ぬれぎぬと文学(未定稿)6-第三章 怒りのぬれぎぬ(2)

やむをえない事情

もっとも、そうやって最終的に相手や周囲をいたたまれなくしてしまう「怒りのぬれぎぬ」は、本人の配慮のなさではなく、やむをえない状況から生まれてしまうこともある。
映画「仮面の男」はデュマの小説「三銃士」をもとにした話で、大胆な改変を加えつつも原作の風味をそこなわずうまくアレンジされている。この映画で銃士の一人は友人たちから誤解され最後にその秘密が明かされた時には死が迫っている。彼が大変魅力的に描かれているので、そんなことを私が言うときっとひどいと思われるだろうが、冷静に指摘するとこれも立派な「怒りのぬれぎぬ」で、彼がかつて犯した(原作の小説にはない)国家に対する反逆罪なみの重大なあやまちは結局不問に付されるし、彼を誤解して最も責めていた親友のやりばのない自責の念と悲しみを思うなら、死んで行く彼は相当残酷だとさえ言ってもいい。
しかし、彼には秘密を絶対明かせないぬきさしならない事情が、それこそ二重三重にある。私が女子学生に言った「何でちゃんと説明しなかった」などという批判は、どう考えても無理な注文と誰もが納得するだろう。こうやって、ミステリによくある、ひとりでに作られた密室のように、本人にはどうしようもない「怒りのぬれぎぬ」が出来上がってしまうこともあるのだ。
これほど深刻な状況ではなく、むしろほほえましいかもしれないのは、モンゴメリ「赤毛のアン」で、養母のマリラから紫水晶の首飾りを盗んだという疑いをかけられたアンが「正直に言わないと(アンがとても楽しみにしていた)日曜学校のピクニックに行かせない」と言われたばかりに、盗ってもいない首飾りを、うっかり持ちだして湖に落としてしまったと告白するエピソードで、マリラの脅迫がアンを追いつめ、偽りの告白をさせるという「怒りのぬれぎぬ」を生む。罰としてピクニックに行かせないと言われて絶望したアンがマリラに「いつか後悔することがあると思うわ、マリラ。でもあたし、許してあげるわ。そのときになったら、あたしが許してあげたことを思いだすのよ」と言うように、彼女はマリラが真実を知ったら後悔することを予測している。
ただし、この話は終始マリラの立場から描かれているため、アンが無実なのかどうかは最後まで読者にもわからず、マリラの側から見た場合のいらだちや怒りや驚きが共有できるようになっており、また、ピクニックの前に首飾りが見つかって事実が明らかになり、マリラが「やってもいないことをやったというのは、決してしてはいけないこと。でも、それをさせたのは私だからね」と見事な謝り方をして、すべてはうまくおさまるから、「怒りのぬれぎぬ」には珍しく、読後の印象はまったく悪くない。

皿洗いをすませ、パン種をしかけ、鶏には餌をやってしまうと、マリラはふと月曜日の午後、後援会から帰ってきて、いちばんよそいきの黒レースの肩かけをはずしたとき、ちょっと、やぶれていたのを思いだした。あれをなおしておこうと考えた。
肩かけはトランクの中の箱にはいっていた。マリラがとりだしたとき、窓べにむらがり茂っている蔦の葉ごしにもれさす日光が、なにか肩かけに、ひっかかっているものに当った―それはきらきらと紫色に輝いた。マリラは仰天してそれをひっつかんだ。レースの糸一本にからまってぶらさがっているのは、紫水晶のブローチだった。
「これはまあ、どうしたというんだろう?」マリラは唖然とした。「バーリーの池の底に沈んでいると思ってたこのブローチが、ちゃんとあるじゃないの。どうしてあの子は、これをとってなくしてしまったなんて言ったんだろう、グリン・ゲイブルスは、なにかにとっつかれているんだよ。いま思いだしたけれど、月曜日の午後、肩かけをとったとき、ちょっとの間、たんすの上に置いといたっけよ。それでブローチがひっかかったにちがいない。まあ、まあ!」
マリラはブローチを手にして東の部屋へ行った。
アンは泣くだけ泣いてしまって、しょんぼり窓べにすわっていた。
「アン・シャーリー」マリラはきびしい声で言った。「たったいま、ブローチが黒レースの肩かけに、ひっかかっていたのを見つけたのだけれどね、けさのあんたのくだらない長話はいったいどういうつもりだったのか、聞かしてもらいたいものだ」
「あら、あたしが何か言ってしまうまでは、ここにいなくてはならないって小母さんが言ったから、あたし、ピクニックに行かなくっちゃならないもんで、告白しようと決心したのよ」アンはものうげに答えた。「ゆうべ、床にはいってから告白を考えだして、できるだけおもしろいようにしたの。そして忘れたらいけないと思って、何度も何度も言ってみたの。でもやっぱり、小母さんは行かせてくれなかったから、あたしの苦労もすっかり、むだになってしまったわ」
マリラはがまんしようとしても、どうしても笑わずにはいられなかった。しかし、すまないことをしたと思った。
「アン、あんたには負けたね。わるかった―わかりましたよ。いままであんたがうそをついたことは一度もなかったんだから、あんたの言うとおりを信じてやればよかったんだね。だけど自分が、しもしないことを告白したのは正しいことじゃありません―たいへんわるいことです。けれど、そうさせたのはわたしなのだからね、もしあんたが許してくれれば、アン、わたしもあんたを許してあげますよ。そうして二人でまたやりなおそうよ。さあ、ピクニックに行くしたくをしなさい」
アンは打上げ花火のようにとびあがった。
「おおマリラ、もう遅すぎるんじゃないかしら?」
「いいえ、まだ二時だもの。みんな集まったぐらいのところだし、お茶まで一時間もあるよ。顔を洗って髪をとかして、ギンガムの服を着なさい。私はバスケットをつめるからね。焼いたものがどっさりあるよ。それからジェリーに馬車であんたをピクニックのところまで送るように言いつけるから」
「ああ、マリラ」と大声をあげてアンは洗面台のところにとんで行った。「五分前にはあたし、とってもみじめで生まれてこなければよかったと思ったけれど、いまじゃ天使にしてあげると言われたってことわるわ」(新潮文庫 モンゴメリ『赤毛のアン』 第十四章「アンの告白」)

