花のような車
新しい黄色い車で走っていると、妙に道がすいていて、楽に走れる気がする。ただの偶然だろうか。それとも、目立つ色だから、それとなく、よけられているんだろうか。たまにだが、逆に妙に後ろからくっつかれたり、横から寄せられたりするような時があるが、これも、前の車より微妙に大きいからなのか、ノロノロ運転だからイラツカれてるのか、よくわからない。
いずれにしても、この鮮やかな色の新しい車が、どう見えているのか乗っている分にはわからない。ときどきバックミラーに車体の一部が映って目に入ると、何と目立つ色なんだとあらためて、びっくりする。
ものすごく唐突な連想だが、美人とかイケメンとかは、こういう気分で日夜暮らしているのかと、ちょっと実感したりする。自分じゃ見えないもんなあ。足の長さも肌のきれいさも高い鼻も大きな目もかわいらしい笑顔も。人の反応や視線や、ウィンドウにちらっと映るときに何となく伝わる程度で。不便だな、気の毒だな、何より危険だな。ちょっと同情する。しかし、今の私は、車に乗っている時は、それと似た状況かもしれない。
そういうわかりやすい外見はともかく、肩書とか能力とか性格とか印象とかは、人にどう見られているか、どこまで自分の責任かわからないから、それもかえって恐いよな。今日、いつもフィルムを現像に出すお店で、なじみの店員の方から「授業はどのくらい行ってられるんですか?」と聞かれて「もう定年になったし、週に一回だけよ」と言ったら、「でも教授なんですよね」と、遠慮がちに聞かれた。ひかえめで全然いやな感じじゃなかったけど。「年とったら、誰でもなれるのよ」と答えてしまったが、正しい解答だったかわからない。多分、微妙にまちがっている。
自分では気がつかないが、朝晩ひっくりかえった私の生活ぶりや、その他いろいろ突飛な行動は、「あの人は大学のセンセイだから」「学者だから」で、免罪されている部分がどれだけあるのだろうなと、時々思う。「ぬれぎぬと文学」の中でも書いたが、私がときどき、無実の罪で牢屋に入ってみたいと思うのは、そうなったとき、自分が他人や周囲にどう評価されるのか、知りたいということも、たしかにある。
それで、車の話だが、黄色の難点は虫に好かれるということだとネットで読んだが、それほどでもないと思っていた。だがたしかに、よく小さな虫がボンネットやドアにとまっている。花の色だからしかたがないのだそうだ。
間近にせまった講演の準備をしている。資料や参加者の関係で、内容が二転三転して、もうどうなってるのか自分でもわからない。まあ、何とかなるだろうと思うしかない。