民教連サークル通信より原民喜がいたら
ないものねだりもいいところだし、ひょっとしたら悪趣味なのかもしれないが、もう死んでしまった作家が、生きていたらどんな小説を書いていたか、ものすごく気になることがある。私の場合、一番そう思うのは、「アンネの日記」のアンネ・フランクで、彼女が隠れ家で発見され家族と収容所に送られてから死に至るまでの消息を、いろんな他の本でちらちら知るにつけて、あの閉ざされた空間の単調な隠れ家での日々を、あれだけ多彩で豊かな文章で描いた彼女が、その何十倍、何百倍の激動と衝撃の題材にあふれた収容所生活を、ペンと紙があったら、どのように書き記したのか、気になって、読みたくてしかたがない。
何よりも彼女自身が、そこで毎日見聞きし体験したことを、どんなに書きたかっただろうと思い、その作家としての渇望を思うと、胸がつぶれるほど切なく、くやしい。
広島で被爆した作家大田洋子の評伝「草饐(くさずえ)」(江刺明子)は、その酸鼻をきわめた体験を思い出しては書き続ける苦しさもふくめて、彼女の生涯と作品を描き切ったすぐれた本だ。その中で、著者は同じ原爆体験を美しく繊細な「夏の花」をはじめとした、いくつもの短編に書き残した作家の原民喜の死についてふれている。彼は、朝鮮戦争が勃発してしばらく後に鉄道自殺した。遺書はなく、原爆投下のすぐ前に病死していた妻への哀惜も深かったから、その原因はよくわからないのだが、「草饐」ははっきりと、この死を朝鮮戦争への静かな、ただ一度の抗議、と書いている。
以前、名古屋の大学にいたとき、原民喜についてとてもいい卒論を書いた学生がいて、それを読んだ時も確かに被爆体験がなくても自殺しかねない、はかなさを持つ人だという印象は受けた。それでも、そんな人だからこそ、自分たちの恐ろしい体験、それをよみがえらせて書くことの苦しみが何の役にも立たず教訓を生まず、再び人類が戦争に足を踏み入れ、日本もそれに関わろうとしたことに、どれだけの空しさと悲しみと絶望を感じたかは、想像を絶するものがある。彼の死が朝鮮戦争の勃発とまったくの無関係とは私にも思えない。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と韓国の和平が急転直下の展開で進み、朝鮮戦争が終結しようとしている。もちろん急転直下と見えるだけで、そこにいたるまでには、さまざまな人々の血のにじむような努力が積み重なったにちがいない。私が幼いころは新聞もテレビも「中共」と書いていた国が、やがて「中国」と記されるようになったように、「北朝鮮」という文字もやがて紙面や画面から消える日が来るのだろうか。
両首脳の握手し歓談する映像に深い感動をかみしめながら、私が最初にとっさに思ったのは、ああ原民喜が生きていたら何と言うだろう、絶望し見限って訣別した人類を再び許して希望を持ってくれるだろうかということだった。
それからもう数日になる。ベルリンの壁が壊れたのにも等しい大きな出来事だと思うのに、祝辞の一言も述べられない政府も政府だが、テレビや新聞のみょーにさめた論調、これまでさんざん「北朝鮮をどうするんだ」と署名や票読みのたびに、いろんな相手からねじこまれて苦労した恨みがしみついているとは言え、平和や民主主義のためにがんばって来た人たちでさえ、何だかあまり手放しで喜ぶ気にはなれないで及び腰になってる感じに、私はだんだん欲求不満でイラついて来た。
おかげで、原民喜が生きていたら、どんなコメントをしただろう、どんな小説を書いただろうという妄想だけが、日に日に大きくなって困る。彼は素直に無心にただ喜ぶのか、われ関せずと焼き物でも作っているのか、妻の墓前にひっそりと報告するのか、人類の未来への希望が再びよみがえったことを言葉少なに語るのか、もしやまさか国会や官邸のデモに加わってスピーチするのか。
私にはまったく見当がつかない。
(2018年4月)