抵抗と告発

下村湖人「次郎物語」の主人公で、赤ん坊の時から長く里子に出されていたため兄や弟に比べて何となく家庭にとけこめずにいた幼い少年次郎もまた、祖父の算盤をこわしたのは誰かと兄の恭一と弟の俊三と三人並べられて母から尋ねられているとき、母が自白をうながすためにして聞かせた「ワシントンと桜の木」の話を聞いていて、「実際にしたことを正直にあやまるのがそんなにえらいのなら、していないことを謝るのはもっとえらいんじゃないか」と思い始めて、つい自分がこわしたと嘘をついてしまう。

お民(次郎の母)は大きくため息をついた。そしてしばらくなにか考えていたが、
「母さんがいいお話をしてあげるから、三人とも、よくおきき、昔、アメリカというところにね・・・・」
と、彼女は、ワシントンが少年時代にあやまって大切な木を切り倒したという物語を、できるだけ感激的な言葉を使って、話しだした。それは恭一と次郎にとっては、もう決して新しい物語ではなかった。次郎は、話しっぷりは学校の先生のほうがうまいな、と思ってきいていた。
「大きくなって偉くなる人は、みんな子供の時、このとおりに正直だよ。わかったかい」
話はそれで終わった。次郎は、先生もそんなことを言ったが、たったそれっぱかしじゃなかったと思った。が、同時に、彼の頭に、ふと妙な考えがひらめいた。
(自分でやったことをやったと言うのは、当たりまえのことじゃないか。その当たりまえのことがそんなに偉いなら、やらないことをやったと言ったら、どうだろう。それこそもっと偉いことになりはしないかしら。)
次郎の心では、算盤をこわしたのは、恭一か俊三かに違いないとにらんでいた。その罪を自分で被るのはばかばかしいことではある。しかし彼の胸には、こないだの橋の上での(板坂註。恭一がいじめられているのを助けた)事件以来、一種の功名心が芽を出している。それにこのごろ、妙に恭一が哀れっぽく見えて、彼のためなら、罪をかぶってやってもいいような気もする。
(もし俊三だったら―)
そうも考えて見た。すると、あまりいい気持ちはしなかった。しかし、ワシントン以上の偉い行いをしてみようという野心も、何となく捨てかねた。それに、第一、彼は、いつまでもこうして母の前にすわらされているのに、もうしびれを切らしていたのである。で、彼は、つい、
「僕、こわしたんだい」
と、大して緊張もせずに言ってしまった。
「そうだろう。ちゃんとお母さんにはわかっていたんだよ」
お民の口調はあんがいやさしかった。
「それでどうしてこわしたんだね」
お民は取り調べを進めた。次郎は、しかし、その返事にはこまった。実は、彼もそこまでは考えていなかったのである。
「早くおっしゃい。お祖父さんが怒っていらっしゃるんだよ」
お民の声は鋭くなった。しかし見たこともない算盤について、とっさに適当な返事を見いだすことは、さすがの次郎にもできないことであった。
と、いきなり次郎のほっぺたにお民の手が飛んで来た。
「やっと正直に答えたかと思うと、まだお前はかくす気なんだね。何というにえ切らない子なんだろう。・・・・ワシントンはね、・・・・」
お民は声をふるわせた。そして、両手で次郎の襟をつかんで、めちゃくちゃにゆすぶった。
次郎はゆすぶられながら、干からびた眼をすえて、一心にお民の顔を見つめていたが、
「ほんとうは、僕こわしたんじゃないよ」
それを聞くと、お民は絶望的な叫び声をあげて、急に手を放した。そしてしばらく青い顔をして大きな息をしていたが、
「もう・・・もう・・・お前だけは私の手におえません!」
彼女の眼からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。(新潮文庫 下村湖人「次郎物語」)

