静かな日々
台風の雨は大したこともなくて、昨日と一昨日はきれいな月が見えた。思わずカーテンを引かずに寝ながら月をながめていた。
庭は今どうやら蔓草の繁茂期なのか、ヤブガラシやらチョウセンアサガオなどがいやになるほど勢いを増して生い茂っている。傷めた足が治ってからと思っていたが、今朝がまんできずに、玄関前のチョウセンアサガオをひっぱって、ひきちぎった。ものすごいはびこり方で、ずるずる蔓がとれて来て、一抱えほどにもなった。ちょっとだけ達成感。
猫のカツジが死んでほぼ二週間。何となく一向にいなくなったという気がしない。これはもしかしたら、本人もまだ死んだのに気がついていないのかもしれない。そんな気にさえなって来る。
彼の写真を家中に飾っているが、昨日初めてその一つを仏間にしている小部屋に持って行って、歴代の犬や猫の写真と並べた。これでいよいよ彼も鬼籍に入ったわけだけど、本人がどのくらいそれに気づいているかは怪しいと、やっぱりどこかで思ってしまう。
テレビを見ていると、大きなことはもちろん、小さなことでも、腹のたつことが多い。トランプ大統領は何でも国防省の名を戦争省に変えたらしい。最初はその名だったのだが、戦後に国防省になっていたのを戻したらしいが、あの悲惨な第二次大戦の後にそれなりの決意や反省をこめて変えられていたはずの名を、ぬけぬけ元に戻すのは、もとに戻したではすまない恥知らずさだ。何でも前から彼は戦争省にしたかったようで、なおのこと最低だ。いっそもう殺人省とでもしておけばいいのに。
コマーシャルみたいな短いコメントで、さらっと原子力発電の事故の際の汚染土を全国各地にばらまいて処理しようという方針を、既成事実みたいに刷り込もうとしているのも相当ムカつく。のぺっとした無難な声で、「よく考えてみよう」と、全国で引き受ける方向を示唆しようとしているのが本当に気味が悪い。
庭では思い出したように、次々小さいバラが咲く。桔梗はもう完全に終わったと思っていたら、先日まるで地面からじかに生えたように、小さい花がちゃんと立派に咲いていた。多分、今年最後の花だろう。来年まで元気に英気を養っていてほしい。
