ぬれぎぬと文学(未定稿)10-第五章 私だけの畑(2)

二つの恐怖

このように自分の今の幸福が多くの人を犠牲にした上に成り立っており、自分の持っているものを持てないで苦しんでいる人たちが大勢いると実感しつつ、それに目をつぶって幸福を享受しようとする人の心をむしばむ不安とは、やや味気なく分析するなら、大きく言って次のふたつになるだろう。
ひとつは、当然ながら、そんなことを続けて行けば、犠牲になっている人たちの怒りがいつか爆発して、自分の今の生活が破壊されるのではないかという恐れだ。愛する者のすべてを奪われ、しかも自分はそのことを嘆くことさえ許されない、自分自身がそれを許せないという最大の悲劇が訪れるかもしれない。
そのような怒りに満ちた民衆の前にさらされる、かつての権力者の姿を「二都物語」と「十二国記」は、それぞれ凄絶に描いた。
ディケンズの「二都物語」はフランス革命を背景に描かれる壮大な人間ドラマだが、暴徒と化した民衆は、かつて冷酷な官吏だった七十歳を越えた老人フーロンに対し、すさまじい怒りを向ける。

残忍な怒りに燃えながら窓から覗き、何でもあり合せの武器を?み上げて、街路へどっと出て来る男たちも、恐ろしいものであった。が、女たちに至っては、どんな大胆な者でもぞっとするほどの観物であった。自分たちの赤貧のためにしなければならぬような家庭の仕事を捨てて、子供たちを捨てて、何もない床に腹を空かし着るものもなしに蹲っている老人や病人をも捨てて、彼女等は、実に荒々しい叫び声と振舞とで、お互いを、また自分たち自身を熱狂させながら、髪を振り乱して走り出た。悪者のフーロンがつかまったんだってさ、妹! 老いぼれのフーロンがつかまったんだってよ、お母さん! 悪党のフーロンがつかまったんだよ、娘! すると、別の何十人ばかりの者がその連中の真中へ駈け込んで来て、自分の胸を敲き、自分の髪を掻き毟り、フーロンが生きていたんだって! と金切声で叫んだ。ひもじい奴は草でも食らえと言いやがったフーロンめ! わたしがお父さんに食べさせるパンがなかった時に、わたしのお父さんに草でも食らえと言いやがったフーロンめ! 貧乏のためにこの乳房から乳が出なくなった時に、わたしの赤ん坊に草でも吸えと言いやがったフーロンめ! おお、聖母さま、あのフーロンめ! おお、神さま、私たちの苦しみを! お聞きよ、わたしの死んでしまった赤ん坊や、わたしの萎びて死んだお父さん。あんた方のためにフーロンに仇を討ってやるってことを、わたしはこの敷石に膝をついて誓うよ! 夫よ、兄弟よ、若者よ、わたしたちにフーロンの血をおくれ、わたしたちにフーロンの體も魂もおくれ、フーロンをずたずたに引き裂いて、そして、彼奴の體から草が生えるように、奴を地面の中に埋めておくれ! こういう叫び声を挙げながら、たくさんの女たちは、盲滅法に狂乱したようになり、ぐるぐると駈け廻って、自分たち自身の仲間の者を打ったり引っ掻いたりし、その挙句に興奮の余りに気絶して、足の下に踏み潰されるところを自分たちについている男たちに漸く救われるのであった。

そして彼女たちはフーロンをひきずって行き、彼の口に草をつめて、街灯につるして処刑する。

倒れる。起きる。建物の入口の段のところで真っ逆さまに突き落される。時には、膝をつく。次には、立ち上がる。また次には、仰向に突き倒される。曳きずられる。ぶん殴られる。顔に何百という手で突きつけられた草や藁の束で息が詰る。引っ掻かれる。傷をつけられる。息切れがする。血が流れる。それでも絶えずお慈悲を懇願し嘆願する。時には、人々が彼を見ようとしてお互いに他人を引き下げる時に彼の周りに小さな空地が出来るので、猛烈にじたばたする。時には、脚が林立している間を枯木の丸太のようにひっぱられる。こうして彼は例の人の命を奪う街燈の一つが吊り下がっている一番近くの街角まで引っ立てられて行った。そこへ来ると、マダーム・ドファルジュは、猫が鼠にするような風に―彼を突き放し、皆が用意をしている間、また彼が彼女に哀願している間、無言のまま平然として彼を見やっていた。女たちはその間中彼に向って激昂した金切声で叫んでいたし、男たちは奴の口に草を詰めて殺してやれと情容赦もなく喚いていた。一度、彼が高く引き上げられると、綱が切れて、皆はわあっと叫びながら彼を捉えた。二度目にも、彼が高く引き上げられると、綱が切れて、皆はわあっと叫びながら彼を捉えた。次には綱を慈悲深くなって彼をしっかり吊してやった。それから彼の首は間もなく一本の矛に刺され、その口にはサン・タントワ中の人々がそれを見て踊り狂うに足るだけの草が詰められた。(新潮文庫 ディケンズ『二都物語』 第二巻「黄金の糸」第二十二章「波は猶高まる」)

小野不由美「十二国記」シリーズの一つである「風の万里 黎明の空」では三人の少女が主人公である。その一人、十三歳の祥瓊は芳国の公主(王女)だったが、暴政を行なった父の仲韃に対して部下が反逆し、父も母の佳花も彼女の眼前で処刑される。