アンがピクニックにどうしても行きたいばかりに、偽りの告白をしたとわかった時、あまりに予想もしていなかったその心理にマリラは思わず笑ってしまうのだが、たしかに「赤毛のアン」も「次郎物語」も幼い子どもの大人には予想もつかない発想や行動と、それにふりまわされる大人を描いて、どこかで巧まぬ笑いをさえ誘う。そしてどちらの物語も、こうした事件のさまざまを経て子どもが成長していく様子を暖かく克明に描いている。次郎の場合、この算盤事件そのものは真実は明らかにならないまま、彼がぬれぎぬを着たかたちになるが、実際の犯人であった弟俊三との関係はこのことによって良好になり、「覚悟のぬれぎぬ」で紹介した「わたくしです物語」と似たような、彼と周囲にとってよい結果を生んだ。教育熱心で気性の激しい母とも、その後の年月を経て最後には深い理解と愛情で結ばれるようになる。
とは言え、母に頬を打たれて部屋を飛び出し、薪小屋に隠れていた彼が、、こっそりやってきた俊三から「僕、こわしたの」と白状されて、「もうあっちに行っといで。僕、だれにも言わないから」と彼を帰らせた後、父が来てくれるまでの間、ひとりで次のように考えていたのは、大人が「怒りのぬれぎぬ」を着る時の心情とあまりちがいがないと言えよう。

そのあと、次郎の心には、そろそろとある不思議な力がよみがえって来た。むろん、彼に、十字架を負う心構えができあがったというのではない。彼はまだそれほどに俊三を愛していないし、また、愛しうる道理もなかった。俊三に対して、彼が感じたものは、ただ、かすかな憐憫の情に過ぎなかったのである。しかし、このかすかな憐憫の情は、これまでいつも俊三と対等の地位にいた彼を、急に一段高いところに引きあげた。それが彼の心にゆとりを与えた。同時に、彼の持ち前の皮肉な興味が、むくむくと頭をもたげた。自分でやったことをやらないとがんばって、母を手こずずらせるのもおもしろいが、やらないことをやったと言い切って、母がどんな顔をするかを見るのも愉快だ、と彼は思った。いわば、冤罪者が、獄舎の中で、裁判官を冷笑しながら感ずるような冷たい喜びが、彼の心の隅で芽を出して来たのである。(同上)

次郎のこのような思考が彼にとって決定的なものにならなかったのは、まもなく帰宅して母のお民から事情を聞いた、彼のよき理解者であった父俊亮の、うすうす事情を察した上での、マリラとはまたちがった愛情と配慮による対応だったかもしれない。俊亮は、お民とのやりとりの中で、

「それで、恭一にも俊三にも、よくきいてみたのか」
父の声である。
「いいえ、べつべつにきいてみたわけではありませんけれど、・・・・」
「それがいけない。三人いっしょだと、どうしたって次郎の歩が悪くなるにきまっている」
「あなたは、まあ! みんなで次郎に罪を押しつけたとでも思ってらっしゃるの」
「口では押しつけなくても、心で押しつけたことになる」
「では私、もう何も申しあげませんわ。どうせ私には、次郎を育てる力なんかありませんから」
「そう怒ってしまっては、話ができん」(同上)

と妻にあきれられるほど、次郎の立場を推察することができる人物だった。アンの場合はマリラの兄であるマシュウが常に彼女の味方だったように、こういった人々の存在が彼らの成長には欠かせなかったと言えるだろう。

「次郎、ばかなまねはよせ」
俊亮は小屋にはいると、いきなり提灯を彼の前にさしつけて、そう言ったが、その声はしかっているようには思えなかった。
「算盤のこわれたのは、どうだっていい。お祖父さんには父さんからあやまっとくから。・・・・だが、こわしたと言ったり、こわさないと言ったりするのは卑怯だぞ」
次郎は父に卑怯だと思われたくなかった。卑怯だと思われないためには、やはり罪をかぶるほうがいいと思った。
「僕、こわしたんだい」
彼は、はっきりそう答えて、父の顔色をうかがった。
すると、俊亮は、提灯の灯に照らされた次郎の顔を、穴のあくほど見つめながら、
「父さんにはうそは言わないだろうな」
次郎は何だか気味悪くなった。
「父さんはうそをつく子はきらいだ。・・・・だが、まあいい、父さんはお前の言うことを信用しよう。しかし、飯も食わないで、こんな所にかくれているのは、よくないぞ。さあ、父さんといっしょに、あちらに行くんだ」
次郎は、そう言われると急に涙がこみあげて来た。
「ばか! 今ごろになって泣くやつがあるか」
次郎は、しかし、泣きやまなかった、俊亮はながいこと黙ってそれを見つめていた。(同上)

父が来る前の、物置小屋の中での次郎の心境からもいくぶんかはうかがわれるように、「怒りのぬれぎぬ」を着る人々の、まったく身に覚えのない罪で明らかに相手から疑われていると感じたときの当惑と怒りは「予期せぬぬれぎぬ」と同じだが、正直に告白することを期待されている罪を犯しておらず、したがって白状する材料もなく、そのことで更に相手の怒りを招く何とも不条理な理不尽さの中で彼らは、していない罪を自白することで、その場を逃れようとするだけではなく、相手の追求の理不尽さを明確にし相手の行っていることの悪を、より明確にしようとすることで、彼らは逆に攻撃に出る当面の強さを持っているのが異なる。
アルジェリアのフランスに対するレジスタンスの中で警察に逮捕されて拷問された女子学生ジャミラ・ブーパシャは、「お望みなら全部の爆弾」を自分がしかけたと最後に白状し、怒った取調官から更に激しい拷問を受け、後にこのことがサガンやボーヴォアールなどフランスの知識人たちをまきこんだ大きな抗議運動に発展する。この場合の彼女の白状はもちろん事実ではないが、それによって苛酷な取り調べから逃れられると彼女が思ったわけではない。むしろ相手の要求の不合理さや滑稽さを相手に思い知らせようとする攻撃で、だからこそそれは相手のより激しい怒りを招くのである。

