雨、雨、雨。
◇ずっと朝から降っていた雨が、ときどきどしゃ降りになっています。こんな雨の中でも、ちゃんと外の砂場におしっこに行くカツジ猫は、ほんとにえらいなあ。ごほうびに雨が上がったら、新しい川砂を買ってきて、砂場に入れてやろうかな。
今は子猫が生まれる時期で、数日前は夜の雨の道路で、車にはねられたのか死んでいる、生まれて間もない子猫を見ました。元気な時なら、車をとめてせめて近くの草むらに移動させてやるのですが、体調もよくなくて、結局そのままに通り過ぎてしまいました。その兄弟姉妹か、同じぐらいの子猫が死体のそばから逃げて行くのも見えたのですが、とてもつかまるはずがないし、でも、いっしょにいて離れられなかったのだろうに、どんなに恐かったかと思うと気がめいります。帰って、出迎えにきたカツジに、おやつをやりながら、自分が見かけた分だけでも、すべての命を救えない、自分の力の限界を痛感しています。
うちの庭に出没していた母子猫は、ここ数日見かけません。死んでいた子猫は本当にまだ生まれたばかりで小さかったことを思うと、あそこまで育てるには母猫が死に物狂いでがんばったのだろうと、あらためて思います。
◇とにかく雨がひどいので、街の美容院に行く予定もキャンセルしました。うすら寒いので、家の片づけをする絶好のチャンスなのですが、〆切近い仕事があって、そっちに集中しなければならないので、この涼しさを利用できずにイライラします。しょうがないから、昨日精米したお米をたいて、スーパーで安く買ったお魚のブロックをお刺身にして今から夕ご飯でも食べます。
◇今日は昼から教育大で、小林節さんの講演会のDVDを見る会があったので参加しました。参加者は少なかったですが、一応学生と市民と10人近くでDVDを見て、感想を言い合いました。「中国や北朝鮮が脅威にはなりようがない、という小林さんの冷静な分析がよくわかった」「憲法を守るために、今度の選挙は本当に大事だと思う。どうなるのか毎日どきどきしている」「授業料は自分が学生のころは一年で6000円だった。政治に無関心と言っていても、政治は私たちの生活を追いかけ、関わって来る」「小林さんは、本当にいいことを言っている。できれば新党の構想はやめて、野党の応援に専念してほしい」などの意見が出ていました。
帰りに花屋さんに寄って、濃紫のトルコキキョウを買っていたら、携帯が鳴って、共産党員の知人からでした。「今日のDVDを見る会に参加しようと思っていたのに、行けなくてすみません。選挙の公示日なので、共産党のポスターをはって回っていたら、はっと気づいた時はもう時間を過ぎていて」という、おわびの電話でした。「いやーもう、気にしないで。めいめい、できることをできるだけやるのでいいんですから」と言ったものの、その人も手術とかして身体も本調子じゃないはずなのに、この豪雨の中、ポスター貼りに回っていたとは、そっちの方がすごくないかい(笑)。
◇DVDを見るのと同様、息抜きで最近読んでる、ローレンス・ブロックのミステリ、その中のひとつ「倒錯の舞踏」は、少年が惨殺されるスナッフフィルムをきっかけに展開する話だ。
これ最初に読んだときは、ブロックもグロくなったなあとちょっとうんざりした。でも今、じっくり読んでみると、たとえば北九州の一家惨殺事件とかにあるような、何でこんなアホにとあきれるような人物に、魅入られたように一家親族全部が殺しあってしまうような、あの救いのない感覚、心理の原点が、最小限の人物関係で、みごとに描かれてるっちゃあ、そうだなあ。優柔不断で臆病な人が、強烈な個性の悪人にずるずると影響されて愛する者を犠牲にしてしまう、その救いようのない、ありようが。
そして、ヒットラーもひょっとしたらこうだったのかもしれないけど、独裁者や暴君って、案外こういう、妙にずるっ、つるっとした人が多いんじゃないかという気もするのよね。賢いようで賢くなく、モラルを守るたががなく、弱気で臆病で、悪人にもなりきれない、鈍感で、自分にさえも嘘つきの。自分の内部でも外部でも、私たちが一番警戒し戦わなくてはならないのは、そういう精神なんじゃないのかって。