責任
母が魚屋さんから鰯を買っていたので、冷蔵庫に入っていた御飯と炒めて、鰯飯(?)にしました。それに加えて林檎と缶詰の蜜柑を胡瓜と一緒にしてサラダを作りました。母は喜んで珍しく沢山食べて居ました。
此処数日私が忙しく滅多に顔を出さなかったので母は不機嫌で「猫が死にかけて居る」等と言って居たのですが、今日は一日私が傍に居ただけで見違える様に元気になって話も動作もしっかりして来て、まるで植物に水を遣る様で、却って何やら疲れます。
猫は勿論元気で、良く餌を食べずっしり重く太って庭を走り回って居り当分死にそうにも有りません。暑いので、家の横の犬走りがコンクリートで涼しいからでしょうか、其処に丸くなったり長くなったりして寝て居ます。
じゅうばこさん
「帰国」のドラマに限った事では有りませんが、特攻隊の若者でも何でも戦争を食い止められなかった事、その戦争で自国はもとより他国の人を多く苦しめた事について矢張り何かの責任は感じて欲しいです。死んだ当座は兎も角として六十年も亡霊で居たのなら彼等だってその辺の事は何か考えた筈でしょう。
これは勿論、現在の私が戦争へ向かう流れを食い止められずに居る事、現在世界で苦しんで居る多くの人を見殺しにして居る事、その様な世界に何らかの関心を抱いて行動し見聞しようとした人達(高遠さんや香田さん等)へのマスコミや政府の冷酷さを変えられないで居る事についての責任を感じると言う事でも有ります。
もどかしいのは何かを考える時、あの亡霊達もですが何を基準にするかが良く見えない事です。国なのか家族なのか個人なのか世界なのか。自分のした事やさせられた事が、それらにとってどうだったのか、どこに基準を置いて考えるかが、どうも良く分かりません。冷戦が終わってからは特にそれが見え難いですね。二つの勢力の対決と言う図式が外れて本当は見え易くなる筈の様ですが、不思議です。