獲得する優位

どのみち、これは危険な賭けだ。ジャミラのように、こちらの意図した悪意と軽蔑が正確に伝わるほどに、より残酷な反応を相手から引き出してしまうこともあるだろう。第一、アンとマリラや、女子学生とクラスの皆の場合のように真実が明らかになるという保障はどこにもないから、偽りの告白がそのまま信じられ、永遠に誤解はとけぬまま無実の罪を背負って生きたり時には処刑されたりするリスクをあえて犯すことになる。もし無実が明らかになった時には、それ以前やそれ以外の実際に犯した罪までが総合的にチャラにされるうまみがあるにしたところで、やはり大きすぎるばくちだろう。
しかし、おそらく彼らは皆、それでもいいと思っているのである。真実を誰にも知られることなく、とびきりの悪人として処刑され、それが長く伝えられたとしても、そして「覚悟のぬれぎぬ」の場合とちがって、それが誰も救わず世の中のためにならないとしても、彼らはおそらくかまわない。そうすることで彼らが得るのは、自分をそのように処罰した相手に対して感じる優越感であり、自分は無実の罪で殺される犠牲者であり、たまたま敵に敗北したにすぎず、犯した悪を償わせられるのではないという誇りである。
私はしばしば授業で学生たちに、どうしても罰を受けなければならないとしたら、それがバケツを持って廊下に立たされることであれ(いつの時代の話だ)、公衆の前で鞭打たれるのであれ、大切なものを奪われるのであれ、牢獄に幽閉されるのであれ、死刑になるのであれ、「それは自分の犯した罪を思えば当然である」と心から納得し悔悟して受け入れるのと、「絶対に自分は悪くない。これは不当な弾圧だ」と怒りをもって抗議しつづけるのと、どっちが気分的に楽か、という相当悪趣味な質問をする。この問いかけにもちろん正解はない。しいて言うなら最もよいかたちでそうなるのなら、どっちもそれなりに楽だろう。どちらが正しいということもむろんない。どちらの精神も人間には必要だ。そして「怒りのぬれぎぬ」をきる人たちがめざしているのは、おそらく後者の場合が生む安らぎだ。

価値観の衝突

だがそれは、実は決して本当に怒りを持って抗議しつづける人たちの精神と同じなのではない。自分がそのような不当な罰を受けた犠牲者と漠然と感じていられる境遇を求めて、犯していない罪を犯したと告白し、あるいは無言で認めることは、裁判も判決もすべて異なる価値観の衝突であり戦いであると考え行動する人たちの姿勢とは決定的にちがっている。
このことを考えるとき、前に述べたように私は聖書のいくつかの福音書の中でイエスが告発された罪に対して沈黙を守ったとすれば、そこには「怒りのぬれぎぬ」の要素も皆無ではないのではないかとふと思ったりする。それはたとえば荒畑寒村『ロシア革命運動の曙』が紹介する女性革命家たちが、死刑になる直前にその不当さに対して激しい抗議と告発の演説をする描写などを読んでいて、ひとりでに浮かぶ疑問だ。「覚悟のぬれぎぬ」をきた人たちの多くのように自分の犠牲や行動をかくし通して沈黙を守るのはよいとして、自分のそういう行いもふくめて核心となる生き方や考えそのものが告発されたら、その時はやはり口を開いて何かを世界に伝えるのが誠実と愛情なのではあるまいか。

ミーン少将の暗殺者ジナイーダ・コノプリャーニコワは、農村出身の女教師であった。一九〇五年十二月、セミョノフスキー連隊長ミーン大佐はモスクワの叛乱鎮圧に当り、兵士に酒を飲ませて酔狂に乗じて流血の残害をほしいままにさせ、その功によって少将に昇進した。戦闘団はミーンに死刑を宣告し、コノプリャーニコワは首都に近い一鉄道駅で彼に邂逅したが、同伴の夫人を傷つけることを怖れて爆弾を投げる代りに拳銃でミーンを射殺したのである。
六年八月二十六日、彼女は軍法会議で昂然としてその所信を述べた。
「私はミーンが自由の先駆者を殺し、モスクワの街上に無辜の血を溢れさせたが故に、彼を射撃した。私たちをこのように戦わせるのは政府である。私たちを暗黒と窮乏と牢獄に閉じこめ、流刑と懲役に処し、数十人、数百人を絞殺、銃殺する権利を誰が諸君に与えたか。諸君は力ずくでこの権利を握り、自身の法律で正当化し、僧侶がそれを神聖とした。だがいまや、諸君の非人道的な権利よりもはるかに公正な、新しい人民の権利が起っている。そして諸君はこの権利に、生死の戦いを宣言したのである。」
九月十日、彼女はシュリッセリブルグで処刑されたが、従容として絞首台の階段をのぼり、みずから頸の周りに絞索をしめ、脚下のふみ台を蹴飛ばして最期をとげた。(岩波新書 荒畑寒村『ロシア革命運動の曙』)

