降ったり止んだり。
◇今朝は微妙に雨がぱらついたり、薄い陽射しがさしたりしています。朝早く来た大工さんは、外の作業で材木が濡れるから今日はやめようと言って引きあげました。こちらもそれで、ちょっとのんびりしています。
でも大工さんというのも大変だなあ。天候でこうして一日突然仕事が暇になったら、その日はどうやって過ごすんだろうか。うらやましいような、大変そうなような。
昔読んだマルクスの本で彼が何度も、社会主義革命を起こすときに一番信頼できるのは工場労働者で、次が農民で、知識人とかは一番頼りにならないみたいなことを何べんも書いていました。その理由っていうのはいろいろあったけど、大きな一つは工場労働者は規則正しい生活をしているからというのじゃなかったっけか。そして農民も知識人に比べりゃましだけど、やっぱ、天候に左右される不安定な仕事の内容だから、精神がいまいち安定してないところがあると言ってたんじゃなかったっけか。
ふうんと思って読んでましたが、まあそういうことはあるかもしれないけど、ロシアでも中国でもわりと革命の中心には農民もいたのじゃないかと思うし、このマルクスの分析がどこまで正しいかはわかりませんが、ただそれ言うなら今も農業はそうだし、大工さんもそうだよなあ。どっちも、ちょっと芸術家っぽいしね。
◇とにかくそれで、私も猫のカツジも、ちょっと落ち着きません。私はこういう不安定さって、わりと何だか好きなのですが、カツジはだんだんストレスがこうじている気配で、大好きなハゲや「おやつ」をちょっと残してみたり、私にかみついてみたり、憂わしげな大きなお目目をいっぱいに開いて私を見上げたりしています。
何かさあ、一般に猫って大工さんが嫌いなんだよね。声が大きいし大きな音立てるからかな。昔、私の家にいた、何の変哲もない黒っぽいキジ猫で、「コミー」という名(小さいミーちゃんという超安易なネーミング)の猫がいて、気立てがよくておとなしく、地味で目立たず不器用で一生懸命生きてるようなメス猫だったのですが、なぜか大工さんだけにはフウウーっと毛を逆立てて怒り、私たちは「どうしたの?」と、あきれながら笑っていました。
コミーの母親は白っぽい三毛のふかふか肥った美人猫で、その名も「マダム」と呼ばれていました。小さい時から元気で、賢くて、猫ぎらいだった祖父に唯一愛された猫でした。コミーはその娘なのですが、華やかで勇敢だった母にいつも大人しく従っていて、大人になってもけんかもせず、仲のいい親子でした。
よその猫が庭に入って来ると親子で追っかけて、大木の上に追い上げ、下で見張っていて、交代にごはんを食べに来るというチームプレーをしていました。追い上げられた猫が死にそうな声で鳴くので、私たちが気づいて助けに行くまで、ずっとそうしていました。
コミーが生んだ子猫たちを二匹はいっしょに育てていましたが、コミーが子猫たちが動き回るのを必死でくわえては連れ戻して、育児ノイローゼ気味になっているのに、マダムはどたっと横になったまま、白いしっぽをぱたんぱたんと動かすだけで、子猫たちを上手にじゃらして、あしらっていて、私たちはそんな二匹がどちらもそれぞれ好きでした。
コミーの最期はどうだったのか私はよく覚えていません。とにかく彼女がいなくなった後も、マダムは元気でいつまでも若々しく、最後は庭に入って来た近所の猛犬とけんかして、かまれて死にました。私が大学生のころでしたから家にいなかった私は彼女の死を母から聞きました。いろんなことを思った中に、コミーがいていっしょに戦っていたら、そうあっさりとマダムは犬にやられなかったかもしれなかったのにという思いもちらとありました。
もともと私の母は三毛猫が変に好きで、逆に白黒が嫌いで、子猫が生まれると三毛を残してキジはまあまあ、白黒は捨てるかよそにやってしまうという、今の時代では袋叩きにあいそうなことをしていました。コミーはもしかしたら白黒にも近い、どこと言ってぱっとしない猫だったのに、母がどうして残したのか、きっとただのはずみだったのでしょう。
でもコミーは平凡を絵に描いたような普通の猫だったのに、わが家の歴史に残る名猫マダム(笑)の娘として母に劣らない強い思い出を、私の中に残しています。
◇あらら、まだいろいろ書くことがあったのに、もうこんな時間か。今日は私は地域のゴミ出しの時の網を片づける当番なので、そろそろ行って見ないと、もう収集車が来たころでしょう。油断すると近所の方がすぐに片づけて下さるので、うっかりしていられないのです。…って、うっかりしてるやんけ(笑)。