貝原益軒と怪談
土砂降りで雷もすごく、テレビもパソコンもつけずにあたりを片づけていました。静かな家はなかなかよかったです。
朝ドラ「ばけばけ」は、どうやらとことん、コメディータッチで行く方針のようで、せりふも演技も全部がそれ風。ですが、さすがに名優揃いで、それがちっともいやじゃない。むしろ快適で、感心させられます。
私、ワイドショーやその他で、ゲストで出ていた芸人が、実に下手で面白くもないボケたせりふで目立とうとするのが、もう大嫌いで、リモコンが近くにあれば、どんな見たい番組でもチャンネルを変えます。相手や回りの雰囲気も読めず、もともとカンもセンスも皆無のやつが、ウケ狙いで場違いな冗談を言うほど、気持ちの悪いものはない。慣れんことはやめとけというか、もっと芸をみがいてから出直せとか、画面に向かってののしりたくなる。
それが、さすがに「ばけばけ」には一切ない。ドタバタになりそうで、決してならない。子役から端役まで、間合いや口調を完璧に整えて、きっちり喜劇を演じている。何よりそれが快いです。
ただちょっと気になるのは、そもそもこのドラマの根幹の怪談話についてなんですが。
私、一応、大学の卒論は「貝原益軒の紀行文」がテーマで、一応、彼の「養生訓」を初めとした教訓書類も全部読んだんですよね、あたりまえのことですが。その中の「和俗童子訓」だったかな、子どもの教育について触れた部分で、すごいなと思ったのは、体罰についての記述や禁止が、いっさいないんですよ。つまりふれるまでもなく、武士の家庭では、そんなの考える余地もないぐらい、体罰そのものが存在しなかったんだと思う。
「してはいけない」と益軒が禁じてるのは、「恐い話を聞かせない」ということなんです。精神的虐待を禁じている。「無学な乳母などにまかせると、怪談話などを聞かせて、それにおびえて、惰弱な精神を持つ子に育つ。武士の子として育てる上で、あってはならないことである」みたいな文章だったと思う。
西欧が近現代まで、鞭で子どもをしつけるのが家庭でも学校でも普通だったのに対して(ついでに言うなら近現代の日本でも)、何という文化度の高さよと、ショックだったので覚えています。
「ばけばけ」では、無学な乳母どころか、おっかさんが怪談を聞かせてますからね、子守唄代わりに。それを子どもも喜んでいる。
これがどれだけ、モデルとなったセツさんの幼時の事実に基づいている脚本なのかはわかりませんが、二言目には「武士の家」を強調するあの家庭が、益軒の教訓書と真反対の文化を持っているというのが、いやに気になります。
まあ、実際には怪談を子どもに聞かせる武士の家庭が多かったから、益軒が、そんな注意をしたのかもしれませんけどね。
数日前、母の誕生日でした。とっくに亡くなってる人ですけど(笑)。
実はこの日に突然フェイスブックに、私への誕生日祝いが書き込まれてびっくりしたのですが、私はもともと、自分の誕生日を公開しておらず、ましてや母の誕生日なんて、どこにも書いた覚えはなく、どこかで何かの誤った情報でも流れたのだろうと思います。とにかく、母の誕生日と、その件は、何の関係もありません。
生きているときの名残りで、ついバースデーカードを書いて、ケーキを食べて、母が好きだった三浦洸一さんの曲を一日中流して、お祝いしました。まあ命日にも同じことをやるんですけどね。なお、「がめら」と「がめろん」は、母と私がつけあっていた、あだ名です。


自民党総裁は高市氏か。いろんな意味で不安しかない。