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3月11日と、その後の記憶

八年前の今日、私は白内障の手術を無事終えて退院する母を病院に迎えに行った。
片方だけの手術だったが無事終わって、ほとんど何も見えなかった母は一応見えるように回復したが、別にものすごく喜ぶでもなく、ちょっと憎ったらしかった(笑)。

母は九十三歳で田舎の家に一人暮らしだった。白内障の手術後はしばらく、ややこしい何種類の薬もの服用がある。それを母が一人でできるとは思えなかったので、かかりつけのお医者さんのいる病院にしばらく入院して薬の世話をしてもらうことにしたのだ。

何度か入院もしたことはあり、おなじみの病院だったが、慣れないことが続いたのか年齢のせいか、結局はその短期の入院で母の認知症とまでは行かないが一人で生活するのは難しい状態が進み、再度の入院、そして私の家の近くの老人ホームに引っ越してくることになる。

この街にはそういう施設がわりと多く、あまり病院らしくない、町中だが窓からは森や緑も見える快適そうな施設を私は探し当て、超特急で母の引っ越しをすませた。そこでよくしてもらったせいか、母は訪れる人に「ここが私のお城よ」と自慢して、田舎の家にもすぐ近くの私の家にも帰りたいとは一度も言わなかったのは立派である。九十八歳まで五年間、母はそこで過ごして死んだ。

そんな先のことは知らずに私は、白内障の手術を終えた母と次の入院先の病院に向かうタクシーに乗っていた。その車中で東北の方で大きな地震があったことをラジオが報じた。詳しいことはまだ何もわからなくて、運転手さんも私も母も「へーえ」という感じで聞いていた。

病院に着くと、ロビーの大きなテレビの前で、母と仲良しの若い院長先生が、ソファに座ってテレビに見入っていた。母の入院手続きを看護師さんがいろいろしてくれる間、私もそれをいっしょに見ていた。被害の大きさはまだわからない。原発のことも誰もまだ知らなかった。画面はぼんやり、モノクロのような中で、押し寄せる津波と、それを見ている橋の上や岸辺の人影を映していたようで、先生は「ああ、あんなに近づいたら危ない。見物してないで早く逃げないと」と心配していた。まだ被害は全然報告されなくて、私は「こんなに大きな災害なのに、死者が出ないなんて、せめて運がよかったですね」と、のんきなことを言っていた。少し前の福岡の地震で、かなり大きかったのに、亡くなった方がお一人だけだったこともあって、そんな風に考えていた。

それからすぐに、とんでもないひどい状況が次々にわかってきて、日本全国が異常な事態に投げこまれる。
テレビは一日中特別番組で、バラエティ番組などはすべて消えた。私は自分が被災者なら、もし避難所などでたまたまテレビを見た時に、思いきりバカバカしいいつものアホな番組を見られたら、どれだけ救いになるか知れないのに、一局ぐらいは、お笑いや時代劇やスポーツ番組を知らん顔で流したらいいのに、むしろ流すべきなのにと思ってイライラしていた。

ずいぶん日が過ぎてから、最初にもとのように放映されたのは、たしか明石家さんまの番組で、その時ですら2ちゃんねるで誰かがそれを攻撃して、「さんまののどに制御棒を突っこんでやりたい」とか書いていて、私はバカかおまえは死ぬまでauの広告でも見て暮らしていやがれと、別にさんまのファンでもないけど、真剣に怒った。

当時の民主党政権は、とてもよくやっていた。多分誰もがそう思っていた。枝野氏が常に記者会見をしているので、2ちゃんねるでは体調を心配して「枝野寝ろ」という書き込みも多かった。原発の被害についての警告なども激論や議論を呼んでいたが、それは私の知る限り、政府への批判にはつながっていなかった。

今、安倍首相とその支持者は、ことあるごとに民主党政権の悪口を言えば誰もが黙ると思っている。実際いろんな政府や首相批判の記事を読むと、コメントの反論は「民主党政権よりまし」というものしかないことが多い。民主党政権は、政権をになうものなら誰がやっても当然のいろんな欠点や失策はあったにしても、歴代の政権の中ではそれは異常なほど少なかったし、ましてや今の狂気と愚鈍と怠惰しかない安倍政権とは比べることさえ失礼なほど立派だった。

それを「悪夢」とさえ言ってのける、そしてそれで支持されると思っている首相の記憶力も判断力も私は疑うし、どこまで組織的な書きこみかは別としても、実際にそれに賛同する人たちも多いのに、あきれはてるしかない。当時を知らない人が書いているのか、健忘症か知らないが、これこそ歴史の改ざんでなくて何だろう。

もはや安倍内閣は内実も外見も、死に体をとっくに通り越したゾンビ政権だ。まともな政治体制の体さえなしていない。それを支える腐った柱の一本が「民主党政権よりまし」の一言だとすると、この噴飯もの、事実無根のお題目は、いったいいつ生まれたのかが逆に私は気になっている。

大震災でも原発事故でも、私が知る限り、政権批判は聞かれなかった。非常時だから政権を批判している場合ではないという、安倍内閣が常時非常時を演出しても作り出す状況があったとしても、かなり長い間そんな声はなかった。
むしろ、震災時の不眠不休の活躍でそれなりに支持され認められているという実感があればこそ、当時の民主党政権は、これだけ批判され評価が地に落ちることなど予想しなかったし対処もしなかったのではないか。あえて言うなら、支持するリベラル勢力も。

最近私は、これだけ劣悪なゾンビ政権を維持するための錦の御旗のように使われる「民主党政権はだめだった」という、事実無根のデマゴーグが、いつ、どのようなかたちで発生し広まったかに強い興味を持っている。
明らかに、どの時点かで誰かがそれを始め、評価を逆転させたのだ。
意識的にか無意識的にか、それはわからないが、それを利用し、望んだ者は確実にいる。

母と乗ったタクシーの中で聞いたラジオの声、病院のロビーでテレビを見ていた先生の顔、そのようなたしかな記憶とともに、当時の記憶と、その後の記憶を呼び覚まし、検証し、そのようなデマゴーグと印象操作が生まれ、始まった時点を私は特定したくてたまらないでいる。

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カツジ猫