金々先生
今日の大河ドラマ「べらぼう」も、面白かったけど、これ、私が曲がりなりにも江戸時代の風俗を知ってるからうれしくなるのか、そうでもない人たちが見てもどれだけ面白いものなのか、よくわからなくて、ちょっと心配でもある。それこそ「わかる人にはわかる」意地悪な江戸戯作の前期(江戸時代全体では後期)の特徴を地で行ってるみたいでさ。
今日は「きんきん」という流行を追う田舎者の滑稽さがネタになってた。黄表紙の初めとされる「金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)」は、こういうにわかじこみの洒落男をおちょくった作品だが、そういう男の特徴の一つである、ほっそーい髷が露骨に表現されてて笑ってしまった。あれは、もっと言うなら、耳の横のもみあげの部分も毛を減らして薄くして、髷も小さく糸みたいに細くして、正面から見たら髪なんか全然ないように見えるぐらいにするのが、お洒落なのだ。なかなか画像が見つからないんだけど、当時の絵本ではまじめな男と遊び人の男の区別は、このもみあげの部分の厚いか薄いかで、はっきり描き分けている。今の眉毛のカットみたいなもんだろうけど。
「かったい本多」「疫病本多」と呼ばれたような、この髪型は、きっと病気でやつれたかのような弱々しさや病的な感じが魅力的だったんだろう。
「金々先生栄花夢」は、田舎の若者が、都会のお洒落な金持ちになるのを夢見て、江戸にやって来るのだが、江戸の入口の目黒不動尊前の茶店で一休みして寝た間の夢に、ぜいたくをつくして没落する一生を夢に見て、虚しくなって田舎に帰るという筋。中国の伝説をもとにした謡曲「邯鄲」のパロディでもあって、そのへんの面白さは教養(ったって大したもんじゃないが)がなくちゃわからないのが、いやらしい(笑)。「邯鄲」では粟の粥ができるまでの夢で、それがこの黄表紙では、目黒不動尊の名物の粟餅になっているのが笑える。
江戸の遊里のいろいろを楽しく紹介し、絵も当時のスタイルブック「当世風俗通」を参考にしたらしい、スマートできれいでお洒落で、大ヒットした本なんだけど、「べらぼう」の今日のラストシーンでは、突然粟餅が登場して大笑いした。絶対ねらったでしょ、こういう内輪受けで笑って優越感を味わうのは、うしろめたくてあんまり好きじゃないんだけど、まあ、サブカルチャーの世界でもよくあることだからなあ。大目に見とこう。
そうだ、ついでに言っとくと、「邯鄲」には三島由紀夫のパロディもあって、これも私はなかなか好きです。
昨日はあんなに力仕事をしたというのに、腰も背中もどうということもなく、ほっとしたけど、妙に疲れて、一日だらだら自分を甘やかして過ごしました。どうも恵方巻以来、巻きずしを食べたくなってしまって、しょっちゅう買ってしまいます。
少し前にご近所の方から、家庭菜園から抜きたての立派な大根を二本いただき、本体のうまさもさることながら、くっついていた葉っぱを細かく切って、ごまと炒めたら白いごはんによく合って、やめられないほどおいしかった。これまで大根は半分のしか買って来なかったのに、今はつい、スーパーでも葉っぱのついたのを求めて目を光らせてしまう。
先月の初めに買ったガーベラが、ものすごく長持ちして元気で、びっくりしてしまう。寒い仏間においていたからだろうか。それでもさすがに、ようやく茎が少し曲がって来たので、短く切ってコップに入れたら、やっぱりきれいに咲いている。種をとってまけないだろうかと思うほどだ。
あー、時間がなくなった。映画「戦雲」の感想、明日には必ず!