テロリストやその行動は現在の日本では文句なしに悪の代名詞でしかないが、少し前には石川啄木の詩「ココアの一匙」が

われは知る、テロリストのかなしき心を―
言葉とおこなひとを分かちがたきただひとつの心を、
奪われたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らんとする心を、
われとわがからだを敵に躑げつくる心を―
しかして、そは真面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。

はてしなき議論の後の
冷めたるココアのひと匙を啜りて、
そのうすにがき舌触りに
われは知る、テロリストの、
かなしき、かなしき心を。

と書いているように、少し前の時代では虐げられてきた人々の最後の抵抗としてうけとめられており、今日のような絶対的な嫌悪感や拒否感はない。最近でもアメリカのハリウッド映画「シリアナ」やヤスミナ・カドラ「テロル」(早川書房 二〇〇七年)などのかなり著名で評価の高い作品にテロ行為への一定の肯定や理解は見えることを考えると、ひたすらに常に悪と決めつける日本での感覚は単純すぎるようにさえ見える。テロを肯定し実践した連合赤軍やオウム真理教の印象が強いからかもしれないが、それらの事件の記憶さえ風化しつつあるにもかかわらず、テロそのものを見つめて考えようとする意識は表向きにはまったく存在しないかに見えるのが私は逆に少し無気味である。(ここ数年間の日本で、テロに対して何らかの肯定的な発言をした有名人は私の知るかぎりでは、かつて「殺人教室」という無差別殺人を楽しむ学生たちが主人公の短編を書いたことのある石原慎太郎東京都知事だけだった。)
そのことも考慮しつつ読んでいただきたいのだが、ここでコノプリャーニコワは自らの行ったテロ行為そのものは決して否定しておらず、その点ではぬれぎぬは存在しない。彼女に限らず当時の政治犯たちは男も女も意気軒昂と自分たちの行為を認め肯定する。彼らが抗議し告発し自らの罪を否定して要求するのは、圧制による悲惨な国情の中で行わざるを得なかったそのような行為自体をどう考えるかという、罪の定義や価値観の見直しだ。
だが、このような堂々と自分の信念を語って処刑される人々の姿は今では牧歌的に見えるほど、その後の文学が描き出す圧制への抵抗と敗北の姿は救いがない。オーウェル「一九八四年」では、全体主義に反逆して逮捕された人たちがただちに処刑されて殉教者になることを防ぐため、政府が死刑の前に教育と洗脳を行って、心から自分たちの行いを悔いあらため従容として死刑に処せられることになっている。全体主義体制への反逆を企てて逮捕された主人公に、取調官は次のような、たいそう気の滅入る予言をし、事実その通りになる。

