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やりたい放題

先週の日曜日、うっかりやってしまった新聞の、ヒントがまったくないクロスワードパズル、いつもはわりとうまく行くのだが、妙に手こずってしまい、最後まですっきりしない部分が残った。しゃくだからパソコンの横において時々見直していたのだが、とうとう昨日(あら、もう一昨日か)になって、解答の載った新聞が来てしまった。くやしがりながら見てみたら、だいたい合ってて、一文字しかまちがってなかった。しかしやばい。癖になりそう。ナンクロ(ナンバークロスワード)と言うのらしい。

今日はお客さんが来て楽しく過ごしたあと、夕食を食べようとして作りおきのおかずが切れていたことに気づいた。どうしようかと迷いながら、お客が来るので掃除もして心地よく片づいた部屋で、だらだらしていたら、十時近くになってしまった。やけになって酢豚とハンバーグを作ったら、熱い白ごはんといっしょに食べたくなり、夜中近くにごはんを炊いて、さっきたらふく食べた。好き放題やりたい放題の、こんな暮らしは最高の贅沢だが、どう考えても、ものすごく体重増えてそう。明日は半年ぶりに、ジムをのぞいて見ようかしらん。

お客さんは、先日私が、ホークスファンの知人と選手(のような子)を選んで新学期のクラス分けをするとしたら、自分のクラスには誰がほしいかという、しょうもないことを言い合っていたブログを見ていて、私が「自分は地味な静かなクラスを作りたい」と書いてたので、先生の大学の研究室は火事場のような明るさだったらしいのに、その反対がいいのかと不思議がった。まあそれは年度によってちがったのだが、たしかに騒々しい自由奔放さが基本の研究室ではあった。
「反対のものにあこがれるのかもね」と答えたのだが、あとで考えると、大学の研究室なら武田と大場と千賀と森と柳田が同時にいたって私は全然かまわないのだが、知人とクラス分け云々の話をしたのは、小学校か中学校のクラスを想定していて、そうなるとまたちがう。

ちなみに、そのホークスファンの知人とは、九鬼を引き受けるから甲斐と中村とモイネロをもらえればとか、千賀と森は他の先生に譲りたいとか、明石は色っぽすぎて教師として道を踏み外しそうだから絶対によそのクラスにとか、ご本人たちには絶対聞かせられないやりとりを続けていて、私は明石はそういう点ではたしかにヤバいかもしれないが、彼を受け持ったよそのクラスの担任が道を誤らないか毎日気にするのも疲れそうだから、自分のクラスにおいて朝顔の観察日記当番でもさせておく方が無難かもしれないとか、上林や牧原など手強そうでも何となく、やることの予想がつく生徒はまあいいとして、予測がつかない周東、甲斐野、高橋礼あたりは、特に三人そろっては絶対にクラスに入れたくない、気がついたら三人で裏の川に手製の舟を浮かべて海まで行こうとか計画してそうで、しかも問い詰めたら誰が首謀者か自分たちでもきっとわかってないだろうから処分の軽重の決定もすごく難しいだろうとか、あくまでもどこまでもイメージにすぎない勝手なことを考えていた。

しかし恐ろしいもので、その知人がクラス作りの相談をするのに誰彼がいいみたいなことを言うのを聞いていると、私はたとえ頼りになる好みの生徒をクラスにそろえるとしても、その誰かを相談役にしようという発想がかけらもないのに気がついて、自分の教師としての特徴を思い知らされることにもなった。
大学の附属高校で教育実習の打ち合わせを、実習生や先生としているとき、よく先生が「このクラスは、この子とこの子がしっかりしているから、発言させて授業を作って行くといい」みたいな感じの指導をされていた。私は聞いていて、毎回ひそかにそれにびびった。金も払わず、生徒に授業の補助をさせるんかい、教師のプライドはないんかいみたいなことを思っていたのだろう。

教師として過ごして来て、多分ずっと一貫していたのは、どの生徒とも学生とも等距離を保とうとし続けたことだ。箸にも棒にもかからない劣等生でも、私以上に優秀な優等生でも、とことんウマが合わない子でも、魂が呼び合うほどに気が合いそうな子でも、私は近づけも遠ざけもしなかった。本当は誰が好きで誰が嫌いか、ちらとでも気づかせてはおしまいと思っていた。
せっかくだから、しょうもないクラス分けの話で言うと、たとえ千賀のことを牧原や栗原と笑って噂にして盛り上がっていたとしても、絶対に本気でとことん二人と一体化はせず、常に心で一線を引くだろう。学生や生徒も、それはどこかでわかっていたはずだ。わかっていない学生や生徒を私は一番警戒した。
相手と一体化しながら確固とした距離を保ち、一線を超えない。このテクニックは江戸の遊女の客あしらいにも通じることがあるかもしれない(笑)。

私のような教師は案外少ないかもしれない。長く中学校に勤めた親友も、大学時代の恩師の一人も、多分そういうタイプではなかったし、そしてすぐれた教師だった。附属学校の先生の先の指導でもわかるように、優秀な生徒を教師の味方にして授業の補助をさせるというのは、多分、すでに指導マニュアルとして成立しているのだろう。
だが私は、自分のやり方を変える気はないし、自分の方が教師のあり方としては正しいと思っている(笑)。

教師と学生は、基本的には敵だと私は考えている。そうしておかなければいけないと思っている。彼らは私と情け容赦なく戦えるように、敵対できるようにしておかなくてはいけない。それもまた実は幻想であるにしても。それを信じさせることもまた、敵をあざむく手段の一つであるにしても。
立場が上で、権力を持つ者と、そうでない者の間に、真の意味での一体化はあり得ない。そういう点で、教師や権力者は、常に孤独なのだ。それは悲劇などではない。当然なのだ。

多分、私自身が中学校までは優等生で、のどかな田舎の学校だったから、ゆるやかなものだったけれど、どこかでいつも、それとなく、先生の側に立つ役割をになわされていたからだろう。私はそれが理解できずに、いつもとまどっていた。
成績はよかったけれど、授業では私はいつも落ちこぼれていた。質問の答えがわかって、はりきって手を挙げると、いつも早すぎるから先生は「ちょっと待って」と目で合図する。いつからか私はそれを察して、わかっていても手を挙げず、どこで自分が手を上げて正解を言ったら、一番先生は助かるかを察しつつ、授業を受けるようになっていた。

本当に必死で考え、答えを探し、授業に参加することを、私は許されないまま過ごしていた。いつの間にか、授業中に他のことを考えるようになり、いつの間にか、いくつかの授業からは落ちこぼれた。学校も教室も楽しく、先生も友人も好きだったが、学ぶ喜びや知る喜びを私が味わったのは、教室ではなく、自宅での読書である。
私が今、「優等生を利用した学級運営、授業づくり」にどうしても共感できないのは、自分のそういう体験のせいである。

あらー、またこんな時間か。ハンバーグも消化できたろうから、そろそろ寝よう。

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カツジ猫