「―無礼な!」
桂花が声をあげた。
「ここをどこだと思っているのです。仮にも王后、台輔を前に、許しもなく」
男は精悍な顔を小揺るぎもさせなかった。無言で桂花の前に右手に提げたものを投げ出す。重い音をたて、点々と血糊をまいて、それは祥瓊の足元に転がって恨めしく宙をにらんだ。
「―お父さま!」
不死を約束された王といえども、馘首されれば生きながらえることはできない。祥瓊も桂花も悲鳴をあげて峯鱗の横たわる搨まで退った。
「父の、夫の首でも怖いか」
男は皮肉げな笑みを浮かべる。桂花はその面をにらみすえた。
「お前―恵侯―いや、月渓!」
恵州侯月渓は冷ややかに声を落とす。
「峯王は我らが弑したてまつった。王后も公主にお別れを告げられよ」
「なにを―」
声をあげた桂花の腕にしがみつき、祥瓊は大きく震えた。
「過酷なる法をもって民を永く虐げた王と、その王に讒言して罪なき民を誅殺せしめた王后。どちらにも民の恨みを思い知ってもらいたい」
「王は―王は民のために良かれと―」
「貧困に喘ぎ、思いあまって一個の餅を盗んだ子供にまで死を賜る法が民のためか。税穀が一合欠けても死罪、病に倒れ、夫役を一刻休んでも死罪。民の恐怖はいまのお前たちの比ではなかった」
月渓が手を挙げる。背後の兵が佳花に駆け寄り、その腕から祥瓊をもぎとる。祥瓊は叫び、桂花もまた悲痛な声をあげた。
「他の婦女の美貌と才気を妬み、あるいは他の女子の公主よりも利発なるを妬み、罪を捏造し讒言し、国土には挽歌が満ちた。家族の骸を前にした悲嘆が分かったか」
「おのれ―月渓」
吐き出す桂花には構わず、月渓は兵に取り押さえられ身もがく祥瓊を振り返る。
「公主にもよく見ていていただきたい。己の家族が刑場に引き出され、目の前で馘首される苦痛がどれだけのものか」
「やめて! お願い! ―お母さま!!」
祥瓊の悲鳴は、その場の誰の心を動かすこともできなかった。
目を見開き、喘ぐ祥瓊の目の前で月渓の腕が振りかぶられる。あまりの衝撃に目を閉じることさえできなかった祥瓊は、母親の命が失われるその瞬間を見た。
―転々と跳ねた首は叫びの表情を凍らせたまま、虚空ののぞく口が声なき悲鳴をあげたまま、峯王仲韃の首に寄り添う。
祥瓊の瞼も喉も、その瞬間に凍りついた。(講談社X文庫ホワイトハート 小野不由美『風の万里 黎明の岸』 序章)

祥瓊もまた、幸福の王子や若い王のように人々の苦しみを知らずに生きていた。預けられた村人の家で女主人に責められて、彼女は弁解する。

「いいえ、わたくしは知らなかったんです。お父さまが何をしているか、なんて」
事実、祥瓊は知らなかった。父がなにをし、母がなにをしているのか。後宮奥深くに隠され、幸せにくるまれて、世間もそのようなものだと思っていた。城下に兵が結集して不穏な空気が流れ、それで初めて父王が恨まれていることを知った。
「知らなかった、だって? 仮にも公主が朝廷でなにが行なわれているか知らなかったのかい。あれほど国じゅうに満ちた弔いの歌を、恨みの声を、聞きもしなかったというのだね」
「わたくしは、・・・・・本当に」
「おめおめと生き延びて―お前のその薄汚い口に入る食いぶちが、どこから出ているか知っておいでかい。あれはお前たちに虐げられ、虐げられして、それでも道を踏み外さず、まっとうに正直に働いたこの里の者が実らせたものなんだよ」(同上 第一章)

こうやって、ここだけ読んでいる分にはフーロンも祥瓊も被害者のようだが、当然彼らはこれ以上のひどいことを国民に味あわせた結果、このような事態になっているのである。だからこそ、怒りに燃えて立ち上がった民衆によって、自分や自分の愛する者に加えられる暴虐を、悪と断じて告発することが彼らには許されていない。死んでしまったフーロンはもちろん、生き延びた祥瓊も、やがて自分の至らなさを思い知り新しい生き方を始めるが、愛する父母を殺された怒りや恨みは結局どこかに消えている。彼女が人間として正しく生きて行こうとするなら、味わった恐怖や悲惨のすべては、父母や自分の犯したこと(あるいは、するべきことをしなかったこと)に対する当然の報いであると理解するしかなかったからだ。
文学がこれまで、そのような怒りや恨みの感情を肯定し、告発しつづけたことは、特に市民革命によって近代社会が生まれて以来の文学ではほとんどないのではないかと思う。ゴルバチョフとともにペレストロイカに携わって大きな役割を果たしたアレクサンドル・ヤコブレフが、その著書『歴史の幻影 ロシア―失われた世紀』(日本経済新聞社)の中で明確に「ソビエト連邦が暴力革命と市民戦争の産物であって、人間の幸福のためなどではなく、『世界革命』の基地とする目的でつくられ、社会生活の全体主義的軍事化に自己発現の道を見いだしたという事実そのものが、今日の崩壊をあらかじめ不可避なものとしていた」と、暴力革命を明確に否定し、フランス革命もその見地から批判しているのを見ると、かつてアメリカがベトナム戦争時代に、先住民や黒人の犠牲の上に築かれた建国神話のあらかたを否定せざるを得なかったと同様に、社会主義国の側でも大きな歴史の見直しが進行しつつあるようだから、もしかしたら、今後は祥瓊のような立場の人も、自分の過ちは反省しつつも、そのことによって与えられた処罰が厳しすぎることについては、もっときちんと抗議や反論をすることが認められるようになるかもしれない。しかし、今のところはまだ、自分の幸福な生活が人々の犠牲の上に成り立っていたことを無視して、贅沢の限りをつくした人間の悲しみは、せいぜいがマリー・アントワネットが「バカだったけど、かわいそう」程度の同情をされるぐらいで、決してまともにうけとめてはもらえないのが普通である。そんな未来を予想しつつ豊かな暮らしを楽しむというのは、あまり愉快なことではないから、大抵の人間は「自分はそれほどの贅沢をしているわけではない。上にはもっと上がいて、その人たちから罰されていたら私まで順番は巡ってこないだろう」と漠然と実感して安心しているが、いざとなったら、それも大した安全保障にはなるまい。とはいえ、より大きな権力、より高い地位、より豊かな暮らしを持つ人の方が責任もそれだけ問われるのはたしかで、出世とか成功とかいうものには必然的にそのリスクもついて来ると考えておくべきだろう。偉大な存在になればなるほど、自分が犠牲になってでも守らなければならない人間の数や世界の面積は増えるのだ。

