ぬれぎぬと文学(未定稿)4-第二章 覚悟のぬれぎぬ

あぶみと寺子屋

映画「グラディエーター」は、エリザベス・テーラー主演の「クレオパトラ」が興行的に大コケしてから長い間作られなかった古代史劇を久々に復活させた上アカデミー賞まで取った名作だが、公開当時一部のやかましい人たちは「馬にあぶみがついてるじゃないか」と文句を言った。当時のローマでは乗馬にあぶみは使わない。それ以後再び作られはじめた古代を舞台にした映画では俳優たちはちゃんと律儀にあぶみを使わず馬に乗っている。
しかし、こんな厳しいチェックをしていた日には三十分も見ていられないのが江戸時代の浄瑠璃や歌舞伎で、歴史的な題材を扱ったものが多いから人名や事件を覚える助けにはなるが、生活面の描写をうのみにしているとまったくえらいことになる。
次章にとりあげる「義経千本桜」では源平の時代に江戸時代のすし屋が登場して、そのすし桶に生首や大金が入ってはすりかわり続けるし、この章でとりあげる「菅原伝授手習鑑」の一番有名な場面では、これまた江戸時代そのままの寺子屋が舞台になる。この劇は、平安時代に藤原時平に憎まれて九州に左遷された菅原道真の話なのだが、道真が去った後に残されたその幼い息子菅秀才が時平に命をねらわれるので、この寺子屋にかくまわれているということになっていて、寺子屋の先生は服装も髪型もどこからどう見ても江戸時代の武士だが、彼はかつて道真の一番弟子で書が巧みだから寺子屋を開いている、と妙なところで理屈が通っているところが、何やらかえって頭がくらくらする。

寺子屋の少年

さて、どう見ても江戸時代そのままの寺子屋で、少年たちが習字のけいこをしていると、あるじの先生が悩ましげな顔で帰ってくる。妻が心配してそっとわけを聞くと、菅秀才をかくまっていることが役人に知れて、彼を殺すように言われ、時平に仕えている松王という家臣がそれを確認に来ると言う。
先生夫婦はそんなことをする気はまったくない。それでせっぱつまって、他の寺子屋の生徒の少年を誰か身代わりにするしかないと思いつめるのだが、あいにく田舎の寺子屋で、少年たちは誰もがとても菅秀才には見えない。
するとそこへ、いかにも上品なお母さんが、たいそう上品な少年を連れて入学を希望しますと言って訪ねてくる。先生夫婦は自分たちの罪深さにおののきながら、この少年を身代わりに殺そうと決意する。
ここまで書いただけでも何という非人間的で不自然な話だとあきれる人が多いだろう。家永三郎『日本道徳思想史』も、この劇を強く批判した。ただ、洋の東西を問わず演劇は皆そうだが、舞台を見ると長い年月をかけて磨きあげられた脚本と演技がものを言って、決してひどい話には見えず自然に受け入れられる。それに、悪の権化の時平という支配者によって、すべての法も良識もふみにじられる世の中で、それに抵抗する人々がせめてもの思いで必死に守ろうとするものが菅秀才に象徴されるということを考えれば、この筋書きにも納得がゆく。

松王の登場

先生夫婦は、「教え子と言えばわが子も同然」の生徒の一人を殺す恐ろしさにうちのめされつつ、それでもそうするしかないと決意を固めている。

夫「弟子子といえば、我が子も同然」
妻「今日に限って寺入りした、あの子が業か、母御の因果か」
夫「報いはこっちが火の車」
妻「おっつけ廻って来ましょうわいなア」
妻が嘆けば夫も目をすり、
夫「せまじきものは、宮仕えじゃなア」
共に涙にくれいたる。

