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青い靴下

少し前から、青いソックスの片方が見えなくなった。最近買ったばかりのまだ新しいやつだ。温泉に行ったときのホテルで忘れたのかと調べてもらったけど、なかったし、どこかから出てくるだろうと思いつつ、日が過ぎて、イライラしていた。そうしたら、今日、玄関の隅っこの花びんの陰に落っこちていたのを発見。洗濯物を干しに行くとき、籠から落っこちたのらしい。
 何かたったそれだけで、宇宙の回転の歯車が正しく回り出したような安心感。何と他愛もない私の精神だろう(笑)。

世にもしょうのない懸案事項は(さっぱり片づかない家のことは別としても)まだいくつかあって、先月寒かった時に思わず買いこんだ灯油二缶の処理もそのひとつだ。エアコンで用が足りるので、まだまったく使っていない。電気料金も上がるとか言うから、夜の薄ら寒い時には、これからは灯油を使おうと決心した。とはいうものの、周辺の紙類が散らかりすぎていて、まずはこれから処分しないと、引火でもしたらおおごとだ。

WBCの余波でネットはまだ騒がしい。特に最終戦で点を取られる原因になった選手たちへのバッシングはすごいようで、控えるように呼びかけが公式に行われている始末。まったくもう、しょうがないなあ。

監督や首脳陣の采配への批判も多くて、その中心のひとつというか、中心と言っていいのかは、「あれだけ調子のよかった周東選手をなぜスタメンや切り札で使わなかったか」というものだ。
 その内容を詳しく紹介してるときりがないので、とりあえず井端監督を弁護することになるかもしれないが、朝ドラ「ばけばけ」なみの無茶な迷信風に言っちまうと、いつも私が言うように周東選手という人は、目も覚めるような活躍をしてどどっとファンが増えると、エラーしたりスランプになったりするか、不運(死球とか)に見舞われるかして、一時的に評価を下げ、すぐまたそれ以上に復活して、何だかファンや批評家に試練を与えているような気がすることさえある(他の選手にもそれはあるだろうが、周東選手はこのサイクルが異様なほど速い)。今回はそれはなさそうと思っていたが、拡大解釈すると、この「めちゃくちゃ成長したが故に、切り札として使われ損ねて温存凍結されてしまった」という皮肉な展開が、その不運にあたるのかもしれない。よってこれは、首脳陣や監督のせいではなく、彼につきまとう運命のせいだ、とするのは、めちゃくちゃが過ぎますでしょうか(笑)。

それにしても、できすぎみたいな大活躍をして、使われなかった分、失敗も皆無で(笑)、おまけに流れた映像で、「今の時代にこんなこと言っちゃあれなんですが、本当にイケメンでカッコいい」などとバラエティーでは話題になって、「立ち姿が華麗」「足が長くてしゅっとしている」「野球選手には珍しいきれいなホスト顔」などなどと言われて、どうやら相当ファンが増えている。たしかにどうかするとタレントなみに美形に見えるが、基本的には「赤毛のアン」のヒロインが、美人かどうかで周囲の評価が大きく分かれるのと同様の、好みが分かれる外見だろうと思う。ただ、ここからは私の独断と偏見だが、他のカッコいいアスリートとちがって、どんなにキラキラ心から楽しそうでも、どこか不安定で危なげな幼さや、何となく漂うほの暗さが、他では見られない魅力となって、人をはまらせるところはある。最近ではさすがに年齢も重ねて、子猫が牡猫になりはじめたような(何という例えだ)大人びた安定感もかいまみえるが、もしかしたら永遠に、この未完成な雰囲気は消えないのかもしれない。

アスリートや俳優の個人的事情に興味はないし、あまり触れたくもない。彼のお母さんが数年前に亡くなって、闘病中に前回のWBCでの活躍を聞いて喜んでおられたという話を、メディアが過度にとりあげなかったのにも安心した。だが、彼自身がWBCに参加しながら、当時のことを思い出さないはずはなく、母の支えを感じなかったはずはない。
 老父母の認知症や老後の介護に悩まされる人(九十八歳まで母を世話した私もそうだ)が圧倒的に多い現在、二十代の若さで最愛の母を見送る気持ちを理解できる人は少ないだろう。その時に刻み込まれて消えない痛みを想像するのは難しい。だが、もしかしたら、その体験が彼のあの、どこかで時が止まって若さがいつまでも残るような印象を生むのかも知れない。それは外見だけではなく、内面でも、若者にしか持てない厳しさや優しさが残されて、自他をひきしめたり、うるおしたりするのかもしれない。

そこでまた、つい、しょうもないことを思い出して、話はまったくあらぬ方へすっ飛ぶのだが、彼に関するYahooかどっかのコメントの中で、「足は早い、肌もきれい、投打も顔もスタイルも性格も収入もいい、どこか欠点があるのだろうか」みたいな書き込みへの返信として「片親」と書いた人がいたのには、ずっこけた。さすがに「今どきそんな感覚なんてバカか」みたいな反論もあったが、やはり、少なくともパソコン使ってネットでコメント書けるぐらいの能力がある人の中にも、ひょっとしたら別に悪気も全然なく、普通にこういうこと思いついて書く人がまだいるのだなあと、ちょっと感無量だった。ゴキブリを一ぴき見つけたら百ぴきいると思えと言うから、世間にはまだこういう感覚の人は多いのだろうとも察した。
 ちょうど3月11日の前後で、テレビや新聞では被災者のその後などの特別番組が多かった。原発事故の教訓が全然活かされていないことも思い起こして憂鬱だったが、それと同じくらい、この書き込みには衝撃を受けた。ああ、こういう世の中で、被災して家族を失った人たちはずいぶん苛酷な毎日を生きて来たのだろうなと、ものすごく実感したのを忘れない。

衝動買いした純白のトルコ桔梗と、華やかに大きいカーネーションが、散らかった家の中で目が覚めるほど立派ですごい。特にカーネーションは、こんなことって初めてですが、私がうっかりあわてて、母家のキッチンに一日放置して、ぺしゃんこになっていたのを、大ショックで、茎を少し切って花をもみもみして大急ぎで水に入れたら、ありがたや、みごとにふっくら元通りに開いてくれました。よかったあ。

日米会談の様子も気になるが、トランプさんのことを予測しても時間の無駄だから、とっとと寝てしまうことにする。目が覚めたら恐ろしいことになっていそうで、気が気じゃないが。

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カツジ猫