「まず君によく理解して欲しいのは、ここでは絶対に殉教者を出さないということだ。君も過去の時代に行なわれた宗教的迫害の話を読んでいるだろう。中世紀には異端審問という裁判があった。これは結局、失敗に終わった。異端を撲滅しようとスタートしたが、かえって異端の存在を不動にしてしまった。一人を火炙りの刑に処すると、数千の人間を蜂起させたのだ。なぜそうなったのか。異端審問が敵を公開処刑にしたこと、まだ懺悔しないうちに処刑したこと、つまり懺悔しなかったために処刑したことが原因だ。彼らは自分の信仰を捨てなかったために死んで行かなければならなかった。当然のことだが、すべての栄光は犠牲者に与えられ、すべての汚名は彼らを火炙りにした異端審問官に負わされた。後年の二十世紀では、いわゆる全体主義が登場した。ナチ・ドイツにロシア共産党だ。ロシア人は異端者を、中世の審問官よりも残酷に迫害した。そして彼らは、過去の異端審問が犯した過ちから教えられたと信じ、そして少なくとも、殉教者は作ってはならぬということを知っていた。彼らは犠牲者を公開裁判で晒す前に、犠牲者の威信を計画的に破壊しようと計った。彼らは拷問と独房生活によって責め苛まれた挙句、卑劣な人間になり下って、恥も外聞もなくへつらい、相手の言いなりに告白し、あるいは自分のことを悪しざまに言い、仲間を告発して自分だけはいい子になり、泣きを入れながら慈悲を乞うまでになった。ところが、僅か数カ年しか経たないうちに、またぞろ中世紀と同じような結果になった。死者は殉教者になり、彼らの不面目は忘れられてしまった。繰り返しに過ぎないのだ。なぜそうなったのか。まず第一に、彼らの行なった自白は明らかに強制されたものであり、嘘で固められていたからだ。われわれはそのような過ちは絶対に犯さない。ここで行なわれる自白はすべて真実なのだ。われわれが真実なものにするのだ。そして就中、死者がわれわれに敵対すべく再生するようなことは絶対に許さない。ウィンストン、後世が君を支持すると信じてはならない。更生が君の存在を知るようなことは絶対にないよ。君は歴史の流れの中からきれいにさらい出されるだろう。君をガスに気化して成層圏に拡散してやる。君のことは何一つ残るまい。どんな記録簿にも君の名は残らないし、生きている人間の記憶の中にも残らないであろう。君は過去においても未来においても完全に抹殺されてしまうのだ。君は、この世に一度も存在しなかったということになるのだ」
ならばなぜ、こうしてわざわざ自分を拷問にかけるのであろうかと、ウィンストンは瞬間的に腹立たしく思った。オブライエンはウィンストンがそれを大声で口にしたかのように、ふいと足を止めた。大きな醜い顔が近づいて来て、その眼は幾らか細くなった。
「君は、こう考えているね」と彼は言った。「われわれは君を完膚無きまでに破壊しようとしている。従って君が何をいおうと何をしようと、大した違いはないじゃないか―とすれば、われわれはなぜまずもって君を尋問するという労をあえて取るのかとね。それがいま、君の考えていたことではなかったのかね?」
「ええ」
オブライエンは薄笑いを浮かべた。「ウィンストン、君は全体の模様を損なう疵だ。払拭しなければならない汚点だ。私はさっき、われわれのやり方が昔の宗教迫害とは違うといわなかったかね? われわれは消極的な服従にも、どんな至高の服従にも満足を感じない。君が結局はわれわれに屈服する時、君の自由意志に基づいたものでなくちゃならない。われわれは異端者が自分たちに抵抗するからといって彼を破壊するような真似はしない。彼が抵抗を続ける限り破壊するようなことはしない。われわれは彼を回心させ、その内なる心を捕捉し、人間を改造するのだ。すべての邪悪なもの、あらゆる幻想を彼の心から焼き払ってしまう。形の上だけでなく、身も心もわれわれの味方につけるのだ。彼を殺してしまう前に、われわれの一人に仕上げるのである。どんなに道を誤った思想でも、それがたとえ秘密に存在し、無力であったとしても、この世のどこかに存在しているということはわれわれにとって堪え難い。死の際に臨んでも、思想的な偏向は許されない。過去においては、異端者は最後まで異端者として火刑台に昇った、異端の説を述べ、それを誇りにしながら。ロシアの大粛清の犠牲者たちでさえ、銃弾の飛来を待つべく死の通路を歩いて行った時、頭蓋骨の内部に逆心を携えていくことが出来た。ところが、われわれは完全な洗脳を行なってから、そいつを吹っ飛ばしてしまうのだ。古い時代の専制者たちは『汝、斯くすべからず』と命じた。全体主義者たちは『汝、斯くすべし』と命じた。われわれは『汝、斯くなり』だ。ここへ連れて来られた者のうち、最後まで反抗し通せた人間は一人もいない。一人残らずきれいに洗脳される。かつて君が無実を信じた三人の哀れな反逆者ども―ジョーンズ、エアロンソン、ラザフォード―も、おしまいにはわれわれに屈してしまった。彼らの尋問には、この私も参加した。彼らは段々に参っていき、女々しくなり、這いつくばって、泣き声をあげた―最後には苦痛からでも恐怖からでもなく、ただ後悔の気持ちからそうしたのだ。われわれが彼らを仕上げてしまった時、彼らは人間の抜け殻に過ぎなかった。自分たちのやったことへの後悔と、『偉大な兄弟』に対する敬愛の心を除いたら何一つ残っていなかったのだよ。彼らが『偉大な兄弟』をどんなに敬愛したか、それを眼の辺りに見るのは感動的な光景だった。彼らは一刻も早く射殺して欲しいと懇願したよ、清らかな心をしている間にね」(ハヤカワ文庫 G・オーウェル『1984年』)

ザミャーチン「われら」のラストでも、主人公は現在の体制に疑問を抱いていたかつての自分を、「病気」だったと感じるように精神を改造されている。

この私、D‐五〇三号が、この何百ページもの覚え書きを本当に書いたのか? 私がかつてこんなことを感じた―あるいは感じたと想像したというのは本当か?
筆跡は私のだ。それから後も同じ筆跡だ―幸いなことに、同じなのは筆跡だけだ。少しのたわ言もなく、馬鹿らしい隠喩も、いささかの感情もない。ただ事実だけだ。なぜなら私は健康であるから、完全に、絶対的に健康であるから。私はほほえむ―ほほえまないわけにはいかない。頭から何か刺(とげ)のようなものが引き抜かれ、頭の中が軽くなり空になった。正確に言うなら、空ではなくて、異質なもの、微笑をさまたげるようなものは何もなくなったのである。(岩波文庫 ザミャーチン「われら」)

「一九八四年」にしても「われら」にしても、それらが描き出す世界では、先に私が選択肢の一つとして述べた、「自らの罪を自覚して心からその処罰を受け入れる」本来の姿の安らぎや喜びが、この上なく滑稽に醜くゆがめられたかたちになって有効活用されている。これらはいずれも架空の話であるだけに、徹底したこの救いのなさはどこか非現実的で、奇妙な滑稽ささえかすかに生むものの、これに似た現象は私たちの周囲に常に存在すると言ってよい。
神であれ思想であれ人間であれ、何かを信じて身をゆだねてその裁定に身をまかせることは、モンゴメリと似ているようで大きく異なるオールコットの「若草物語」を初めとした作品群で、主人公の少年少女が親や教師に対して反省し素直に罰を受ける場面の数々を見てもわかるように、本来は決してまちがってはいないし醜いものでもない。戦地からの父の手紙を母が読み上げるのを聞いた四人の少女は、それぞれ次のように自分たちの日常を省みて、よき女性になろうと心に誓う。