その判定は信ずるに足るか?

もうひとつの恐怖は、そういう虐げられた人々の怒りが爆発することなく、つまり、まあいまどきの日本だから当面は革命も反乱も起こらず、自分が恵まれた場所にいる世の中が変わらず続いて行くとして、(註1)ではその世の中のしくみの中で、自分はいつまでこの位置にいられるかということである。多くの人々にとっては、こっちの方が現実的でその分けっこう深刻かもしれない。
この数年来、中流階級についての論は多くて、そういうものが日本に存在するかどうかも議論になっているようだが、仮に大勢の人が自分は中流だと思っているとして、中流と言うからには、当然、下流やどん底もやはり存在するのである。そこに自分がいつ何どき、何かのはずみで落ちて行かないという保障はどこにもない。
自分は今の財産、環境、地位、家族、その他すべてを得るべくして得たのであり、後ろめたいことは何もない、と胸を張って断言できる人は、この世にほとんどいないだろう。少なくともある程度以上の、そういうものを得た人であればなおのこと、いくら努力しても生まれつきの才能があっても、そんなものを客観的に正確に評価するシステムは、恐れ多くもひょっとしたら神さまのすることさえもふくめて、この世にはまず存在しないと実感していることが多いのではあるまいか。
もちろん、中には、神さまでも人間でも組織でも大衆でも委員会でもが、自分に与えた評価を信じ、「あの人がああ言ってくれたからには」「あの賞を授与されたのだから」私には実力がある、この作品は優れている、と思っていられる人もいるだろう。だから、その結果もたらされた今の自分の環境や地位や財産は、安心して享受し、競争や試験で自分に敗北してそれを得られなかった人々のことなど、気にしないでもいいのだと、そういう人は感じている。
だが、もしもその判定者をそれだけ無条件に信じるのなら、逆にいつかまた、その判定者によって、自分の仕事や業績のすべてが、まったく低く評価されて金も栄誉もすべて失い職もなくして、どんぞこの人生に落ちこむ可能性だって常にあるわけである。
神への信仰もふくめて、他者の評価を信ずるとはそういうことだ。そして、なぜ自分がこうも恵まれて成功しているのか、その理由がよくわからない人ほど、いつまた自分が何をしてもだめでその日食べるものにも困る、そういう暮らしになるかもしれないし、何をしたら、それが避けられるかわからないという不安を抱いて生きている。自分の何が評価されて、これまでしてきたことの何が理由で、今自分はこの立場にいて、これだけのものを手にしているのか。それを正確に把握している人など、おそらくはほとんどいない。今の状態に満足だとしても、それを維持するためにどんな努力をどれだけすればいいのかということも、きっとほとんどの人がわからない。
自分の本当の実力を見極めようとして苦しむ菊池寛「忠直卿行状記」も、自分に与えられた評価の客観性に疑問を抱きつづける久米正雄「選任」も、そのような心理を描いているだろう。
徳川家康の孫で誇り高く気性の激しい忠直卿は、「彼は今までいかなる事に与わっても人に劣り、人に負けたという記憶を持っていなかった」というほど、自分の能力に自信を持っていたのだが、ある日、武術の大試合のあとで、家臣の右近と左太夫が「以前ほど、勝をお譲り致すのに、骨が折れなくなったわ」と自分を評しているのを聞いてしまって以来、「世の中が、急に頼りなくなったような、今までのすべての生活、自分の持っていたすべての誇が、ことごとく偽の土台の上に立っていた事に気が附いたような淋しさ」に襲われる。

考えてみると、忠直卿は今日の華々しい勝利の中でも、どこまでが本当で、どこからが嘘だか判らなくなった。否今日のみではない、生れて以来幾度も試みた遊戯や仕合で、自分が占めた数限りのない勝利や、優越の中で、どれだけが本物でどれだけが嘘のものだか、判らなくなった。そう考えると、彼は心の中を掻きむしられるような、烈しい焦燥を感じた。彼とても、臣下のすべてから偽の勝利を奪っているのではない。否その中の多くの者には、正当に勝っているのだ。それだのに右近や左太夫などの不埒者の居るために、自分の勝利が、すべて不純の色彩を帯びるに至ったのだと思うと、彼は今右近と左太夫とに対し、旺然たる憎悪を感じ始めたのである。(ちくま書房 『ちくま日本文学 菊池寛』 「忠直卿行状記」)

