ぬれぎぬと文学(未定稿)5-第三章 怒りのぬれぎぬ(1)

帰りの時間

歌舞伎を見ていて、こんな体験をした人はいないだろうか。
主要な人物が舞台の上で致命傷をおって虫の息になり、皆に介抱されながら息もたえだえに何かを言い残そうとしている。どう考えてもあと数分で彼だか彼女だかは死に、どう考えてもそうしたらこの芝居は終わりである。
だが時計を見ると、終演の予定時刻まではあとたっぷり三十分、どうかしたらそれ以上ある。
普通の人が考えるのは、これはきっと何かの都合で劇の進行が速まって、予定より早く終わるのだろうということだ。それなら一本早い電車に乗れるかなとか、どこかで食事やショッピングもできるかなとか、ちらと頭のすみで考えたりする。
で、結論からいうと、早い電車には乗れないし、食事もショッピングもできない。予定通りの時刻にきちんと劇は終わって幕は下りる。つまり気息奄奄だったその人物は苦しい息の下から、あれやこれやと複雑な状況や切実な心境を説明し告白し、三十分あまりかけてあらゆることを吐露しおわって、ようやくがっくり「落ち入る」、つまり前にのめって息をひきとる。
何度か歌舞伎を見ていれば、こんな展開にはすぐ慣れて、早い電車も食事もショッピングも期待しなくなる。それぐらい、よくある場面だ。中でも死んで行く人物がとんでもない悪人と皆が思っており、殺したのが思いあまった家族だったりする場合、その人物が実はまったくそうではなくて、正義の味方をするために、わざと悪人のふりをして味方も欺いていたことを延々と告白するのを「モドリ」と呼ぶことに歌舞伎の世界ではなっている。つまりそれほど、しょっちゅうの、よくある設定なのである。

いがみの権太

その中のひとつが「義経千本桜」に登場する「いがみの権太」の死の場面だ。
ただし、権太の場合が「モドリ」の中ではちょっと特殊なのは、彼の悪のすべてが虚像だったわけではなく、不良青年で親の金を持ちだしては遊び、旅人に言いがかりをつけては金品をまきあげていた、困りものでならずものの実態は別に誤解でも何でもなく、その通りだったということだ。「モドリ」というなら先の松王の告白もそうなのだが、松王の場合は彼の悪事のすべてが虚像で、観客もふくめた周囲の誤解だった。権太の場合とは、そこがちがう。
そのちがいは微妙だが、重要だと思うので、私は権太のような場合を「怒りのぬれぎぬ」と呼んで「覚悟のぬれぎぬ」とは区別するのだ。
前章の「菅原伝授手習鑑」の寺子屋と同様、時代考証などまったく無視して、権太の両親は吉野山のふもとで、すし屋をしている。権太は結婚して幼い子どももいるのだが、家には金をせびる時にしか寄りつかないから両親は嫁や孫に会ったこともない。
どう見ても江戸の町娘のような権太の妹お里は、最近住み込みで働き始めた弥助という美しい若者に思いを寄せている。これまたどう見ても江戸のいなせな町人にしか見えないこの弥助は、実は平家の公達維盛で、平家が滅びた後、追手を逃れて昔の家来だった権太の父にかくまわれていたのである。
お里はそんなこととは知らず、かわいく弥助にせまったりするが、そこに彼の妻と息子が訪ねてくるのでショックを受ける。一方、維盛をかくまっていることを梶原景時(源氏の重臣)に追及された権太の老父は、維盛の妻子を守って旅をしてきて途中で追手に殺された若武者小金吾の首を、維盛といつわってさし出そうとすし桶にかくしたりしている。
しかし結局、権太は親が維盛をかくまっているのを知り、賞金ほしさに維盛一家を梶原に突き出してしまう。「おまえの功績に免じてかくまっていた親は許そう」という梶原に権太は「親の命は親と相談してくれ。自分はとにかく金がほしい」などと言う。

権太「アアモシモシ、親の命を助けて貰おうといって、命がけの働きゃアいたしやせん」
梶原「スリャ親の命を取られても褒美がほしいか」
権太「ハテ、親の命は、親と御掛合い下さいまし。わっちゃアやっぱり、レコ、お金がよろしゅうござります」

