言い方がさあ
今夜はもう、うすら寒い。そして、月が美しい。
知り合いの人が、アニメ「カンフー・パンダ」の老師のカメの死に方つーか消え方が理想だと私が言ったものだから、DVDを見たら、老師がいなくなった喪失感その他で落ちこんだそうだ。それでつい、私もまた見たくなって手持ちのDVDを探したのだが、どこに行ったかわからない。実は、ずっと昔に買ったビデオ(DVDじゃないぞ)の「コロンブス」も、読みさしの「死者はいつまでも若い」の本も、どっちも上巻だけで下巻が見つからない。いらいらするよう。
かまわないから上巻から手をつけようかとも思うが、見つからないまま、上巻を見たり読んだりしてしまって、続きを知りたくてたまらなくなって、やっぱり見つからなかったらどうしようと思うと、それもできない。ローレンス・ブロックのミステリ「マット・スカダー」シリーズで、主役の恋人のエレインが、ホテルの部屋にあった小説本をどうしても最後まで読みたくてとうとう持って帰ったら、最後は「続編につづく」となっていて、天罰を受けたと思ったと語る場面があるけどね。たしかにそれは、ひどい罰だもんな。
ちゃんと家を片づけたら、どっちも出て来るんだろうけど、そのヒマがないんだよ。
そっ、それより今リンクしようと「カンフー・パンダ」を検索したら、カメのウーグウェイ導師は「3」に出てくるのか! 私、映画館で「2」までは見たんだけど。あー、久しぶりにレンタルショップに行こうかしらん。
「江戸紀行備忘録」を、ちょこちょこ更新している。タイトルだけをまた増やしてしまってすみません。「朽鞋雑話」を書いた徳永信之の別の随筆「寄生木草紙」のコピーも見つけたので、ちょっと読みだしたら、これもなかなか面白くてやめられなくなりそう。
最近私は本当に、時事問題や社会問題から遠ざかってるので、政治の動きなんかも知らないし、世にも大ざっぱな書き方になるんだけど、スガ首相が従わない公務員は更迭するとか、河野大臣がハンコ廃止に協力しない者は処分するとか、あのね、そのてっとりばやい言い方がねえ。最終的にそうなるとしても、そうすると決意していても、何かを今からはじめようという時に、最初に言うことばじゃないと思うのね、それは。
話の進め方というか言い方がさあ。どういうか、中抜きなんだよね。中抜きは得意なはずなのに。
こうしようと思うけど、どうだろう、可能かな、何か見落としてる要素はないかな、と、まず周囲や専門家や関係者に投げかけてみて、反応を見て意見を聞いて、自分の案とのちがいを煮詰めて、譲れるところとそうでないところ、そもそもなぜそのちがいが生まれているかを整理して観察して、補充や修正や添削を加えてから出すもんだろうが、方針とか案とかいうものは。そして、どうしても貫きたい点をはっきりさせて、それにどうしても従わない人がいたら、その時点で処分や処遇を考えても絶対遅くない。というか、そうしなければいけないんだって。でないと、欠陥だらけの原案が出回って、いらん反発や混乱が起こって、手直しやごまかしに手間と時間が取られるのがオチだ。
最初から、「意見言ったら、反対したら、処罰するぞ」と口を閉ざさしたら、何のために高い金はらってアドバイスや忠告もらうための頭脳集団雇ってるんだよなあ。忖度忖度言うけれど、アベからスガから、これほど忖度のやり方も効用も知らない集団って、珍しいぞ、いやほんと。
写真は庭のあちこちに、最後を飾って咲き始めた、昔ながらの真っ赤な彼岸花。