彼は自分の実力を知ろうと、家臣たちに自分と真槍試合をさせるが、皆、命を失っても主君に勝ちを譲る。彼は次第に周囲のすべてが信じられなくなり、唯々諾々と自分に従う人々の本心を知ろうと相手が抵抗、反逆するような行動をくり返して行く内に、暴君になって自滅して行く。
また久米正雄「選任」は旧制高等学校を舞台に、自分を含めた三人の候補者の中からただ一人だけ文芸部の委員に選ばれなかった友人が、次第にすさんで病死するまでの経過を見た主人公が、自分が後輩の中から委員を選ぶ立場になったときにそれを回避するという、現代の評価、選抜、リストラが日常風景になった今ではまるで夢のような悩みの話だが、それだけに私たちの多くが抱くことさえ忘れてしまった、このような問題の根底に横たわる疑問を、みずみずしい感覚で描き出している。

しかし久能はそれ以上にこの問題に深入りしたくはなかった。深入りすれば是が非でも、自分らと橋本との優劣を比較することになるからであった。そしてその優劣を比較する以上、どうしても橋本が劣っているから人選に洩れたのも止むを得ないという結論に達するのは明らかだからであった。しかも久能は橋本に対するこの優越意識を明白に感ずるのは、可なり心苦しかった。彼ら二人は謂わば相提携して今まで進んで来た同じ研究室の共同労働者であった。しかもその中の一人のみが業績を認められた。成程認められたのは自分の力であった。自分の価値だった。しかしそう考えて甘んじて外部から与えられた優越の地位に安住するには、余りに久能も心弱かった。彼はこの偶然外部から与えられた委員入選と云う優越の地位が、橋本の暗い心に影響する効果の末の末まで考えると、橋本の前で、如何に身を処すべきかを迷わざるを得なかった。優者として振舞う事は勿論出来ない。しかしさればと云って、余りにさりげなく振舞うのも、一種の虚飾を伴うのを免れ得ない。優者が劣者の前で、自分の優越をさも問題外にしているらしく装うほど、劣者にとって辛いことは無いのに違いない。(埼玉福祉会「大活字シリーズ」 久米正雄『学生時代』下 「選任」)

やがて一年は循って久能らに任期は満ちかかった。彼は改めて新しき委員を選ばなければならぬ地位にあった。しかし久能はそれを凡べて他の人々に任せた。彼はそうする事によって、責任を避けたいのではなかった。只自分の理想的な推選を庶幾し難い自分が、苟且(かりそめ)なる選任に依って、他人の間に甲乙を附する事をいたく怖れたのであった。
これは或いは卑怯の譏りを免れ得ぬかも知れない。しかし他人の運命に盲目で事を処するのが勇敢であるならば、久能は喜んでこう云う卑怯に退却するであろう。そして寂しい消極的な愛他主義の下に甘んじて生きてゆくであろう。それが自他に対して神経質なるものの、当然負うべき小さな棘なのである。(同上)

「外部から与えられた優越の地位に安住」できないのを、作者は久能の「心弱さ」としている。しかし、むしろそれは旧制高校のエリートの中の一員としての久能だからこそ、外部の評価に自分をまかせられないプライドと自意識の裏返しでもあるだろう。(註2)このような意識を持つ人は今も多くいる半面、また多くの人が「外部から与えられた優越の地位に安住」することに安らぎを見いだし、どう考えても相当に怪しげなものも含めて、あらゆる評価のシステムに自分をこの世のどこかに位置づけ確定してもらうことを求め、何人中の何番と明確にしてもらうことで居場所を得たかのような救いを見いだす。そうされたことで自分の何かがつかめたような錯覚に陥り、いつの間にか、そういう評価システムの基準のみをめやすに人生を設計し自分を陶冶するようになる。だがそれは、この小説の橋本のようになる危険性を常にはらんでいると言えよう。
おそらく、あらゆる評価システムが作動する状況の中で、それ以外の世界が選べないのなら、最も確実に安全なのは自分がいつ最底辺に落ちても困らないように、最底辺の状態を少しでも悲惨でないよう底上げしておくことでしかない。それは恐ろしい遠回りだが最高の、もしかしたら唯一の安全対策だろう。
そもそも下流やどん底に落ちないように必死になって皆が努力すればするほど、努力の標準は上がってしまうわけだから、そちらの方で手いっぱいで、全体の底上げなどに目を配る余裕がないということもあるが、のぞきこめないほど深いどん底にだけは落ちるまいと必死で皆がよじのぼり続ける状態は、続けば続くほど弊害が大きく、誰にとってもきっとそれほど幸福ではない。