そして維盛の首と生け捕りの妻子を得て去って行く梶原に「まちがいなく金を下さいよ」などと呼びかけているので、老父弥左衛門は耐えかねて権太を刺してしまう。そこで最初に述べた「モドリ」の場面になり、権太は老父の計画では役人はだませないことを指摘し、維盛の身代わりに小金吾の首は使ったが、妻子の身代わりには自分の妻と子をさし出したこと、維盛一家は無事に逃がしたことを告げ、激しく後悔し嘆く父母に抱かれて息をひきとる。

弥左衛門「(権太を刺した後で悲しむ妻に)泣くな女房、何吠える。不憫なの可愛いのと、こんなやつを生けて置いては、世界の人の難儀になるわえ。門端も踏ますなと言いつけおいたに、内へ引き入れ、大事の大事の維盛様を殺し、内侍様や若君をよう鎌倉へ渡したな。腹が立って腹が立って、涙がこぼれて、この胸が裂けるようじゃわい。三千世界に子を殺す、親というのはおればっかり、あっぱれ手柄な因果者に、ようしおったな」
♪えぐりかければ権太郎、刃物押えて、
権太「とっさんとっさんとっさん、コレ、親父さま」
弥左衛門「エエ、何じゃい」
権太「こんた(あんた)の智恵で維盛を、助けることは、そいつアいかねえ、そいつはいかねえ」
弥左衛門「言うなやい、ぬかしおるな。今日幸いと別れ道のかたわらに、手負いの死人、よい身代わりと首討って戻り、この中に隠して置いた。これを見おれ」
♪鮓桶とって打ちあくれば、ぐゎらりと出たる三貫目。
(ト以前の桶をあけると、中より金出る。)
弥左衛門「ヤヤこりゃ金、こりゃどうじゃ」
♪あきれ果てたるばかりなり。手負い(負傷者すなわち権太)は顔を打ち眺め、
権太「おいとしや親父さま」
(ト篠笛入りの合方になり、)

篠笛は高い悲しい笛の音で、それを合い方、つまりバックミュージックに以下の権太の「モドリ」のせりふが続く。

権太「おれの性根が悪いゆえ、御相談の相手もなく、前髪の首を総髪にして渡そうとは料簡違えのあぶねえ仕事だア。梶原ほどの侍が、弥助というて青二才の下男に仕立ててある事を知らずに討手に来ましょうか。(維盛はすし屋の職人らしく町人風の髪型になっているのを敵は調べて来ているはずで、身代わりの首は前髪の若侍だから、すぐに見破られてしまうだろう。)それと言わぬはあっちも合点、維盛さま御夫婦の路金にせんと盗んだ金、重いを証拠に取り違え、持って帰って鮓桶を、あけて見たれば中には首。はっと思えどコレ幸い、前髪剃って突きつけたは、とっさん、やっぱりおめえの仕込みの首だ(維盛一家の逃走費用にと自分が盗んで来た金を、鮓桶の中に隠していて、重さが同じぐらいだから首を隠してあった桶とまちがえて自分の家に持って帰って、まちがいに気づいたが、ちょうどよいとその首の髪を剃って町人風にして、梶原に差し出した。結局あんたの用意していた身代わり首を使ったわけだ)」
弥左衛門「ムウ、そのまた性根で、御台さま、若君さまを、なぜ鎌倉へ渡しおったぞ」
権太「そのお二人と見えたのは」
弥左衛門「そのお二人と見えたのは」
権太「この権太郎が、女房、倅だ」
弥左衛門「エエエ、シテシテ、お二人様は何所にござる」

権太が老母に頼んで合い図の笛を吹いてもらうと裏口から維盛一家(妻子は権太の妻と子の姿に変装している)が入ってきて、この様子を見て驚き悲しむ。老母はあらためて権太にすがって嘆く。