そこへ、話を聞きつけた、他の生徒の親たちが自分の子どもが菅秀才とまちがわれて殺されるのを心配してがやがやと門口に迎えに来る。そして松王もそれにまぎれて菅秀才を逃がさないよう見張るために、家来を連れてのりこんでくる。衣装も髪型も立居振舞も、風邪をひいてやつれ気味なのも、すべて凄味があって重々しい彼は、「この人の目をごまかすことは無理ではないか」と先生夫婦も観客も不安になるほどの威圧感で、帰って行く子どもたちを一人一人調べる。菅秀才とは似ても似つかない汚れた腕白坊主たちが、それぞれいかにも大切そうに親たちからひしと抱かれて花道を帰って行くのがほほえましくも胸を打つ。
誰もいなくなった寺子屋で、松王は「裏口から逃がしても無駄だし、身代わりの首などは通用しないぞ」とあらためて念を押す。

先生「仮初ならぬ菅家の若君、掻き首捻じ首にも致されず、しばしの間御容赦を」
♪立ち上がるを松王丸、
松王「ヤアその手は喰わぬ。しばしの容赦と隙取らせ、逃げ支度致しても、裏道へは数百人を付け置きたれば、蟻の這出るところもない。また、生顔と死顔とは相好の変わるなぞと、身かわりの偽首、それも食べぬ。古手なことして後悔すな」
♪言われてぐっとせき上げ、
先生「ヤア、いらざる馬鹿念。病みほうけた汝が目玉がでんぐり返り、逆様眼で見ようは知らず、まぎれもなき菅秀才の首、追ッつけ見しょう」
松王「その舌の根の乾かぬうち、早く討て」

もはや後にひけない先生は奥に入って身代わりの子どもを殺す。先生の奥さんと松王はどちらも緊張でぴりぴりしながらそれを待っている。
にせものの子どもの首を持って来た先生は、松王の家来の捕手らに囲まれながらも、もし松王が疑ったら切りつけようと身構え、妻も必死で神仏に祈っていたが、松王は首を凝視して本物の菅秀才と確認し、その首を時平に届けるため、家来とともに帰って行く。

松王「ソレ、源蔵(先生の名)夫婦を取り巻き召され」
捕手「ハッ、動くな」
(ト捕手、十手にて夫婦を取り巻く。)
♪畏まったと捕手の人数、十手振り上げ立ちかかる。女房戸浪(妻の名)も身を固め、夫はもとより一生懸命。
先生「サア、実検せよ」
♪検分と言う一言も命がけ、後ろは捕手向うは曲者、玄蕃(松王の家来)は始終眼を配り、ここぞ絶体絶命と、思ううち早や首桶引き寄せ、蓋引き開くれば首は小太郎(身代わりにした少年の名)、偽と言うたら一討ちと、早や抜きかける、戸浪は祈願、天道様、仏神様、憐れみ給えと女の念力、眼力光らす松王が、ためつすがめつ窺い見て、
(ト源蔵戸浪キッとこなし、松王首桶をあけ、首を見ることよろしくあって、)
松王「ムウ、こりゃ菅秀才の首に相違ない、相違ござらぬ。出かした源蔵、よく討った」
♪言うにびっくり源蔵夫婦、あたりきょろきょろ見合わせり。

松王が帰った後、「五色の息を一時に、ほっと吹き出すばかりなり」というほど安堵した先生夫婦は、しかし脱力しているひまなどなく、殺した少年の母親が迎えに来たらどうするかと、またせっぱつまる。いざとなれば母親も殺すしかないと覚悟を決めて、二人は何も知らずに殺された息子を迎えに来た母親と向き合うのだが、やがて母親は「息子は身代わりとして役にたったか」と尋ねる。「あなたは誰の奥さまなのですか」と先生夫婦が驚いているところへ松王も一人で戻って来て、身代わりに死んだ少年は彼の息子だったことを告げ、息子の最期のけなげな様子を聞いて妻とともに涙にくれる。

松王「アイヤ御内証(先生の妻の敬称)、必ずお嘆き下さるな。コリャ女房も何でほえる(慟哭する)。覚悟した御身替わり、家で存分ほえたではないか。御夫婦の手前もあるわえ。イヤナニ源蔵殿、申しつけてはおこしたれど(よく説明して覚悟させて連れては来たが)さだめて最後の節、未練な死をば致したでござろうな」
源蔵「イヤ、若君菅秀才の御身替わりと言い聞かしたれば、潔う首差し延べ」
松王「アノ、逃げ隠れも致さずに」
源蔵「にっこりと笑うて」
松王「何、にっこりと笑いましたか。アノ、にっこりと、コリャ女房、にっこりと笑うたといやい」

