腹も立つけどね。
◇安倍晋三が、この朝鮮半島の危機的状況の中、1万5千人集めて花見大会をしたとかで、例の公人か私人かわからない女性といっしょにタレントたちに囲まれて満面の笑みを浮かべてる、これぞ自虐的としか見えない写真がネットで話題になっている。批判している人や怒っている人も多い。
私もまあ腹は立つけれど、それ以上に恐かったりあきれたり、認めたくないが気の毒だったりするのは、本当にこの状況の中で、「すること何も思いつかないんだろうなあ」ということだ。
私だって人並みの権力欲はある。この年になっても、世界や一国を支配して自分の好きなように動かせたらどうだろうかという空想ぐらいはできる。
おおむね、考えてるだけでも大変そうで疲れるので、まあやめとくかよっぽど頼まれでもしないんだったらという気持ちにはなるが、それでも、ちょっと思うのは、私が日本の首相だったら、この状況はものすごく危険で微妙で重要で大変だろうと思えばこそ、きっとわくわくして、やることいっぱい考えついて、夜も眠れないだろうということだ。
北朝鮮にどう言おうか、トランプの性格からしてこういう時にはどういう説得が有効か、中国をどう使うか、ああしてこうしてここに連絡して、こういう声明を出して、誰といつ会談してとか、未来や現在を展望して、いろんな専門家筋の見解を聞いて、策を弄して駆け引きをして、平和と正義をまっとうするのに、今こそ政治家としての腕の見せ所と、血沸き肉躍るだろうにということだ。花見だって即キャンセルする。その非常事態がまた、こたえられないと思う。
◇安倍晋三が、そういうこと全部した上で花見をしてる顔にはとても見えないし、第一まったくこれといった見解も行動も声明も分析も、この数日間していない。どう考えても、どう見ても、することも言うことも思いつけないんですよあの人は。花見でもする以外には。
不幸だよなあ。絶大な権力と、それができる立場を手にしていながら、何一つ使いこなせる頭も心も知恵も気概もないなんて。どんなにつまらない毎日だろう。政治家や首相でしかできないことをしないで、何が楽しいんだろう。花見なんて私でも、ホームレスでもできることだよ。そんなことしか、すること思いつけないのか。
◇私は宗像市長の沖ノ島世界遺産の件も、福岡教育大の学長の自分に権力集中させるいろんな規則の改変も、トランプの壁作りも安倍晋三の改憲や共謀罪も、全部ろくでもないもんの一言につきると思うが、いつも心のどこかでわき上がってきて困る、彼らへの弁明は、「いやーでもきっと、他に思いつくことないから、しかたないんだろうなあ」である。
イギリスのユーモアミステリ「懐かしい殺人」シリーズの中で、どんな凶悪犯でも無罪にしてしまう、凄腕の弁護士が登場していて、なかなか笑えるんだけど(酔っぱらい運転で、安全地帯で電車を待ってた貧しい未亡人をひき殺した男を無罪にしたのみか、その未亡人の幼い遺児三人から賠償金まで取ることに成功した、とか何とか)、私がその弁護士的に凄腕で、安倍晋三初めそういう、しょうもない支配者、指導者を弁護するとしたら、もう理屈ってそれしかないよね。しかもこれ、案外正確な気もしてしょうがない。
◇自分が大学内のささやかな役職についた時の体験からしても、本当に自分の管理する組織や社会のために何かしよう、そこにいる構成員のすべてを少しでも幸福にしようと思ったら、するべきことや考えることは本来山ほどある。たたけばほこりというぐらい、何かをしようとすればするほど、やるべきことは次々出てくる。実態を調べ、皆の意見に耳を傾け、調整し、説得し、判断し、そりゃもう時間や精力がどれだけあっても足るものではない。
しかし、それがめんどうだからとか、つらいからとか、手に余ったり能力がないからとサボって投げたら、今度はもう、本当に絶望的にすることなんて何もなくなる。何でも宗像市長は、陳情や請願に来た人には直接会わないことにしているとかで、それ聞いたときはそんなせっかくの貴重な意見を聞く機会を逃してどうすんだと、思わずのけぞってしまったが、そうやっていったん逃げや守りの姿勢に入ったとたん、もはや自分に役に立つ貴重な意見や情報が、本当に自分のためになることか、陥れよう、攻撃しようとする敵の企みか、それさえ区別がつかないから、何も耳に入れることができなくなる。
そうなると、本当にすることがないし、何をしていいかわからない。よってもう、確実にある程度は支持する人はいるだろう、とことんしょうもないことしか思いつけなくなり、反対する人や抵抗する人を弾圧して攻撃することが、何か仕事をしている充実感にすりかわる。相手をちゃんと説得したりすることなんかする気もできるわけもなくて、そもそもそんな力のある人だったら、もっと他にすることをいくらでも見つけているだろう。
◇小林多喜二全集を第一巻から読んでいる。私小説みたいな短編だが、これがなかなか面白い。こんなの個人全集でなきゃ絶対に収録されないだろう、初期の短編だが、いろいろ未熟だけど、あるパワフルさと素直さがすでにちゃんとある。こんなものまで目にすることができるのが、何やらものすごくぜいたくなことをしている気がする。とはいえ、15冊あるのを、いったいいつ読むつもりなんだ私。これは当分海外ドラマのDVDは禁止かな。
片岡寛光に関する「偉人の面影」の短文も面白いので思わず、全部写してしまった。いずれ忘れない内にここの紀行文コーナーにでもアップしておきたい。とか言ってたら、なにーもうこんな時間か。そろそろ風呂にも入らねば。