母「常が常なら親父殿も、こうまでむごうはさっしゃるまい。不憫なことをしたわいのう」
♪悔み嘆けば権太郎、
権太「そのお悔みゃア御無用御無用。(ト篠笛入り合方)常が常なら梶原が、身代わりくっちゃあ帰りますめえ。まだそれさえも疑って、親の命を褒美にくりょう、忝ねえというとはや、詮議に詮議をかける所存。いがみと見たゆえ油断して、一ぱい喰って帰ったは」
♪わざわいも三年と、悪い性根の年のあけ時。
権太「生まれついて諸勝負に魂奪われ、今日も彼方を二十両、かたり取ったる荷物のうち、うやうやしい高位の絵姿、弥助がつら、あなたの顔に生き写し、合点が行かぬと母人に金の無心をおとりに入り込み、忍んで聞けば維盛卿、御身に迫る難儀の段々。ここで性根を入れ換えずば、おっかさん、いつ親父様の御きげんの、直る時節もあるまいと、打って替えたる悪事の裏、維盛様の首はあっても、内侍若君の代わりに立てる者もねえから、どうしようか、こうしようかと、途方にくれていたところへ、女房小せんが倅をつれ、コレ権太どの何うろたえることがあろう、わしと善太をコレこうと、手を廻すれば倅めも、ちゃんや、おれもおっかアと一緒にと、ともに廻して縛り縄、掛けても掛けても手がゆるみ、結んだ縄もしゃらほどけ、いがんだおれが直ぐな子を、持ったは何の因果ぞと、思っては泣き、しめては泣き、後ろ手にしたその時は、いかな鬼でも、蛇心での、堪えられたものじゃねえ、かわいや女房倅めが、わっと一声、その時は、コレ、血々々」
♪血を吐きましたと語るにぞ、力み返って弥左衛門、
弥左衛門「コレ聞こえぬぞよ権太郎、孫めに縄をかける時、血を吐くほどの悲しさを、常に持ってはなぜくれぬ。広い世界に嫁一人、孫というのも彼奴一人、子供が大ぜい遊んで居れば、コレコレ子供衆、権太の倅は居ませぬかと問えば、子供はどの権太、家名はなんとと尋ねられ、おれが口からまんざらに、いがみの権とはいわれもせず。悪者の子じゃゆえに、はね出されておるであろうと思うほど猶そちが憎さ。今直る性根が、半年前に直ったら、のう、おばば」
母「おいのう、嫁女や孫の顔、よう覚えて置こうもの」
弥左衛門「オオ、おれもそればっかりが」
♪そればっかりがとむせ返り、わっとばかりに泣き沈む。

命にもかえて守りぬこうとしていた主君を裏切った息子のふてぶてしさに我を忘れて自らわが子を手にかけた老父の気持ちとその後悔はわかるとしても、すすんで申し出たとはいえ、妻子を犠牲にした権太の行動や心情は「菅原伝授手習鑑」の松王と同様に、納得しがたい人もいるだろう。しかし、松王たちの場合の強大な悪への必死の抵抗という意識が薄いかわりに、ここでは長いこと親に迷惑をかけたならず者とその家族の切ない気持が、これも松王たちの場合と同様、舞台の上で演じられると強い迫力で訴えかけてくる。おそらく当時も実際には多くあったにちがいない権太のような困り者の息子の、実家にしのびこんで金を奪うといった悪事の数々が、実はどれも正義感にもとづく計算づくの行動だったとすべて明らかにされる権太の告白に、「我が子もそうなら」とつかのまのありえない夢に身をまかせた親たちも観客の中にはいくらもいたにちがいないのだ。