不自然な行為

松王には弟が二人いて、どちらも菅原道真方の家来だった。この劇における悪の権化藤原時平の策謀により、弟の一人桜丸は切腹し、もう一人の梅王は道真を慕って九州に下る。一方、松王はただ一人時平側の人間として、この劇における正義の象徴道真の側の人々からは、そして観客からも嫌悪と恐怖の対象だった。その立場を逆に利用して彼は道真への最高の忠誠をつくし最大の犠牲を払うのである。
勘平の場合とちがって、この劇では観客も松王の本心を知らない。だから彼がにせ首を見破るかどうかかたずを呑んで見守ることになる。だが、今の若い人の間では何かとやかましい「ネタばれ」で結末がわかった上で何度見ても、今度は松王やその妻の苦悩をかくした行動や表情に、そのゆらがぬ決意を知って息もつけない。悪人と思い最大の敵と思っていた人が、実は誰よりも正義を愛し最高の味方だったと知らされた時の衝撃と感動は、この劇に対してしばしば指摘される不自然さも非人間性も凌駕する。いや、その人間としての不自然さ、普通でなさがあるからこそ、松王一家の犠牲は心を打つのだ。
私はかつて『江戸の女、いまの女』の中の「烈女の系譜」という章で、人間の感情としては無理がある不自然な行為をあえてすることによって守られる人間性があることを述べた。

本当に人間的であるとは、一体どういうことなのだろう。先にあげた殉教者たち、革命家たち、軍国の母などの例も含めて、いわゆる人間的といわれる感情、肉親への愛、苦痛への恐怖、悲しみや淋しさといったものを否定しても、守りぬかなければならない、もう一つの人間性というものがあるのだろうか。(「烈女の系譜」)

人間としての自然で優しい感情が、正しい戦いと一致することも多い。だが、それを捨てたり拒否したりすることが、ただちに非人間的とは言い切れない。殉教者やレジスタンスの人々の、冷たくも激しくも見える行動は、より以上の冷たい大きな力に対する、唯一の抵抗である場合もある。弱さが人間らしいのなら、強さもまた人間らしい時もある。(同上)

異常や、非人間的ということと紙一重でも、明らかにそれとは違って、家族の情愛や、生きたいとか苦しみたくないとかいう本能に逆らって守りぬかねばならない生き方というものは、やはりある。どこに、それがあるのか、何がそれかを見定めることは、とても難しいにしても。(同上)

この章で述べる「覚悟のぬれぎぬ」、あるいはそれに類した行為の数々は、いずれも自分を実際よりも低く見せ悪く見せ、そのことによって他者を幸福にする、自己犠牲や献身と呼ばれることもある精神にもとづいているが、それはどれも楽をしたい、人に愛されたい、高い評価を得たい、といった人間の本能によるものではない。それを抑えつけ、ねじまげ、押し殺し、無理をするところから「覚悟のぬれぎぬ」のすべては生まれる。

コーディーリアの愛情

こういう精神も行為も昨今ではあまりはやらない。わざと低い評価を得ようと努力したり、嫌われようとしたり、罪を着ようとしたり、すべての責任をとろうとしたりしていたら、現代ではまず生きていけないことになっている。「私はこれだけ能力がある」「私はこんなに努力した」「私はこんなにあなたが好き」「私はこれだけ苦しんだ」を、正確にというより過度にアピールすることこそが幸せを呼ぶし、よい人間関係と社会を作ると思われている。
だから、シェイクスピアの戯曲「リア王」の冒頭で、退位して領土を三人の王女とその夫に譲るから、いかに自分を愛しているかを述べよと娘たちに言い渡すリア王と、それに対して得たりや応と打てば響くようにとうとうと父への愛を述べたてて豊かな領土を獲得する長女と次女のことばを聞いていた、王の最愛の末娘のコーディーリアが「夫も愛さなくてはならないのですから、すべての愛をお父様に捧げるわけには」などと答えて「その若さで、その冷たさは」と王を激怒させ勘当されるという場面を見て、無条件で彼女を支持する人はあまりいないだろう。