いつかノックの音が

だが、革命も暴動も今の日本では当分起こりそうにないし、判定者については自分に良い結果を出してくれた時だけ信ずる、神社のおみくじ感覚で処理してあまりくよくよせずにやりすごしていくことにしたとしよう。そうやって、何とか自分の現状と、おぼろに見える未来とにささやかながら一応満足していられたとしたら、結局のところ最後に残る不安や不快は、深夜にいきなり扉がたたかれ、見ず知らずの他人から「追われています、かくまって下さい!」あるいは「馬を貸して下さい、舟で向こう岸まで運んで下さい!」と泣かんばかりに頼まれる時が、いつか来るのではないか、という不安である。いや、もしかしたら自分の耳が遠くなっているかテレビの音がうるさいかだけで、扉はもうとっくに羽目板が割れるほどたたかれているのかもしれない。
それは死ぬまで永遠にないことかもしれない。だがまた、いつ突然に思いがけなくドアはノックされるかもしれない。結局はこれも基準がないからだ。ガスや新聞代の集金のように金額や期日が決まっているのでもない。誰の家のドアもすべてノックされるのではない。気まぐれに、理不尽に、弱者や無実の罪人は救いを求める相手の人間の家に何の前触れもなく白羽の矢を立てて、救いを求めて扉をたたきにやってくる。
具体的にはそれは、介護しなければならなくなった老親だったり、経済的に行きづまって援助を求めてきた親族だったり、相談に乗ってくれと毎晩電話をかけてくる友人だったり、PTAや地域の役員になってほしいという懇願だったり、飢えている遠い国の人々への寄付の依頼だったり、門口に捨てられていた子猫だったり、何かに抗議する署名だったり、恵まれない人を救うためにもっと税金を払えという通達だったり、更にもう、そんなはっきりわかるようなものでなくても、誰かからどこかから、自分の幸福や満足がうらやましそうに見られているのではないかという、ただもう漠然とした不快感や危機感だ。
先日テレビを見ていたら、明石家さんまのバラエティー番組で、漫画家の蛭子能収が、自分の家族が幸福な様子はあまり人には見せたくないと話していた。不幸な家族だってたくさんいるわけで、そういう人たちがじっと見ているわけだから、というのであった。
さんまはその発言を、いささかやりすぎるぐらいネタにして笑っていたし、他のタレントや芸能人たちもおおむね同じ反応だった。それは彼らがそのような心境がまったく理解できなかったからなのか、逆に思い当たりすぎたから動揺や衝撃を押し隠すために、あえてそうしたのか、私には判断できないが、少なくとも蛭子氏にはそういう感覚があるのだろう。以前に萩本欽一も、自分は幸せで恵まれているから、その分何かいいことをしないといけない、とラジオで語っており、それもおそらく、これと共通する感覚なのだと思う。この二人ほど成功していなくても、もっとささやかで普通の幸福でも「不幸な人たちから、じっと見つめられている」感覚は、持とうと思えば誰でも充分持つことができる。
人によっては、そうやって周囲から注がれる羨望のまなざしこそが、快感や幸福感を倍化させることさえあるかもしれない。だが、そのような人たちでさえ、そのような周囲の漠然とした関心や興味が、積極的に自分の暮らしに立ち入ってきて、さまざまな要望が出されるようになったら、決して愉快と言ってはいられないだろう。その人たちの要望に、こちらがどれだけ応える義務があるものなのか微妙というのも気が重い。
ワイルドの「忠実なともだち」は、「幸福な王子」や「若い王」を書いたと同じ作家が書いたと思うと不思議な気もする一方で深く納得もする短編で、ある村のそこそこ豊かな粉屋が、自分よりずっと貧しいがそれなりに満ち足りて幸福な男に、さまざまなことを要求しこきつかう。この話でもわかるように、恵まれているとか余力があるとか思われて、さまざまな要求をされるのは、実際には貧しいか豊かなのかにさえ関係ない。最近、弱者の図々しさや甘えが何かと話題になっているが、それが弱者の本質と考えるのはまちがいだろう。弱者の権利が保障され、弱者が大切にされる世の中を利用しようとする人は、どんな価値観のどんな社会になっても、その時々の仕組みを利用するものだ。
笙野頼子「愛別外猫雑記」が、捨て猫を拾って助けてやる人のところに猫を捨てる人への憎しみを書いているのも、そういった人々が相手を強者、自分を弱者と決めつけて、相手によりかかってくることへのやりばのない怒りではないだろうか。

募金箱に手を入れる人とはボランティア団体の前に捨て猫する人、人の財布に手を入れる人とは個人の篤志家の家の前に捨て猫をする人、また医療費もだが子猫に費やするエネルギーは凄い。猫と猫の相性の苦しみもある。どちらも自分が苦しんだ事だからいきおい、いきり立って言う。つまり倒れそうな人を踏んでいくというのも同じ人々だ。そして中でもひどいのは、どうぶつ出版の「小さな命を私は救いたい」で、小野絵里という動物を救う画家の書いていたエピソードだ。協力もせず度々子猫だけ持ち込み、限界に達した愛護家が困り果てると、それなら保健所へ持って行こうああ可哀相にという人がいるのだそうだ。小野氏は「脅迫とも言える(引用)」と冷静に述べているが、読んでいるこっちの方がなぜか冷静ではいられなかった。(河出文庫 笙野頼子『愛別外猫雑記』)

マイダンニコフの憂鬱

私は若いころというより幼いころから、その時々で理解できる範囲で社会主義革命をめざしていたし、ソ連が崩壊し中国が変化した今もまだ基本的には貧富の差のない、誰もが平等な世の中を夢見ている。だが、学生時代に最も熱心にそういう活動をしていた時でも、私は社会主義や共産主義と言う体制がそれほど愉快なものだろうとはまったく思っていなかった。そういう社会への批判として語られることのすべては、だいたい予測も覚悟もしていた。
それでも常に、そういう世の中を希求し選択していたのは、この章で述べた三つの理由からである。第一に、自分が知らない世界で苦しんでいる人たちから襲われて自分の幸せを奪われ、しかもそれを怒ったり悲しんだりもできないという事態を恐れた。第二に、自分の価値を正確に評価してくれていると全面的に信頼できない存在から与えられた高い評価や、その結果の安楽はいつまた突然奪われるかもわからないのが不安だった。第三に、私より恵まれないと主張する何者かから何かをよこせと言われたとき、どこまで拒絶していいのかという基準がいつもわからなかった。(註3)
ソ連の崩壊の原因は、ローマ帝国の崩壊の原因と同じくらい私にはまだよくわからないが、農業問題が大きな課題だったということはしばしば言われている。ショーロホフ「開かれた処女地」は、まさにその農村改革を題材にした長編小説で、農民たちの私有財産への執着に悪戦苦闘する党員たちの姿が克明に生き生きと描かれている。スターリン体制下の話ではあり、今読むといろいろと複雑な面白さがあり、杉浦民平の小説とも共通する農民たちの愚かさや醜さもリアルに伝わってくる。
農民の中に社会主義化に協力的なコンドラート・マイダンニコフという、まじめな中年男がいる。彼は党の政策に心から賛成して自分の家畜を共同の農場に連れていくのだが、その時もその後も、自分のものだった牛や馬への断ち難い深い愛情に悩みつづける。

