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菱岡氏と小津久足

菱岡憲司氏の『大才子 小津久足』がサントリー学芸賞を受賞したそうです。

私は文化勲章でもノーベル賞でもアカデミー賞でも、受賞した人や作品を「すごい!」と思うのではなく、「おー、その作品に与えるとは、なかなか見る目のある立派な賞だ」と反射的に感じてしまう性格なのですけど(笑)、そういう意味もひっくるめて、このニュースは本当にうれしい。

小津久足はもともと江戸時代の蔵書家、滝沢馬琴の友人として知られていた人ではあった。でも、紀行作家として注目や評価をされたことはあまりない。私はあれこれ怠けつつ、江戸時代の紀行研究だけは、そこそこやって来たけれど、その中で、江戸紀行の到達点を示すすぐれた作家として、小津久足をひとりでに発掘できたことは、とても満足している。

ただ、もうかなり遅くなっての発見だったから、彼を全力で研究するのには間に合わなかった。それを菱岡氏が取り組んで充分に立ち向かってくれたのは、これまた私にとって、それ以上に久足にとって、最大の幸福である。

久足の作品を読んでいると、もちろん努力も苦労もしている人だが、それにしても幸運で幸福で、それを全然悪びれずに享受している人で、何となく私が庭で拾って育てて、今は親切なご家族のところで、ぬくぬくいばって暮らしている「じゅんぺい」(今は新しい名をもらっている)という子猫を思い出す。幸せすぎて憎たらしいが、しかしあの態度や風付きは、絶対死ぬまで幸福だろう不幸や災難はよけて通るだろうと思わせるのが、しゃくだし安心もする。紀行作家としてずうっと無名だった久足だが、今見ていると、「やっぱりとことん幸運な人だ」と吐息をつかずにいられない。

何しろ菱岡氏という研究者を得たのは久足にとって幸福だ。菱岡氏は国文学のみならず、語学だのパソコンだのの方面でも(素人の私には程度がわからないが)関心や能力を有しており、もちろん歴史その他の関連する諸学にも積極的に関わって、かいなでではない取り組みをする。資料調査や翻刻といった基礎作業にも決して手を抜かず良心的で、安心して読めるものを発表する。生活面や人生面でも冒険を恐れず、しかも完璧を期す。

彼はともすれば、ことあるごとに、大学で卒論指導教官だった私に感謝し、ほめちぎってくれるのだが、もともとそういう、いろんなすぐれた資質は備えていた人で、私にもし指導者としての功績があるとすれば、そのような彼を他の分野に奪われず、国文学の世界にひきとどめ続けたということぐらいだろう。それだって、なぜそんなことができたのか私は今でもわからない。

先日も授業で学生の前で大見得切ってしまったが、私は「立派な教師」として学生の印象に残ったら負けだという信念があって、私の名や存在は忘れても、私が教えたことを身に着けて大いに成長して、でもそれは自分のせいで、私のおかげとかはまったく思わない、というようになりたいと、いつも夢見ている(あまりうまくは行かない)。菱岡氏の場合はそれ以上で、彼の資質と努力以外に私が何かを貢献したとは、まったく、とても思えない。

でも、それでも、紀行研究をずっとして来て小津久足に注目して、それを菱岡氏という研究者によって多くの人に知ってもらえる結果を作れたということは、それこそ人生において、大きな幸福でしかない。自分は恵まれているとつくづく思う。自分自身の研究もまだまだ満足していないし、やめるつもりはないけれど、せいいっぱいに努力した結果、たとえ、すべてが中途半端の不完全に終わるとしても、やっぱり自分の一生は悪くなかったと思えるぐらい幸福である。

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カツジ猫