リア「さて、いちばん小さいがわが喜びのいちばんちいさくはない末娘、フランスの葡萄とバーガンディの牛乳がおまえの愛を得ようと競っておるが(板坂註。フランス王とバーガンディ公が彼女に求婚中である)、おまえは姉たちよりもっとゆたかな三分の一を得るためにどう言うかな?」
コーディーリア「言うことはなにも」
リア「なにもない!」
コーディーリア「なにも」
リア「なにもないところになにも出てきはせぬ。言いなおすがいい」
コーディーリア「悲しいことに私は心の思いを口には出せないのです。私はお父様を愛しております。子の務めとして。それ以上でも以下でもありません」
リア「なんだと、コーディーリア、ことばを改めぬと新たな財産を失うことになるぞ」
コーディーリア「お父様は私を生み、育て、愛してくださいました。私はそのご恩に報いるのが当然と心得、お父様をうやまい、愛し、心から大切に思っております。お姉様たちは夫がありながら、なぜ愛のすべてをお父様に捧げると言われるのでしょう? 私がもし結婚すれば、私の誓いを受けてくださる夫が私の愛と心づかいと務めのなかばをもっていかれるにちがいないと思います。私はお姉様たちのように結婚してなお愛のすべてをお父様に捧げはしません」
リア「そのことば、本心から出たものか?」
コーディーリア「はい、お父様」
リア「その若い身で実のないことをよくも言えたな?」
コーディーリア「この若い身にも真実はございます」
リア「勝手にするがいい、その真実とやらをおまえの持参金にするのだな。いいか、わしは太陽の聖なる光にかけて、暗黒の女神ヘカティの夜ごとの秘儀にかけて、われらの生死を司る空行く星の運行にかけて、ここにはっきり誓おう、わしは父としての心づかいも、血のつながりも、きっぱり捨てたぞ、これからは、永久に、この身にも、この心にも、おまえはまったくの赤の他人だ。おのれの食欲を満たすためには親をも食らうと言うあの蛮族スキチア人をこの胸に抱き、あわれみ、いたわってやるほうがまだましだ、かつてわしの娘であったおまえをそうしてやるよりはな」

最後まで読んだ人なら、その後の王が二人の姉娘に冷たくされて居城を追い出され荒野をさまよい、救いに来たコーディーリアもともに死に至るという、何とも救いのない結果を知っているから、もうちょっとうまい言い方もあったろうに、そうしたら自分と父のみならず王国と世界の幸せも守れたのにと、コーディーリアのかたくなさに恨みのひとつも言いたくもなる。この章で述べる他の「覚悟のぬれぎぬ」と異なって、コーディーリアは自分の愛情を実際よりも少なく見せたことで、自分も含めて誰も幸福にしていないのだからなおさらだ。
巧みな構成によって、姉たち二人の決して本心ではない過剰な愛の告白とそれに目を細める父の賞賛を聞いているうち、若いコーディーリアがその茶番劇にうんざりして冷たい態度をとった心境も充分に理解はできる。だがたとえそういう部分もあったにせよ、やはり基本にあるのは彼女の父に対する真実の深い愛だろう。嫉妬や怒りという感情さえもなく、彼女にとっては正直にありのままを告げることが父への敬愛だったのである。