コンドラートは一つ溜息をついて、腹の底をうちあけた。
「うんにゃ、ナグーリノフ同志、おら今すぐ入党することは、良心が許さねえんだ・・・・ソヴェート政権のために戦うのなら、もう一度だって行くし、コルホーズでは誠心から働くけれども、入党申し込みは書けねえよ・・・・」
「そらまた、どうしたわけかね」とマカール(ナグーリノフ)が顔をしかめた。
「そらな、おらいまコルホーズにはいっていながら、自分の財産のため胸をいためているからだよ・・・・」コンドラートは唇がふるえて、早口のささやきに変った。「自分の牛が気になって、心をいためているんだよ。おらあの牛がおしくてなあ・・・・牛の世話がまるでなっちゃいねえんだ・・・・アキーム・ベスフレーブノフのやつが、まぐわかけのとき、おらの馬の首を、くびきですりむきやがったんだ。おらそれを見て、一ん日ひと晩、食べ物が喉を通らなかったよ・・・・小せえ馬にでっけえくびきをかけてええものかね。そんだから、おらやれねえんだ。おらまだ私有根性をふり捨てていねえんだもの、入党も良心がゆるさねえんだ。おらそう考えているんだよ」(河出書房 世界名作全集第三期22 ショーロホフ『ひらかれた処女地』 第三十七章)

高校生のころこの本を読んだ私は、彼のこのような悩みは、むしろユーモラスな表現と思っていて、真剣に克服されるべき課題としてはうけとめていなかった。むしろ、マイダンニコフが捨てなければと思っている私有財産への愛を守りぬくために、私は社会主義革命をめざしていたふしがある。すべての人に公平に富が分配され、私の分がこれだけと確認できる社会なら、その分だけは安心して持っていられるし、突然奪われたり人に羨まれたり責められたり罪悪感にかられたりしないですむなら、どんなに助かるかと思っていた。
米原万里がエッセイの中で、ロシアのエリツィン大統領の妻をはじめとした多くの人が郊外の私有地での農作業に熱中している実態を、ロシアの謎を解く鍵の一つとして紹介している。

週末であれ、長期有給休暇であれ、都会に在住するロシア人が大統領から掃除婦のおばさんまで老いも若きも決まって過ごすのは、ダーチャという名の郊外のセカンド・ハウス。ビラ(離宮)と呼ばれるに相応しい豪壮な邸宅もあれば菜園に掘っ立て小屋程度のものまでいろいろあるが、そこで大多数のロシア人は農業をやっていたのだ。
エリツィン大統領夫人のナイナさんがダーチャのトマトの熟れ具合やキュウリの出来が気になって気になって夫の外遊につきあうのをひどくいやがるのは有名な話だ。エリツィンの補佐官スハーノフ氏が月曜午前、待ち合わせたクレムリンの彼の執務室に随分遅れて汗をかきかき飛び込んできて開口一番、吐いた台詞も忘れられない。
「いやあ申し訳ない。ジャガイモの採り入れがまだだと女房に尻を叩かれてね、出るに出られなくなっちまったんだ」
最近知り合ったガラス工場で働くニーナもしじゅうこぼしている。
「土日はダーチャで過ごしたから、もうクタクタよ」
そういえば、小川和男氏(ロシア東欧貿易会専務理事)も『ソ連解体後』(岩波書店)のなかで「ロシアのジャガイモの六〇%以上は家庭菜園で生産されている」と指摘している。ロシア人にとってのジャガイモはパンと合わせて日本人にとってのコメに相当する主食。一億五〇〇〇総兼業農家! これがロシア人を理解するのに不可欠なキー・ワードなのだ。
半年も休暇をとって退屈しないわけだ。食料品の棚が空っぽでも暴動が起きないわけだ。今やロシア市場を席巻する勢いの輸入食品の安全性について無頓着でいられるわけだ。政府がかなりムチャクチャなことやっても持ちこたえるわけだ。九一年の議事堂銃撃戦のおりも、オペラ、バレエを鑑賞する余裕を失わないわけだ。この類まれなるバッファーがあるからこそ、ロシア人は途轍もなく過激にもなれば、途方もなく気が長かったりもするのだ。
野心がギラついていてロシア人の間では「風見鶏」と不評極まりない有名紙編集長のB氏と、日本の農業問題を話し合ったおり、私が減反政策の結果一度離農した人が戻るのは至難、それほどコメ作りは大変な仕事だというようなことを言うと、インテリのB氏はさかんに頷いた。
「ああ確かにコメ作りは実に労働を喰う代物だ。オレもダーチャで挑戦してみたことがあったよ。精魂尽き果てたね。でも甘美な喜びももたらしてくれた」
そう言って陶然とした表情になった。何となく嫌いだったB氏にたちまち好感を持ってしまった。ふと友人のタチヤーナの言葉を思い出す。
「ロシア人は土をいじりながら自分を取り戻すのです」(講談社文庫 米原万里『ロシアは今日も荒れ模様』 第四章「連邦壊れてまだ日の浅ければ」 3「気宇壮大とズボラの間」)

