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荻昌弘さん

冷蔵庫をのぞいたら、太ったナスビと玉ねぎが一個あった。せっかくだからそれで味噌汁を作ったら、やたらおいしくて、翌日も同じものを食べた。もう味噌がなくなりかけてかちこちになりかけてるのだが、それでもうまい。今朝は、長ネギの残りのかけらも見つかったので、明日もまた味噌汁を作るか。なぜかまちがって、人参もたくさん買ってしまったので、芸もないけどカレーも作っちゃおかな。最近もう五分でできるおかずばっかり作っているが、それでもけっこう、なぜか満足して食べすぎてしまう。

たまには下ごしらえもするかと、今朝は鶏肉を切って生姜といっしょに味醂醤油につけこんでおいたのだが、最近体調を崩して元気のない飼い猫のカツジが、調理台の前の床に大の字になって寝ているので、起こしちゃ悪いと思って、料理ができず、ありあわせのものですませた。カツジのやつ、ずっと寝てばかりなので、毎日、ひょっとして死んでるんじゃないかとさわってみるのだが、ちゃんと息をしていて、毛もふわふわとやわらかく、顔つきも変わらないので、どうなっているのかわからない。私も年のせいで、どうかすると足がよろめいたりするから、ふんづけないかと気が気じゃない。老衰で死ぬならともかく、飼い主に踏まれて死ぬのなんて、猫の最期としちゃあんまりだろう。ねえカツジ。

先日青い朝顔の花の写真をフェイスブックでほめていただいたが、今朝また同じ色のが一つ咲いていた。花びらが少しめくれてるのは、私が寝坊して、咲きたてを撮れなかったからです。バラも朝顔も手入れをするヒマもないのに、ちょこちょこ勝手に咲いていて、かわいいのだが、気がとがめる。

 こっちの赤い朝顔は、だんだん花が増えて来た。

昨日ちょっと書いた、朝ドラ「あんぱん」の、永六輔といずみたくがモデルの二人が、小さいミュージカルをやって、喬も参加する話に関してですが。

子どものころ、家で「週刊朝日」を購読していて、荻昌弘さんの「週刊試写室」という数ページの映画欄で、四五本の映画が紹介されていました。映画館は遠くの町にしかなくて、なかなか見にも行けなかったのですが、私はその欄を愛読していて、見ないままだったいくつもの映画の批評を今でも覚えています。後で自分で見た中では「アラビアのロレンス」や「ブーベの恋人」が印象に残っています。荻さんは、「ブーベの恋人」のクラウディア・カルディナーレが、田舎娘のいちずさで共産党員の若者にのめりこんで行く姿の熱気を感じさせる演技を賞賛していました。

家では「文藝春秋」も購読していて、ここにも映画欄がありました。あらすじと見どころと一言批評などが、洒落っ気があって面白く、そちらも愛読していました。ソ連映画の大作「戦場」の一言批評を「赤字で書いた『七生報国』」などと評していて、面白かったです。フランク・キャプラの「波も涙も暖かい」も、けなしつつほめてて、その案配が楽しかった。

荻さんはちょうど昭和天皇と同じ頃に亡くなられて、だから崩御の記事に隠れて、話題にもならなかったのが、私はすごくものたりなくて残念でなりませんでした。追悼記事とかあったら読みたかったです。

前置きがいつもながら長すぎるんですけど(笑)、この荻さんが、わりといつも、日本のミュージカルが生まれないことを気にして嘆いておられたんですよ。ハリウッド女優のアン・マーグレットがちっとも魅力を活かした役に出ないのを不満がっておられたのと同じ程度に(笑)。

私はミュージカルについて、特に知識も関心もなかったから、へええと思って読んでただけでした。特に印象に残っているのは、たまたま二つの日本製ミュージカルが公開されて、荻さんはそのどちらも、いろんな点で不満で、細かく批判しておられて、外国のミュージカルに肩を並べることなんていつになるかわからないという、失望や嘆きがこもっていました。最後に「あせることはない。気長に待つしかない」というような一文で、希望と期待を述べておられたのを覚えています。

二つの映画の題名も全然覚えていないのですが、ただひとつ、荻さんが、わずかに評価しておられたのが、一方の映画の「タクラマカン」というナンバーで、これを頼りに検索したら「君も出世ができる」というミュージカルのようで、そう言えばそんな題名だった気もします。歌っていたのが高島忠夫だったというのも何だかおぼろな記憶がある。

これが1964年の映画で、ということは、「あんぱん」で永六輔たちが作ったあのミュージカルと時代的にはどうなんだろう。あれが作られた時の日本のミュージカル事情って、どんなんだったんだろう、珍しかったんだろうか、軽視されてたんだろうか、そんなことがいろいろ気になる。

プロ野球の話ですが、私は野茂投手がメジャーに行って、ベンチで大リーガーの選手たちと談笑してる映像を見た、日本の解説者か関係者が、「ああ、野茂がああして…」と感無量の夢見心地でつぶやいているのをリアルタイムで見てました。あのころは、メジャーなんて、それほどに手の届かない遠くの異次元の高みにありました。それから何年たったでしょうか、私の感覚ではあっという間と言いたいぐらい短い時間に、日本人の選手たちがメジャーを席巻しトップに立つのが珍しくもなくなりました。

多分、ミュージカルも荻さんの嘆いていたころは、そのくらい、外国とはかけはなれた、日本人には手の届かない存在だったのです。

そういう中で作られた、あの「あんぱん」のミュージカルは、どのような位置にあり、どんな雰囲気の中で、どんな背景を持っていたのか。そもそもあのエピソードが創作か事実にもとづくのかも私は知りませんが、どっちにしても、思えば思うほど、気になってなりません。調べる気力も余力もないから、誰か教えてくれないかしらん(笑)。

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カツジ猫