理して検証しておくれでないかと思ってしまう。
そんなワイドショーの説明に、若いタレントさんたちが、いとも素直にそーなんですかーと納得してるのも不安だったが、この前たまたまチラ見したら、何か質問はと聞かれた二人の男女タレントが「世界はどう見てるんですか」「どうしたらこれ以上事態が悪化しないで治まるんですか」と、大変まともな疑問を呈していて、何だかちょっと安心した。まあ、そう聞きたくなるよなあ。あれだけ「日本正しい、中国悪い」ばっかし、たたみかけて言われるばっかりじゃ。
高市さんに続いて小泉さんを弁護し擁護し激励するような空気もワイドショーでは、けっこう目につく。私はレーダーの専門家じゃないから、何が正しいかはわからないが、ただ小泉さんて、果敢に世界に向かって中国に対抗して外交宣伝してるようなのが、どうも長続きするのか?と思ってしまうのよね。過剰包装にとりくんでたのもレジ袋有料にしただけで、あとは放ったらかしだし、米の価格の件だって、何も変わらないままで、もう眼中にないみたいだし。悪い人ではないのだろうけど、打ち上げ花火のスタンドプレイが、ちっとも長続きしないのよ、私のこれまでの印象じゃ。中国を向こうに回して、世界を味方につけるほど、粘り強くもしつこくも悪賢くもパワフルとも、とても思えないんですけど。
ワイドショーの中国関係で、聞いてて一番恐いのは、中国が「日本の分断をはかってる」とくり返されること。言ってる方は悪気も深い考えもないのかもしれないけど、これって、どういうことかわかってますか? 国内の意見のちがいは許さない、中国から日本を守るには皆さんひとつにまとまりましょう、批判や異論を述べたり感じたりするのは中国の味方です日本の敵です非国民です、って、そういうことでしかないでしょうが。一番恐いよ、その発想が。
中国がねらおうと、どこがねらおうと、国の中で分断が起こるのはいつだって当然で、ちっともおかしいいことじゃない。それを許さない雰囲気が一番、国の息の根をとめます。反対意見を許さない、異分子の存在を許さない、そんな国も社会も共同体も、ろくなものにはなりません。
そもそもが、高市さんの発言が軽率だったってことは、何となくそれでも皆わかってるようなんだけど、問題は中国がなぜそこまで、こだわって、日本いじめをエスカレートさせて来るかっている、パワーの根源が、どれだけわかってるんでしょうかね。いや私だってわかってるかどうかわからないけど、中国がいろんな思惑があり事情があり計算があるのは当然でしょうが、彼らがその根底に抱く大義名分や怨念を、どれだけ予測してるんだろう。そこが非常に不安です。
それはずばり、日本がかつて中国を侵略し、戦争犯罪をくり返し、ナチスドイツと組んで世界と対立して敗北したって事実ですよ。高市さんは、そんな過去のこと私は知らんから謝る気はないとか、恐ろしいことを言うておられますが、いいんですよ、自分がそう思うのも、感じるのも。
しかし、日本国ひっさげて、世界や中国とかけひきするなら、そのことが、どう思われてるのか、どのくらい覚えられてるのか、一応知っとかなくちゃいかんでしょう。お仕事として。武器として。
いじめや差別でよく言われるように、された側は忘れんのですよ。そりゃ中国の言ってるのは大義名分かもしれない。あんたたちが今してることはそりゃなんだということもあるかもしれない。しかし、たとえ大義名分でも口実でも、そういう過去の事実は彼らの記憶に刻み込まれ、その再発を常に恐れているのは、どう考えても確かです。その兆候を感じたら、すわまた、あの時代が訪れるかと、とっさに思うのが被害者なんですってばさ。
私は首相狙撃事件の山上徹也容疑者が、長期の勾留でどれだけ消耗してるのか、いろんな意味で不安でしたが、裁判での陳述を見る限り、この人のことばも生き方も、実に精錬されて怪しいところや卑しいところが、まったくかけらもない。人を殺したのも首相を殺したのも罪なのは当然で徹底的に究明してほしいけど、選ぶことばのひとつひとつが、私にはとてもかなわないほど的確で明瞭です。
特に、安倍首相が統一教会を支持支援するだろうと推測できたときに感じたのが「絶望と危機感」だったという表現には、辞書のあまたのことばの中から、これしかない二語を選んだものだと痛感しました。
絶望と危機感。
中国の世界の、もちろん日本の、私自身の、先の戦争の被害者たちの「また、あの時代が訪れるのではないか」という、恐怖も、その二語に言い尽くされるのではないかと思います。
絶望と危機感。
またあの時代がよみがえるかもしれない。
中国の指導者が今、それを口実にし利用し、世界を味方にしようという計算があるのも、多分そうでしょう。でも、そうだとしても、そこにどれだけ本音があり実感があるかを、しっかり知っておかなくては、今後の予測も対策も立てられないでしょう。甘く見るのが危険というなら、それをこそ、甘く見るのが危険です。
高市首相もワイドショーも、その点で私は不安でしょうがない。過去や歴史や信念や思想信条で動く人間の精神を、想像もできていないようなのが、見ていて恐くてしょうがない。