NHKのモスクワ特派員としてソ連崩壊の時期を見た小林和男も『エルミタージュの緞帳』の中でほぼ同様の指摘を行なう。

共産革命以来、ソ連の農業は失敗の連続だった。革命によって土地を農民から取り上げ、社会的平等と効率の名のもとに国営化集団化した農業はどだい農民のメンタリティーを無視しすぎていた。土地を奪われ、国家公務員になった農民に、まともに働く気はなかった。農場へ行ってみると、そこには議長という名の農場長がいて、ネクタイ姿で机に向かって執務をしていた。後ろの壁にはレーニンの肖像や共産党党首の肖像写真、そして農場の旗が麗々しく飾られ、農場長はここに農民を呼びつけては、「ブタの餌のやり方がまずい」だの「収穫を早くせよ」だのといった指示を出していた。農民は議長に頭を下げて引き下がるが、いくら働いたとて作物が自分のものにならないシステムで、農場に出て汗を流す者などいなかった。農場で働く労力をできる限り節約して、代わりに自宅の周囲の庭での農業にせっせと精を出した。「自留地」と名づけられたこの庭での収穫は農民のものになった。農民が水を心配し、天候を気にしていたのはこの最大六〇〇平方メートルの土地のなかだけのことで、農場全体が雑草に覆われようと、灌漑がうまくいかずに作物が枯れてしまおうと、農民には関わりのないことだった。たとえば隣のフィンランドとロシアの国境を車で越えると、そのことがよくわかった。同じ気候でありながら、国境のこちら側の畑は荒れ果て、国境をひとつ越えるときれいに手入れされた農地が広がっていた。
(略)
ソ連のアキレス腱、農業の解決策ははっきりしていた。農地を農民に返すこと。そのことは耕地面積の三パーセントにも満たない自留地から、鶏卵の四〇パーセント、ロシア人の食事には欠かせないジャガイモの三分の一が生産されていたことからはっきりしている。(NHK出版 小林和男『エルミタージュの緞帳』 「首席補佐官が警告したクーデター」)

これらの記述があぶり出すのは、むろん農民や人間の私有財産への執着だろう。しかし、私はふと、そのような私有地の家庭菜園に没頭する人たちの心のどこかには、これは公明正大に許された持ち物で、国や貧しい人びとのためには国有地や集団農場でしかるべき協力や犠牲をちゃんと保障しているのだからという安心感や幸福感もあったのではないかと感じてしまうのだ。
少なくとも私のような人間にとっては、どんなに小さな裏庭でも規格品どおりの一律のアパートでも、それが心おきなく私のもので、他者の犠牲の上に成り立っているのでないと思えるなら、それは相当に安らかな心理状態を生むだろう。そのような心理状態の基本を支える共同化された集団農場の繁栄と、そのような家庭菜園への没頭が競合し相反するのなら、困ったことではあるけれど、そこにはまだいろいろと工夫の余地がありそうな気がする。
もちろん必ずしも社会主義体制でなくても、税金や社会保障によって、これに近い状態は目指せるし作れるだろう。どのような政治体制下であれ、私はそのような状態を願っているし、それに向かって努力したい。簡単に言ってしまえば、多分絶対不可能ではあろうが私が望み得る最大の幸福は、私以上に不幸な人はこの世に一人もいないと確信できて、それでなおかつ自分がそこそこ快適かつ幸福でいられる状態だ。