ここまでくるとみんなはすすり泣きを始めた。ジョーは大粒の涙が鼻の先へころがり落ちるのを恥ずかしいと思わなかった。エーミーもまた巻毛がくしゃくしゃになるのもかまわずお母さまの肩に顔を押しつけて、泣きじゃくりながらこう言った。「私、わがままな子だわ、だけどもうほんとにいい子になるわ、そしてだんだんにお父さまががっかりなさらないような子になるの」
「みんなそうしましょうね」とメグは叫んだ。「私はあんまり見かけばかり気にして、働くのをいやがるのだわ、でももうできるだけそうしないようにします」
「私も一生懸命でお父さまのおっしゃる『小婦人(リトル・ウィメン)』になれるようにしてみよう。らんぼうだの野蛮だのやめて、よそへばっかり出たがらないで家で仕事をしてみるわ」と言いながらもジョーは自分の性質として、家にとじこもっているのは、南方へ出かけて一人二人の反逆者に立ち向かうのよりもむずかしいことだと考えていた。
ベスは何も言わないで、青い軍隊靴下で涙をふいた、そして手近な務めを果たすのに時間を浪費すまいと一生懸命に編み出した。心のうちで、おめでたいご帰還の時がくるまでに、お父さまが望んでいらっしゃるとおりのものになっていようと決心したのだった。(角川文庫 オルコット『愛の若草物語』 第一章「巡礼ごっこ」)

キプリング「ジャングル・ブック」の狼に育てられた少年マウグリも、森の動物たちに人間社会以上のきちんとしたしつけを受けることになっていて、彼もまた自分の誤りを認めて、熊のバアルウと黒豹のバギイラに素直に罰を受けている。

「いや、それはおれにもわかっている。だが、おきてはおきてだ。すべて密林の生活では、なににも厳正に公平にやらなければいけない。かわいいからといって罰をきせないというのは不公平だ。それではおきての正義がたたなくなる。
マウグリは自分のわがままから、とんでもない大事件をひきおこし、ほかのものにたいへんな迷惑をかけたのだから、当然、それに相当した罰をうけて、罪のつぐないをしなければならない。
バアルウ、こんな場合の罰のきまりはどうなんだ」
「力いっぱい・・・六つ・・・ぶんなぐるのだ」
バアルウが小さな声でいった。
「よし、マウグリ、おまえはその罰をうけることについて、なにかいうことがあるのか」
「ありません。ぼく、悪かったんですよ。ぼく、ふたりにけがをさせて、いけなかったんです。だからぶたれるのが正しいと思います」
「そうか」
バギイラが立ちあがった。バアルウが下をむいてしまった。
マウグリはいさぎよく頭を前につきだした。
バギイラが前足をふりあげて六どぶった。けれど、それは、愛のこもった、やさしいぶちかただった。けれど、けっして、なぐるようななまやさしいものではなかった。バギイラはマウグリをかわいがったが、けっして、あまやかすようなことはしなかった。
そのたくましい前足で一つぶたれるたびにマウグリはよろめいた。けれど、彼は男の子らしく、すぐに立ちなおり、ぎゅっと歯をくいしばって次の打撃を待った。彼は、自分が悪かったのだから、もっとひどくぶたれてもしかたがないと思い、みずから火が出るようないたさを勇ましくこらえていた。
けれど、かたくつぶった目から熱い涙がにじみだした。かれはそれをはずかしいと思って、いっしょうけんめい目をつぶっていた。
それを見ると、バアルウが涙をいっぱいためた目をきらきらさせた。
「さあ、これで密林のおきては守られた。われわれの社会の正義はけがされなかった。これでいいのだ」
バギイラは静かにいった。そして、
「マウグリ、おれの背中へとび乗れよ。いそいで帰ろう」
と、背中をむけた。(講談社版世界名作全集21 キプリング『ジャングル・ブック』)

このような、絶対にぬれぎぬではないと本人が心から認めて罰をうけることができる社会制度や人間関係は本来快く美しく、そのような中で受ける罰は至福の安らぎにもなる。人間がそれを求めることは当然で健全であるばかりではなく、人間として大切な忘れてはならない欲求でさえある。(註1)それだけに、「一九八四年」や「われら」、また現実のさまざまな事件でも明らかなように、そういう人間の願いが何者かによって残酷に利用されてしまうこともまた多い。
「怒りのぬれぎぬ」をきる人たちは、あるいはそれを怖れるのだろうか。彼らは司法や世論を信じておのれを空しくはしない。かと言って、それに対峙する別の価値観や論理を提示して戦うこともしようとしない。彼らはこのどちらにも、どこにも行かず、常にその途中か周辺かの、どこかあいまいな位置に立ちどまっている。そうすることで、自分の犯した罪やそれに対して責任があるかもしれない相手や周囲や社会の罪と対決することをさけつづける。そこには自分へのささやかで臆病な愛はあっても、他者に対する愛はない。それが「うさんくささ」や「後味の悪さ」とともに、「怒りのぬれぎぬ」の最大の特徴だろう。

