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見つかるものだ。

◇昨日、街に行ったら(憲法フェスタには時間の都合で参加できなかった)、博多駅前で、どこかの団体がでかい街宣車で「集団的自衛権は世界の常識」というアピールを掲げて、中国の脅威などを演説していた。昔は過激派の学生同様、右翼の演説も独特の、ほとんど聞き取れない絶叫口調だったのだが、最近はたいそう穏やかで理性的な調子でしゃべるので、近くまで行かないと、どういう人たちなのかがわからない。車でそばを通り過ぎるときにやっとわかって、「アベ政治を許さない」のポスターが車にあったので、そばに行ってそれ持って立っておきたかったが、用事があって残念ながら通過した。

◇そう言えば、沖ノ島を世界遺産にをアピールする何とかいう集まりがアクロスであっていたのにも、忘れていて結局行けなかった。思い出したのは昨日だったかの毎日新聞に、それに出ていたイコモスとやらのえらい人が、現地の沖ノ島に視察に行って、神々しいものを感じたと話したという記事が載っていたからで、結局女性のいない男性だけの視察団が島を訪問したのだろう。そういうことにも何も感じなかったのなら、イコモスという組織の人権意識を疑わざるを得ない。
こんなことがくり返されて、既成事実になって「女性の行ってはならない場所」の存在が自然に公式に認定されていくと思うと、やりきれない。それを世界に発信する恥の根源の地に、自分が住んでいて何もできないのも最近本当にいらだたしい。
だいたい、女性問題、人権問題もそうだが、「神の住む町」などと、しれっとポスターなどに書かれて、市内のクリスチャン、仏教徒、創価学会の人たちは何とも感じないのだろうか。もちろん無神論者の人も。ハロウィンとかで楽しむのとは次元がちがう、ピント外れなコピーだ。

しかも、何よりも、この世界遺産にどれだけ今後金がかかる予定なのか、市民はまったく知らされていない。市役所に質問に行った人は「ライバルの手に渡っては困るから、一切の資料は公開できない」と言われたそうだ。私はまあ、女人禁制という女性差別を世界に発信して害毒を流すのと、原発事故で汚染を広げるのとどっちがいやかと言うと、昔は原発よりはましかもと考えたこともあったが、最近では身体と心とどっちをむしばむのが罪が重いか、甲乙つけがたいという気にもなっているのだが、どっちにしても、原発同様、地元の人には何も知らせないままでことが進むという図式は、地方自治体のあり方としても最悪だ。

しかも最近また国民保険の金額を宗像市は引き上げて、市民に負担を増やしている。国民保険自体、そこまで財源がせっぱつまっているわけでもないと問題になっているが、少なくとも世界遺産にかける金を回したら、値上げなどしないで、余裕で乗り切れるのではないか。「ないか」と書くのは、今言ったように、世界遺産の事業にどれだけかかるかが、まったく公開されていないから、推測するしかないからだが。もし万一、不愉快にも不幸にも、沖ノ島が世界遺産になってしまったとしたら、その維持費や管理費だけでどれだけかかるか、まったくわからない。多分、市も予想がついてないだろう。

女人禁制はもう認められている、とよく引き合いに出されるのが吉野の大峰だが、ろくでもないことが一つあるから二つ目はいいでしょうという理論自体がとんでもないのはおいとくとして、険しい山の上の大峰とちがって、沖ノ島は海上で、船でジャックすれば誰でも上陸できる。女性の侵入はさておき、盗難や破壊を防ぐには監視体制をさぞや強化し、監視船も回らせないといけないだろうが、その予算は私の国保料金から削られるのかなー。私自身は死ぬまで行けない場所のために。本当に、いろいろ、ばかにおしでない。

◇宗像市は、わりとまだ十分使える体育館が市内にあるのに、それを三つもとりこわして、高齢者なんかなかなか行けない不便な場所に、どでかい新体育館を建てるというのも問題になっていた。どうやらオリンピックとのからみもあるらしいとか噂されていて、共産党や、市民団体がいろいろずいぶん反対していた。私も、どの団体かの代表には名を連ねていた。
先日、その団体の人から、体育館建設は廃止になったと教えてもらって、まあよかったと思っていたら、昨日メールが来て、廃止でなくて凍結だそうだ。つまりまだ、どうなるかわからないらしい。これもまた、巨額の事業が市民の声も十分に聞かないまま、推し進められようとしていた。まったく、国と言い、教育大学と言い、宗像市と言い、何から先にしたらいいのか、優先順位を考えてほしい。

◇と、なかなかぱっとした話題がないけど、昨日、街で、かわいい猿のぬいぐるみが見つかって、買ってしまった。これはちょっと、うれしい。
私は実物もおもちゃも、猿は好きじゃない。恐いとかは全然ないし、見るのは面白いけど、とにかく好みではない。年賀状に猿の絵を描くのが気がすすまなくて、97歳になる母が、どうせ死ぬなら今年中に亡くなってくれたら年賀状を書かないですむのにと、あっちこっちで罰当たりなことを言って、引かれていた(笑)。

毎年、田舎の家におく分もあって、干支の置物をいくつも買うのだが、猿はもうやめようと思って、でも何かかわいいのがあればと、夏ごろから探して、気に入ったぬいぐるみをいくつか買っていた。母の部屋や家の窓や玄関に置くのにいいと思ったのだ。
昨日手に入れたのは、外国製のおもちゃで、けっこう高かったが、ふわふわして手触りもよく、顔もあまり甘ったるくなく、でもとてもかわいい。もうこれで、正月用は十分…かな? いいのがあったら、また買いそうで恐いな。

◇キャラメル猫の墓のある中庭では、ルリマツリがすごいことになっている。ずんずん伸びて広がって、その内に樹木化しそうな勢いだ。初代猫おゆきさんの墓に植えた何とかいうピンクの花も、ここに来て勢いづいてはびこって、ルリマツリの青い花とまじってきれいだが、しかし、そろそろ何とかしないと。その中にさっぱりなつかない白黒猫のマキが、どっかり座っている様子は、何だかもう(笑)。

猫と言えば、この前カツジ猫が食べなかった、またたび入りのエサの食器を、前庭の玄関横にある、シナモン猫の墓の前においていたのが空になってたので、取りに行ったら、草むらから白黒や黒や三匹の猫がばさっと飛び出して私をにらんで逃げていった。
最近よく家の周りを歩いている連中で、どうやらごちそうを食べた場所が忘れられず、そこで寝ていたらしい。日当たりのいい枯草の中で、以前、外猫のしまおも、よくそこにいた。
まあしかし、もうエサをやるのは悪いけど、
これっきりになるだろう。一度見かけた小さい黒の子猫だけは、しょうがなかったら家に入れて、「みなしご救援隊」に終生飼育をお願いしてお金を払って届けようと思っていたのだが、それきり二度と見かけない。どうしたのか、気になっている。

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カツジ猫