花咲かじいさんの隣人

だが、そううまく行くものではないかもしれないと漠然と感じるのは、「花咲かじいさん」の話をふっと思い出すからだ。
町田康がエッセイ「おそれずにたちむかえ」の中で、この童話の悪口を言っていて、人間は正直であるべきだなどという教訓を広めるから、日本がだめになったと分析している。どこまでかわからないが、というよりほとんどが冗談だろうが、もしかしたら彼もこの童話が妙に気にかかったのかもしれない。
よく読めば、この話は別に正直を説いているのでさえない、かなり奇妙な童話である。ある人(おじいさん)がかわいがっていた犬が裏の畑でほえるので、そこを掘ったら大判小判や宝物がざくざく出てきた。それを見た隣家のおじいさんが、その犬を貸してくれと言って連れて行って自分の畑をさがさせ、犬が同じようにほえた場所を掘った。するとかわらやがらくたが出てきたので、隣家のおじいさんは怒って犬を殺してしまった。
この時点でもう言いたいことは山ほどあるが、続けよう。犬の飼い主のおじいさんは大変嘆いて、犬の死骸を引き取って自分の家の畑に埋めた。するとそこから木が生えて大きくなり、その木を切ってうすをつくって、それをつくと中からまた大判小判や宝物がざくざく出てきた。隣家のおじいさんはそれを見てまた、うすを借りて行ってついて見たら、今度もがらくたしか出てこなかったので怒ってうすを割って焼いてしまった。犬の飼い主のおじいさんはまた嘆いて、その灰をもらってきて、桜の木にまいたところ、美しい花が咲いて、通りかかった殿さまが喜び、たくさんのごほうびをくれた。隣家のおじいさんは、それを見て、またその灰をもらって殿さまの通るときにまいたら、花は咲かずに灰が殿さまの行列を直撃して、怒られて牢屋に入れられてしまった。細かいちがいはいろいろあるが、だいたいこういう伝承である。
これは最後に枯木に花が咲くという視覚的にゴージャスな場面が印象深いからごまかされるが、隣家のおじいさんにとってだけでなく、花咲かじいさんにとっても犬にとっても臼にとっても何とも不幸で救われない話である。そもそも、他人が飼っている、しかも深く心が通い合っている犬や、その犬の化身の可能性の高い臼が、最初は赤の他人、次回は犬の殺害者の自分の持ち物になったからと言って、最初の持ち主と同じ成果をもたらしてくれると信じて疑わない隣家のおじいさんの感覚は常人では信じがたいと言いたいが、しかし何だか現実にこういう人はたくさんいそうな気もするのである。
ソ連の家庭菜園の例で言うと、集団農場とのかねあいの問題は何とか解決し克服して両者を両立させたとして、アパートであれ社宅であれ、まったく同じ規格の家を皆がもらったとして、花咲かじいさんのような人(男でも女でも)なら、その家も庭も迷いこんできた野良犬も、自堕落な夫も病弱な妻も成績の悪い子どもも安物の家具も欠けた食器も破れた服も、皆それなりに大事に愛してせいいっぱいに慈しみ、その人や物の最大の魅力を引き出して面白く楽しく使い、幸福を得るだろう。ひょっとしたら、子どもは絵がうまかったり、服にあてたつぎがお洒落だと新しいファッションになって収入源が増えたり、夫のブログや妻の闘病記が売れたりするかもしれないが、そういうことがなくても、その一家は(一人暮らしだったとしても)満ち足りて、幸福そうに見えるかもしれない。
そういうときに、隣家のおじいさんのような人(これまた男でも女でも)は、どんなにもともとの家や庭や収入が同じ条件だったとしても、絶対に、その犬や夫や妻や子どもや家具や食器や服をうらやみ、それさえあれば自分も同じに幸福になれると思うだろう。そういうものを手にして同じ幸福を得る権利が自分には当然あると考えるだろう。だから野良犬や欠けた食器をほしがって、自分が手にして幸福になれなかったら、それを破壊するだろう。
花咲かじいさんのような人は、そういう隣人からそういう要求をされたらきっと断れない。「あなたと同じように私も幸せになりたい」と言われたら断る理由がない。「同じ家と庭じゃないですか」と言ってもむだだ。その人は「でも犬がいないから」とか「妻が病気じゃないから」とか言うに決まっている。最終的には「私はあなたじゃないから」と言い出すのだろう。「あなたが消えてなくならないから、私は不幸だ」とさえ言い出しかねない。(註4)
私はあらゆる格差がなくなればいいと思っている。それは自分の持っているものや自分の環境を、ものほしげに見つめられるのが恐くてたまらないからだ。私をうらやむことでしか、自分のほしいものがわからない人が無気味だからだ。だから誰もが一人残らず幸福になり満足して、私の幸福をうらやまないでほしいと願う。そのために世界を平和にし、人類を平等にしたい。何かいろいろ、根本的にまちがってるような気もしないではないが、結局のところは、これが私の本心である。
だが、めざすのは勝手だから、あらゆることをめざして努力してみても、予想するのも勝手だから、それがすべて成功したとどれだけ予想してみても、最終的にこの「花咲かじいさんと隣人」のような格差はなくなりようがないのではないかと、いささか絶望的になる。幸福になる能力、満ち足りる能力、毎日を豊かにする能力を、すべての人が持てるようになる世界は、本当に実現可能なのだろうか?
花咲かじいさんと犬の無念と悲しみを思うと眠れなくなる夜がある。そうやってむなしい努力をしては失敗の原因がわからないでいる隣家のおじいさんの失望や淋しさを思うと眠れなくなる夜がある。

まとめ

ぬれぎぬに限らず、不当な扱いを受けている弱者を救うために、彼らより恵まれている人々はどこまで犠牲を払うべきかの判断は難しい。一般に恵まれている人間ほど、その責任は大きくなる。だが、革命時の支配者への報復のように、その責任を過度にとらせることも今後は否定されてゆくにちがいない。あらゆる人が自分の持っているものに満足しつつ、他人との比較ではなく、自分独自の幸福をめざして努力できるような社会を作っていくことが、強者と言われる人々にとっても結局は安心して暮らせる毎日につながるだろう。

(註)

  1. もっとも、景気低迷のきっかけになったというアメリカのサブプライムローンのこげつきも結局は底辺の貧しい人たちがローンを払えなかったからというわけだから、その人たちは無意識でも豊かな社会が破壊された点では革命と同じ効果を生んだと言えなくもない。9.11.のテロにも「贅沢な世界に無視され続けた人たちの怒り」があったとすれば、それもまた同じ要素を持つだろう。
  2. 久米正雄は同じ「学生時代」の中の「求婚者の話」で、積極的で気宇壮大な青年の痛快な人生も描いており、「選任」の主人公のつつましげな述懐も決して無気力で弱気なだけのものと受けとめてはならないだろう。
  3. 私自身の体験だが、退職金で田舎の家を改築したら、まったく知らない近所の女性が突然玄関にやって来て「おたくもこうやって家を新しくしたのだから、私は今お金に困っているので少し融通してもらえないだろうか」と数十万円の借金を申し込まれて呆然としたことがある。丁重に断ったが、後で聞いた話ではその人はそうやって、同じ集落のほぼ全部の家から借金をしているとのことだった。今の日本でこれがどの程度一般的なことなのかわからないが、現実にこういったことは存在している。
  4. たとえば、「風と共に去りぬ」のヒロイン、スカーレット・オハラがメラニー・ハミルトンと結婚したアシュレー・ウィルクスへの恋を忘れず、彼を求めつづけるのは、このような場合とはまったくちがう。彼女はメラニーの幸福がほしいのではなく、アシュレーその人がほしいのである。
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カツジ猫