玉手御前の邪恋

「三千世界に子を殺す、親というのはおればっかり」と嘆いている弥左衛門だが、これももともと浄瑠璃の脚本が歌舞伎にも利用された「摂州合邦辻」で、継子の美青年に激しく恋して婚約者の姫に暴力をふるう玉手御前の父親の合邦も娘の行為に耐えられず、自ら娘を手にかけている。そして玉手御前もまた、権太と同様に「モドリ」の演技で、苦しい息の下から継子への横恋慕は御家をのっとろうとする悪人たちの目を欺くためであり、自分のような寅年寅の刻生まれの女の生き血で継子の業病が治るため、わざと父に殺されるようにしむけたことを告白し、老父や継子ら一同の感動と感謝の中、最高の貞女とたたえられつつ絶命する。
彼女の異常で非常識な振る舞いはすべて善意と正義感から生まれたものであることが説明できるため、誤解がとけてもまだ罪はすべて消えたわけではない権太の場合とは異なり、松王らと同様の「覚悟のぬれぎぬ」と考えるべきであるが、ただ歌舞伎の演技でも玉手が継子の青年に迫って婚約者の姫を攻撃する場面は、「(玉手の本心は)割ってはならぬ底で、玉手御前の義子への恋は、真の恋らしく演じるのが正しい」「俊徳丸に摺り寄ってのクドキは、何度もいうように、真の恋として演じるべきである」(東京創元社『名作歌舞伎全集』第四巻 戸板康二氏解説)、「しかし、玉手御前が、自分より一つ二つ年下の、美しく凛々しい若殿・俊徳丸にしかける恋の、『いつわり』というにはなんと切なく、もの狂おしいことでしょうか」「それは、タテマエのうらに、蛇(くちなわ)の舌のようにちろちろと仄(ほの)見えるホンネなのです。観客はそのホンネの物すさまじい嵐にまきこまれ、目もくらむここちがして、しばしタテマエを忘れます」(新潮文庫 田辺聖子『文車(ふぐるま)日記 ―私の古典散歩―』中、「玉手の恋 ―摂州合邦辻―」)などの指摘もあるように、決して偽りの行為という余地を残さず、真剣な真実として演じることにされているように、少なくとも観客はこの場合玉手の邪恋におののきつつ共感もして楽しめるようになっている。それが最後の玉手の告白で潔白が証明されて安堵することも含めて、そこには許されない感情を束の間解放し共有する快感がひそかに提供されている。
「覚悟のぬれぎぬ」の深奥にも、そもそもこの要素は隠れていると言えなくもない。「怒りのぬれぎぬ」との差は、両者の両極端では明確になるものの、境界では限りなく区別があいまいになる。この章でこれから述べる他の例を見てもおわかりのように、このうさんくささこそが「怒りのぬれぎぬ」の特徴であり本質である。

責める方の罪悪感

わかりやすいことから話そう。日常でもよくあることだが、誰かを何かの件で責め、後になってその相手の隠れた事情がわかったとき、相手の方が同情を集めて被害者になり、またたとえ周囲が知らなくても責めたこちらが加害者のような罪悪感に苦しむことがある。遅刻した部下が実は人身事故で人命救助をしていたとか、ミスの多い同僚が親の介護に追われていたとか、愛想悪くなった恋人が実はガンだったとかいう場合だ。「山口百恵のスキャンダルを追っていたらいつも美談に変わってしまう」という特ダネ記者の述懐を読んだことがあるが、たとえ本人がまったく意識していなくても、それは非難され攻撃された当事者の評価を逆に高める絶大の効果を生む。海外ドラマ「グッド・ワイフ」では熾烈な選挙戦で相手候補のスキャンダルを暴露した後、この手の逆転が起こって形勢が変わって追いつめられる展開が再三描かれており、それは現実の選挙戦の反映でもあるだろう。
「覚悟のぬれぎぬ」の場合、周囲のために自らを犠牲にした人間は決してそれを明らかにせず口を閉ざして語らないから、永遠かつ完璧に事実は闇に葬られる。律儀な人の中には自分がそうした借りを誰かに負っていること自体が気に食わず負担になるから、「覚悟のぬれぎぬ」はこの世から排除してほしいという、しごくまっとうな感覚を持つ人もいるだろう。あいにく、おそらく、それは決して実現しえない不可能な事態で、私たちはおそらく誰もが目に見えない誰かに大きな犠牲を払わせつつ生きているのにちがいないということを前提に、それが幸福ならそれでよし、仮に不快で落ちつかなくても一生それに耐えて行くしかないだろう。
むろん松王の場合もそうだったように「覚悟のぬれぎぬ」は一部の人や時には全世界にも伝わってしまうことがある。だがそれはあくまでも、ぬれぎぬをきた人が本来望んだことではなく、ましてや決して最終的な目的ではない。
「怒りのぬれぎぬ」は、これと反対に、ぬれぎぬをきる本人が多少ともそれを目的としているのだ。しかも多くの場合、対外的にも内心でも「覚悟のぬれぎぬ」を装いつつそうするから、非常に見分けがつきにくい。時にはまさに「覚悟のぬれぎぬ」と同様、誰にも知られないままでもかまわないし、そのことによって相手や世の中へのひそかな優越感と勝利感にひたろうと思っていることさえあるから、ますます区別がつけにくい。
したがって、「怒りのぬれぎぬ」を説明しようとすると、この章であげる例の多くは、微細な意識にこだわって言いがかりをつけているようにしか見えないだろう。このような「後味の悪さ」というのもまた、「怒りのぬれぎぬ」に常にからんでくる特徴である。

