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食えるじゃん

最近私は我ながら自炊が身についてきて、外食やパック食材よりも、肉や野菜をささっと自分で調理した方が、舌に合うし楽だし、むしろ食べすぎるのが困るぐらいだ。よって、冷蔵庫の中の食材も、きわめて順調に回転しているのだが、どうしてかその中に、いつ買ったかも忘れたぐらい昔から入っている食パンと小餅がある。このままうかうかしていたら、正月の雑煮に、この餅を使うはめにもなりかねんと突然びびって、さしあたり昨日から朝食はトーストにすることにした。なぜか私は冷たいパンにバタを塗って食べるのが、哀れっぽくて好きなので、今回もそうして、きゅうりをはさんだりして食べたら、ちゃんとおいしくて食べられた。しかし、これだけ保存できるというのは、それはそれで、ちょっと恐い。

餅の方も、買い置きしていたぜんざいやしるこに入れてデザートにしたら、これも意外と普通に食べられて、片づきつつある。めでたいめでたい。

今朝は朝から雨が降って昼過ぎには上がり、昨日買ってきていた花の苗も植えた。しかしちょっと雑然とした感じになって、あまりよくない。もっと色合いとか考えたらよかったな。

同じ午後には業者の人が来てくれて、カツジ猫の金網小屋の天井の腐った木をとりかえてくれた。しかし四年ほどでまた傷みそうだとのこと。まあ、カツジが死んだらこの小屋も壊すだろうから、直し直しもたせればいいかと思っている。

テレビでは、猿之助の公判とか、クマの出没とかが話題になっている。なんか最近、私の善悪の基準は狂い始めていて、岸田首相やプーチンやネタニヤフやジャニー喜多川やその他もろもろの連中がやってることのひどさに比べたら、老親の自殺を助けたり、少女の死体を車に乗せて夜中に車を走らせたりすることぐらい、どうってことないじゃないかとつい思ってしまうのが自分でも恐い。

猿之助の現状は悲惨と見えるかもしれないが、私は彼が死なないでいてくれてよかったと心から素直に切実に思う。近畿財務局の赤木さんのこととか思うたびに、人間絶対に死ぬもんじゃない、死んだら絶対に損しかしないと痛切に感じる。どんなに苦しくても生きていてほしかった、どうして生きていてくれなかったのだとくやしい。そういう思いをこのところずっとして来たからかもしれない。何があったかどうだったのかを、ありのままに自分ですべて話せるということは、自分にも他人にも、何と幸せなことかと思う。ろくでもないやつがいっぱい、図々しく人を平気で傷つけて生きているのだから、その鈍感さと浅ましさを、少しはこちらも学んで、負けないようにしなければいけないと、自分にもつねづね言い聞かせている。

写真は庭のバラと、ますます元気な千日紅。前庭もこういう感じにしたかったのよ。いっそ、入れ替えたろうかしらん。腰を痛めちゃうかなあ。

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カツジ猫