血迷ったかしら
少し前から赤旗の日刊をとりはじめている。もう十年ぐらい休んでいたのだが、我ながら何を血迷ったか、勧誘もされないのに、今までとっていた日曜版に加えて購読を決めた。何がきっかけだったかもう忘れたが(笑)、多分参院選の結果に腹を立てたのだろう(笑)。
日曜版に比べると地味だが、日刊は落ち着いた雰囲気で、ふまじめに読み流していても、何となく参考になることが多い。とは言え、私はいつもながらしょうもない読み方をしていて、今日は読者の文芸投稿欄の次のような、のんきな短歌になごんだ。
白熊が山を寄り切り海を投げ土俵は神話再生装置
批評にも「力士の四股名に着目した機知が、壮大な空想へ広がって行く。愉快な一首だ」とあった。
でも昨日のコラム「朝の風」には、参政党のくだらなすぎるような憲法草案をバカにしてはいけないとあって、決して憲法のイロハも知らない素人の作品ではなく、「権利」の代わりに「権理」の語を使っているのも、明治憲法制定時に真摯に論議された事実を承知しているからだ、侮ってはならないと指摘していた。そうなのか。
私は自分もそうだから、この語を使ったのもバカなやつが、どっかで聞きかじり見かじったものを、てきとーにえらそうに使ってみただけじゃないかという気もまだしているのだけど、それにしても用心するに越したことはないか。
甲子園では熱戦が続いている。つい見ていると、プレイもすごいが、各選手たちの名前がどれもこれも普通では読めないような、お洒落で手のこんだものなのに驚く。これでは学校の先生も名簿を読むのに大変だろうと、思わず変な同情をする。そんな中にときどき、昔ながらのとても古風な普通の名前の選手がいると、何だかほっとしてしまうのもおかしい。
赤紫の朝顔は、今朝はますますたおやかに咲き乱れていた。バラの鉢のいくつかに、やっと少しだけ栄養剤の入った水をかけてやった。猫のカツジの具合はあまりよくない。顔も少しやつれて来て、いつものまんまるい顔ではなくなって来た。彼の世話をしてくれたことのある人が今夜来てくれるかもしれないので、少しは家を片づけておくかな。