江川選手の会見

たとえば文学作品ではないが、ジャイアンツの江川投手が引退の時、「実は肩の故障をおして投げていて」という告白をして報道陣を感動させた際の人々の反応について、文春文庫『江川ってヤツは・・・』はそれが江川の計算された発言であったが結果として、肩の治療に携わる人々の中から抗議が起こったため、このような好印象は持続しなかったと分析している。

四百人以上も集まった報道陣は、すべて水を打ったように静まりかえった。(略)
もう一年ユニホームを着ることができれば、選手生活十年という目標を叶えられ東京ドームでも投げられる。なのに、そんな自分の夢をすべてなげうって、チームのために投げた、というシナリオだった。(略)会場からは、すすり泣きさえ洩れ出した。(略)
この瞬間、少なくとも、江川は、悲劇の美しい主人公に変貌をとげていた。―こんなチーム思いで、自分を犠牲にして散った男を非難するなんてとんでもない―
世間のムードはこうだった。
汚い、とか、手抜き、とか、計算高い、という江川のイメージは、消え去ったはずだった。それで終わっていれば、ある意味では江川は歴史に残る大役者だった。(文春文庫 グループ「江川番記者」『江川ってヤツは・・・』)

この本の描く江川選手像がどこまで正確なのかはわからない。ただ私もたまたまその引退会見を見たのだが、そのとき連想していたのは、かつて私が知っていたある女子学生のことだった。彼女は人間関係のことでクラスの皆の誤解を受け、大学の数年間不快な思いをしたのだが、あえて弁解せず、どれだけ自覚してそうしたかはわからないが、皆が誤解している通りの悪い女のようにふるまっていた。卒業間近にふとしたことからその誤解がとけ、友人たちは彼女に謝った。彼女にその話を聞いたとき私は、「でもなぜ、あなたは最初に誤解された時、うけいれられてもうけいれてもらえなくてもかまわないから、きちっと反論、弁解しなかったのだ。『いつかはわかってもらえる』と思って黙って耐えているというのは、あまり周囲の人間を愛している人のすることではない。更に言うなら、今になって、あなたが悪いのではなかったというのでクラスの皆がショックを受けて反省している、そのどさくさにまぎれて、あなたが悪かった面までが消えようとしているのではないか。あなたはそれを意図したと思われたってしかたがない」と言ったのだった。
『江川ってヤツは・・・』の描く江川選手の心理が真実かどうかに関係なく、あの記者会見にはこの女子学生の場合と同様、私が「怒りのぬれぎぬ」と呼ぶものが生む効果があったことは否定できない。それは、弱者や差別されている人たちに対して作品の中でもそれ以外でもしばしば激しい攻撃を行っていたつかこうへいが、後に自らが在日朝鮮人であることを表明し、それを知られて差別されることの恐怖から自分と似たような存在に残酷だったと告白したとき、彼の従来の弱者への攻撃を正面から非難してきた人たちにいくぶんかは確実に間の悪い思いをさせたであろう効果ともまた同様である。

周囲への配慮

いがみの権太の場合もふくめて(彼は身代わりに首を使われる若者小金吾にからんで、直接に手を下したのではないが小金吾を死にいたらしめている)、こういった人々は自分が実は不幸や苦悩を内包していたことが明らかになったとき、周囲がどれだけ衝撃を受け、そんなかわいそうな人を責めたことで、いたたまれない思いにかられ、かつて彼らに与えられた被害や傷も忘れてしまうほどとりみだすことを、まったく考えていないか、少なくとも気にしてはいないかに見える。そんな余裕もないほどに、彼らは追いつめられていたのだろうか。
江川選手やその女子学生やつかこうへいが、この点で強者か弱者か判断するのは難しい。どんな恵まれた立場にいるようでも本人が常に不安で恐怖にかられていたならば、周囲を思いやる余裕などないだろう。
強者か弱者かと言うのなら、「覚悟のぬれぎぬ」をきる人たちも「花さき山」や「泣いた赤おに」の場合に典型的なように、決して恵まれた勝者ではなかった。どんなに弱い立場にいても強者として他人を思いやってしまう人は、いつの時代もどこにでもいる。反対に、他者や周囲を思いやる余裕のないほどせっぱつまっている人は、どんなに豊かで健康で地位と力に恵まれていても、どれだけ大切にされ評価されかしづかれても、決して人の犠牲になるほど自分が強いとは感じられないものだ。(続く)

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