否定しつづける精神

「自分でやったことをやらないとがんばって、母を手こずらせるのもおもしろいが、やらないことをやったと言い切って、母がどんな顔をするかを見るのも愉快だ」と薪小屋の中で次郎は考えた。信用されないことは承知の上で無実を主張しつづけるのと、「怒りのぬれぎぬ」を着ることは紙一重であると同時に、むしろ表裏の関係にもある。
もうかなり昔だが、「ロス疑惑」と呼ばれた事件があった。同じころ、こちらはもう覚えている人も少ないだろうが、アメリカのフィギュアスケート選手が人を雇ってライバルの選手を襲わせたとして罪に問われた事件があった。マスメディアは二つの事件を昼夜を問わず放送したが、結局真実はわからず、どちらの事件の容疑者も過剰なまでに饒舌に自らの潔白を主張した。
真相は今もわからない。しかし多くの人が彼らを無実ではないと感じていた。そして確たる証拠がないからと言って、誰もが信じていないことをあくまでも主調しつづける彼らの真意をいぶかっていた。
くりかえすが、その真相はわからない。しかし、明らかに嘘とわかっている弁明をそれが嘘だと明白に証明できない、ひょっとしたら事実なのかもしれないという余地が針の先ほどでもあるなら、そのことだけをよりどころに、無実を主張しつづける、このような姿勢は日常でも時々見かける。
誰かが信じてくれることを期待さえしていない、このような無実の主張は、やってもいない罪をやったと告白してしまう「怒りのぬれぎぬ」の精神とおそらく非常に接近している。
「怒りのぬれぎぬ」をきる人に相手や他者への愛はないと言ったが、それは自分が犠牲になって相手を幸福にしたいと思うような愛ではないということで、このような人たちは相手や周囲に決して無関心なのではなく、何かを期待し何かを訴え、自分では正確に表現できない自分自身を理解してもらいたがっているという点では相手や周囲とつながっていたいし、そういう点では愛してもいる。しかし、裏切られ傷つけられることを強く恐れて他者を信用しないから、完全に嘘ではないメッセージを送りつづけ、暗号のようなことばで自分の真実を伝えつづけないではいられない。それはもしかしたら、私たちの誰もが持っている感情で、そういう意味では「怒りのぬれぎぬ」は最も人間的なのかもしれない。
彼らにもっと勇気を持て、もっと賢くなれと要求するのは簡単だ。しかしそれは本当に、決してたやすいことではない。
「あさま山荘事件」で革命を志した仲間をリンチにかけて殺害した連合赤軍の若者たちは、その後獄中で永田洋子『十六の墓標』、坂口弘『あさま山荘1972』、植垣康博『兵士たちの連合赤軍』(いずれも彩流社刊)を初めとした、当時をふりかえる手記をいくつも綴った。彼らはいずれもその中で、当時の自分を全面的に否定し懺悔し後悔に身もだえて見せるのではなく、あくまで冷静に自分たちの行動を再生し分析し、世界と未来に役に立つ何らかの教訓を見出そうと努力している。(弦書房 板坂『私のために戦うな』 「闇の中へ」参照)彼らが自分たちの気持ちを楽にすること、多くの人に好感を持たれることを犠牲にしてでも、そのように酸鼻をきわめた体験の報告から人々が何かを学び利用することを願って、その記憶と向き合っていることがこれらの著作からは伝わる。私はそれに力づけられる一方、彼らのそのような苦闘が必ずしも評価も利用もされてはいないかに見える現状に、このような試みの難しさをあらためて感じる。そして、無実の罪の受け入れであれ、犯した罪の拒否であれ、屈折した中途半端なかたちでしかメッセージを発信する勇気が持てない「怒りのぬれぎぬ」をきる人々の用心深さを、心のどこかで納得するのだ。

無視できない弱さ

最初に予告したように、この章の後味はあまりよくないものになったかもしれない。しかし、くりかえすが「怒りのぬれぎぬ」は他の二つに比べて最も人間らしい要素を持つぬれぎぬであるとも言えよう。私たちは、その弱さを拒否も無視もするわけにはいかない。それもまた私たちの一部分として大切にして行くしかないだろう。「そうさせたのはわたしなのだからね、もしあんたが許してくれれば、わたしもあんたを許してあげるよ。そして二人でまたやりなおそうよ」と、マリラがアンに言ったように。

(註)

  1. アラビアのロレンスことT・E・ロレンスは、自分がそのような長上者を持つことのできなかった不幸を嘆いている。

まとめ

「怒りのぬれぎぬ」は、他の二つと区別がつきにくいが、それは他者や周囲に対する信頼や愛情に基づかないのが特徴である。社会の規範を信じて自分をまかせるのでもなく、社会の規範に異をとなえて抗議して戦うのでもない、中途半端で臆病な精神が生み出したものと言ってよい。しかし、それは最も人間的であり、誰の中にも普通に存在するものである。「怒りのぬれぎぬ」を生み出す心理はわかりにくいし快いものではないかもしれないが、私たちは、それが自分のものであれ、他人のものであれ、充分に理解して対処しなければならない。

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