愛想づかし

コーディーリアのこのような態度には深く静かな理性と哲学が感じとれる。それよりは情緒的だが、根本的には同様の強い理性と、相手への深い愛とに支えられて、自分の愛がもうさめたか、もともとなかったかのようにふるまって相手をいつわる恋人たちもいる。有名なデュマ・フィスの「椿姫」、モンゴメリ「茶色の手帳」、そして歌舞伎で「モドリ」と同様「愛想づかし」という名称までついているほど多用される場面の数々に登場する恋人たちは、いずれも相手が自分といたのでは幸福にはなれないと、自覚したり他人から指摘されたりしたために、死ぬより苦しい決意をして、わざと相手に冷たくし、自分の不実を見せつける。
愛する相手が自分とでは幸福になれないと思うのは、自らに何らかのひけめや欠陥があるからで、多くの場合、このような人たちは女性で、遊女や娼婦である。他にも既婚者、障害者、年齢の差、身分の差、同性、など、世の中の多数の人々の営む暮らしとはどこかで異なる愛のかたちを築いていかなければならないときに、そのハンディを負った者の方が相手から去ろうとする。ただでさえ人を愛する時は自分に自信がなくなる上に、実際に自分の境遇が最も幸福にしたい相手を不幸にするしかないと実感するとき、特にそれを他人に指摘されたら、人はこのような行動をとらざるを得なくなるのだろう。
このような愛のかたちは、もちろん決して望ましいことではない。古くは「紅楼夢」のヒロインの一人、富裕で美貌の宝釵が「自分と結婚することが、この人の幸福になる」と終始一貫堂々と動じないのも、最近ではアメリカの海外ドラマの主人公たちが、こんな「愛想づかし」の要素など皆無の恋愛模様を多彩に展開しているのも、本来あらゆる立場にあるすべての人がそうであるべきものだろう。また映画「モーリス」が原作の小説の描写を微妙に変えて、同性愛の青年の一人が相手から去る原因を、相手のことを思いやるよりもむしろ自分の強さに確信が持てないからとしているように、相手のことを思いやるだけでない要素も実際には混じることもあるだろう。
しかし「愛想づかし」の基本はやはり何よりも、自分の愛を押し殺して相手の幸福を優先するという自己犠牲の精神にある。特に遊女や娼婦の場合、もともと不誠実で仕事の上のつきあいを本気のように見せかけて客をだますのが本性だという不安と不信が相手の男性に常にあるため、つれない態度をとった時、「やっぱりそうか」という落胆もふくめて、激しい怒りをぶつけられ、暴力をふるわれることさえある。だが、それも相手がそれほど自分を愛していたことの証明でもあるのだから、冷たい態度をとりつつも屈折した幸福感に酔うことさえもあり得ようが、本当に相手のことを考えているのなら、そんな余地さえ生まれないのが、これまたおそらく基本だろう。
次にあげる近松門左衛門「心中天網島」で、遊女小春が深く愛し合った客の治兵衛の妻のおさんに頼まれて、彼と別れることを決意し、わざと他の客(実は二人を別れさせようと武士に化けてやってきていた治兵衛の兄孫右衛門)と親しくして見せ、裏切られたと怒り狂う治兵衛の悪口や暴力を甘んじて受ける有名な場面もまた、そのひとつである。

「さては兄御さまかいの」と走り出る小春が胸ぐら取って引きすえ、治兵衛「畜生め狐め(小春のこと)、(恋仇の)太兵衛より先、うぬを踏みたい」と、足を上ぐれば孫右衛門「ヤイヤイヤイ、そのたわけから事起こる。人をたらすは(だますのは)遊女の商売、今目に見えたか。(略)小腹が立つやらおかしいやら、胸が痛い」と歯ぎしみし、泣き顔かくす渋面に、小春は始終むせ返り「皆、お道理」とばかりにて、詞も涙にくれにけり。大地をたたいて治兵衛「誤った誤った、兄者人。三年前よりあの古狸(小春のこと)に見入られ、親子一門妻子までそでになし(犠牲にし)、身代の手縺れ(商売の経営悪化)も、小春と言う屋尻切り(泥棒)にたらされ、後悔千万。ふっつり心残らねば、もっとも足も踏み込むまじ。ヤイ狸め狐め屋尻切め、思い切った証拠、是見よ」と、肌に懸けたる守袋、「月頭に一枚づつ取り交わしたる起請合せて二十九枚、戻せば恋も情もない。こりゃ請取れ」と、はたと打ちつけ、「兄者人、あいつが方の我等(私)が起請、数改め請取って、此方の方で火にくべて下され。サア兄貴へ渡せ」。小春「心得やした」と涙ながら、投げ出す守り袋、(略)

