ぬれぎぬと文学(未定稿)12-あとがき

ボートと戦闘機

この何十年か日本の大学は、サグラダ・ファミリアばりにいつ終わるかもわからない改革のくりかえしに、はっきり言って疲弊している。私の勤務していた大学でも二十年ほど前にその第一波が押し寄せて、大幅な改編が行われた。その結果、私は「比較言語文化概論」という講義を担当するはめになった。
講義題目それ自体は、まじめで優秀な同僚が改革案の作成にあたって文部省(当時は)の審査を通るために工夫を重ねた苦心の作で、幅広い内容の授業が可能ではあった。組織の再編、学生や地域社会へのサービスなど新たな仕事は求められても、予算も人員も増えるどころか削られる現状の中では、やむを得ないことでもあった。それでも日本語以外の言語などまったくしゃべれない私に、こんな講義をさせるのなど、大濠公園(博多の名所)でボートをこいでいた者にミグ戦闘機を操縦しろと言うのに等しい。これはもう戦闘機の破片でボートを作って池をこぎまわるような授業をするしかないとあきらめて、それから定年退職するまで毎年「文学は役にたちますか」「動物と文学」「年齢の問題」「小説ができるまで」「ウソかマコトか」などというタイトルで、文学と時間、文学と虚構、文学の描く悪など、毎回一つのテーマを決めてさまざまな文学について語ることにした。

最大の不安

不安もあったし不満もあった。しかし、私が内心一番恐かったのは、本当はこんな内容の授業が私は一番好きで得意ではないのかということだった。体力と運動神経がゼロだから研究者になり、数学が苦手だから文系を選び、語学がだめだから国文学を専攻して、今の仕事をしている私だから、子どもの頃から好きなのは外国文学や外国映画で、買って読む本の半分以上が専門分野とは何の関係もない本で、社会や政府がやたらと大学に求めて先生たちを困らせる、やれ学際的だのやれ専門外の人にもわかりやすい授業だのは、もしかしたら誰より私に向いているのではないかと感じていて、他ならぬそのことにいつも一番危機感があった。
大学でも自分の中でも、退屈で堅実な地を這うような作業をして結論を出す地道な研究を守りたかった。専門外の門外漢が書く文章もしゃべる話も楽しい反面、それだけでは絶対にだめだと痛感していた。難解で退屈で効率の悪い学問研究こそを大学がしなければならないのに、それを大学から追放し排除しようという流れには、どんなことがあっても手を貸したくなかった。
若いころの私なら、このジレンマとストレスだけで消耗してしまっただろう。だが年をとった分、悩むパワーがなくなったこともあり、これはこれで何かの役にたつこともあるかと自分に言い聞かせて罪悪感をなだめつつ、毎年すごしている内に、結局、その授業からこのような本がいくつか生まれることになった。

物語の役割

その授業でもこの本でも私が伝えたかったことの一つは、哲学や法律や統計資料ではカバーできない、文学作品というかたちが世の中や私たちに与えてくれるまなざしや力の数々である。それは正確でなく嘘がまじったり、万人に通用しない一部の人だけのものだったり、時に怪しげで危険だったりするが、そういうものでなければ役に立たない場合も私たちの周囲には限りなくある。
自分を小説の主人公に擬することなど、最近ではあまり流行らないかもしれない。だが実は、雑然ととらえどころのない世界や人生を、どのような物語に構成して味わうかは、時には国や個人の命運も左右する。そして、誰かの手によって、くだらない平凡な物語や悪質で危険な物語に自分や世界がまとめられないためには、私たちひとりひとりが、良質で面白い物語を常に紡いでいなければならない。自分を支配しようとする者と自分とどちらが先に、よりすぐれた物語を作れるかはひとつの戦いでさえあるのだ。
「ぬれぎぬ」と「情けあるおのこ」の物語を私は書いた。これは私にとってこの世界を解釈し生きて行くのに必要だった、真実の物語である。だが、読者はこの物語を利用応用するだけではなく、ここに安住するのではなく、自分が元気に生きていくための物語や、世界を変える物語を、それぞれにまた新しく作ろうとしてみてほしい。

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カツジ猫