野菜くずを捨てながら
白菜は大抵四分の一に切ってあるのを買う。それでも余るのだが、先日まるごとのしか売っていなかったので、しかたなくそれを買ったら、冷蔵庫を占領してしまった。
しかたないので、冷凍庫に入っていた魚の切り身を解凍して、豆腐やキノコといっしょにして手抜きの鍋を作った。ついでにじゃがいもと玉ねぎと人参を、古くならない内にと、適当に切って野菜カレーにした。
大量に出た野菜くずを庭のコンポストに捨てながら、こんなじゃがいもの皮や人参の切れ端を、貴重な食料にしなければならない時も来るのかもしれないと考えたりしている。
車にはかなり慣れて来た。そろそろ高速に乗ってみようかと思って、ふと気がついたらETCの設定をしていなかった。販売店に頼んでみたら、二万円ほどかかりそうだ。注文しておいたが、最近どんどん金が減るので、何となくどきどきする。
ろくでもなかった「桜を見る会」は、来年から中止になるそうだ。
私は毎年あの写真を見るのが大嫌いで、下手したら桜の花まで嫌いになりそうだったから、なくなるのはありがたい。詳しく調査して追求してくれた共産党の田村智子議員には感謝の念しかない。
だが、少し気分が悪いところも残る。モリカケ問題と同様、きちんと最後まで追求して、首相の息の根をとめなくてはならないのに、中止でお茶を濁されかねないのも、むろんいやだが、それだけではない。
そもそもこの行事は、首相が勘違いの馬鹿騒ぎで、自分のファンクラブのお祭りのようにして浮かれてしまったのが間抜けだが、多分、そうなる前のもともとは、もっと地味でささやかに、それなりに国の行事として行われていたのじゃないのか。
まあそんなもの特にしなくてはならないものでもないし、してほしいものでもない。しかし、とにかく何か意味か意義があって、始まって続けられていたわけで、あの大勘違い首相が私物化して、北朝鮮の指導者並みの喜び組もどきの世界(画像を見たら、美女に囲まれてぽわんとしている、その表情のおぞましさまでが、そっくりだ)を作ろうとした、身の毛もよだつ低次元な発想で毎年ウハウハしていたのはたしかだが、それはあくまであの男の発想と趣味が異常なだけであって、もともとのそれが、そこまで狂っていたかどうかはわからない。
それが、まるで、その会そのものに問題があったかのように、てめえがおかしなことにした責任や反省はおそらく感じてもいないままに、会そのものをさっさとやめてしまうというのも、別の意味で私物化だろう。
あまり、いい例えでもないが、どこかの施設を借りて暮らしていたやつが、さんざん建物を汚して壊したあげくの果てに、証拠隠滅も含めて、施設をまるごと燃やしてしまうような、それをどこもおかしくないと思いこんでいるかのような鉄面皮さに身の毛がよだつ。恐怖感か嫌悪感かはわからないが。
この低級で劣悪な男が、自己満足な自慰行為のために、湯水のように使った金を思うと、それこそ、野菜くずでも拾って食べたいほど追いつめられている人たちが一方ではいるだろうことに、ますますもって、怒りがつのる。
こんな政治をやめさせたかったら、皆さん、何とぞ12月1日の講演会にご参集下さい。
写真は庭のカマキリの最後の一枚。コオロギたちの姿も見なくなって、皆もう死んでしまったのかな。明日からまた一段と寒くなるようですしね。