守り袋を受けとって中を改めた孫右衛門は、治兵衛の妻おさんからの手紙が入っているのを見て驚くが、小春があわてて取り戻そうとするので事情を察して、それとなく手紙を起請文といっしょに焼くことを約束する。

孫右衛門「これ小春、(略)我一人被見して起請共に火に入れる。誓文に(絶対に)違いはない」。小春「アア忝い。それで私(の面目が)が立ちます」と、また伏し沈めば(泣きくずれると)、治兵衛「ハアハアハア、うぬが立つの立たぬとは人がましい(まるで自分が人間であるかのような発言だ)。是、兄者人、片時もきゃつが面、見ともなし。いざ御座れ。さりながら、この無念、口惜しさ、どうもたまらぬ。今生の思い出、女が面一ツ踏む。御免あれ」と、つつと寄って地団太踏み「エエ、エエ、しなしたり。足かけ三年、恋しゆかしも、いとしかわいも今日という今日、たったこの足一本の暇乞い」と(小春の)額ぎはをはったと蹴って「わっ」と泣き出し兄弟つれ帰る姿もいたいたしく、跡を見送り声を上げ、嘆く小春も酷(むご)らしき、無心中か心中か、誠の心は女房の、そのひと筆の奥深く、誰が文も見ぬ恋の道、別れてこそは帰りけれ。

花さき山と泣いた赤おに

このような「自らの真の欲求をかくして他者の幸福を優先する」生き方は美しい。しかし、それを推奨するべきものかどうかとなると疑問だ。絵本「花さき山」や童話「泣いた赤おに」を、どのように鑑賞し、子どもたちに楽しませるかという問題とも、それは深くかかわるだろう。
両者はともに、自分も決して恵まれた状況にはない貧しい子どもや異形の怪物が、より弱い弟妹やさびしがり屋の友人のために、自分のほしいものをあきらめたり、悪者役をかって出たりする心の美しさがテーマで、「泣いた赤おに」などは典型的な「覚悟のぬれぎぬ」の話である。人間と仲よくしたいと願う赤鬼のために、友人の青鬼はわざと乱暴をして赤鬼に退治され、赤鬼と人間たちが仲よく幸福に暮らしている毎日を守るために自分は旅に出て姿を消す。青鬼の消息がないので心配して家をたずねた赤鬼は、戸のわきのはりがみを見つけ、何度も読んで涙を流して泣く。

アカオニクン、ニンゲンタチトハ ドコマデモ ナカヨク マジメニ ツキアッテ、タノシク クラシテ イッテ クダサイ。ボクハ、シバラク キミニハ オメニカカリマセン。コノママ キミト ツキアイヲ ツヅケテ イケバ ニンゲンハ、キミヲ ウタガウ コトニ ナルカモシレマセン。ウスキミワルク オモワナイデモ アリマセン。ソレデハ マコトニ ツマラナイ。ソウ カンガエテ ボクハ コレカラ タビニ デル コトニ シマシタ。ナガイ ナガイ タビニ ナルカモ シレマセン。ケレドモ、ボクハ イツデモ キミヲ ワスレマスマイ。ドコカデ マタモ アウ 日ガ アルカモ シレマセン。サヨウナラ、キミ、カラダヲ ダイジニシテ クダサイ。ドコマデモ キミノ トモダチ アオオニ(ポプラ社 浜田廣介『泣いた赤おに』)

これに限らず古い児童文学には「ぬれぎぬ」の設定がさまざまなかたちでよく登場するのだが、特にこの二作は「花さき山」の「より弱い存在の幸福のために黙って耐える者の涙が、人知れぬ山奥に一輪の花を咲かせる」という美しいイメージとともに、「覚悟のぬれぎぬ」の根底を築く思考と心情を描き出している。

きのう、いもうとの そよが、
「おらサも みんなのように
祭りの 赤い べべ かってけれ」
って、あしをドデバダして
ないて おっかあを こまらせたとき、
おまえは いったべ。
「おっかあ、おらは いらねえから、
そよサ かってやれ」

そう いったとき、その花が さいた。
おまえは いえが びんぼうで、
ふたりに 祭り着を
かって もらえねえことを
しってたから、
じぶんは しんぼうした。
おっかあは、どんなに たすかったか!
そよは、どんなに よろこんだか!

おまえは せつなかったべ。
だども、この 赤い花が さいた。
この 赤い花は どんな 祭り着の 花もようよりも、
きれいだべ。
ここの 花は みんな こうして さく。(岩崎書店 斎藤隆介・滝平二郎『花さき山』)

これは決して見失ってはいけない心で、おそらくどんな時代のどんな場所でも現実に常に存在もする。だが、これを公式の守るべき規範として社会で認知することは、反発も混乱も招くだろうし、決して快い社会を築くことにはつながるまい。それはあくまで遠い山奥の誰にも見えない場所でのみ、ひそかに咲く花だから価値がある。邪悪な心理や異常な欲望などと同様、文学だけに語ることが許された、公認されたり評価されたりしてはならない美しさなのだ。
もう今となっては誰も覚えていないだろうが、戦後の教育に「道徳」の時間が設けられたとき、何を教えるのかでかなり議論が交わされた。社会的な良識として立派な市民や国民を育てるために学校で知識以外の何かを教えることが必要だとしても、そこでこのような「覚悟のぬれぎぬ」の精神は強制はもちろん、決して推奨してはならないだろう。だからと言って「権利を主張し損をせず犠牲になるな」ということのみを教育されて身につけた生き方もまた不幸だろう。

キリスト教と「奉教人の死」

それではいったい、どうしたらいいのか。多くの人が学校教育や家庭教育とともに宗教教育をすることでこの点が補えるのではないかと思い浮かべるだろう。実際、欧米社会を中心にキリスト教はそのような役割を果たしてきた面があるだろう。
だいたい、何の罪もないのに人間すべての罪を背負って死んでくれたというイエス・キリストその人が最大の「覚悟のぬれぎぬ」と言えようが、不謹慎を百も承知であえて言うと、新約聖書の四つの福音書を見ると、裁判の場でピラトに罪を問われたイエスは完璧に沈黙して答えないのと、それなりに答えているのと両方の記述があり、現代の映画化でもそのどちらもが存在している。実際にイエスがどちらだったのかはわからない。もし沈黙をつらぬいていたのなら、その心境はあるいは第三章の「怒りのぬれぎぬ」に近かったのかもしれないが、それについては次章で述べる。
いずれにせよ、まったく何の罪も犯さないのに鞭打たれ茨の冠をかぶせて嘲弄され、十字架にかけられて残酷に処刑され、それで誰も恨まなかったという人の究極のぬれぎぬを思いやり、そのような人を偉大な存在とあがめ心の拠り所として愛することで、どれだけ多くの人々が慰められ励まされ自らの運命を甘受することができる力を得たかしれないのは事実だろう。私は「平家物語」の中に流れる諸行無常の精神が、理不尽な現実の数々を人々に納得させ慰撫する力を持つだろうと述べたことがあるが、イエスの生涯にもそれと似た作用がある。
そういったキリスト教の精神は多くの文学作品をまた生み出している。有名な芥川龍之介「奉教人の死」もその一つで、長崎の教会で育てられた主人公の美しい少年「ろおれんぞ」が近所の傘張り職人の娘を妊娠させたという冤罪によって迫害されながらも誰も恨まず抗議もせず、自分をそのような運命に陥れた相手を許す。「ろおれんぞ」の犯したとされる罪が犯しようがなかったことがあまりにも完璧に証明される最後の場面の印象は強烈だ。彼自身の内面にどのような苦悩や葛藤があったのかはほとんど描かれないだけに、無実の罪を得て誤解され迫害される者の妖しいまでの清らかな美しさが鮮烈に描き出されている。

なれど「ろおれんぞ」は唯、美しい顔を赤らめて、「娘は私に心を寄せましたげにござれど、私は文を貰うたばかり、とんと口を利いたこともござらぬ」と申す。なれど世間のそしりもある事でござれば、「しめおん」(板坂註。もと武士のたくましく元気な若者で、「ろおれんぞ」の無二の親友)は猶も押して問い詰ったに、「ろおれんぞ」はわびしげな眼で、じっと相手を見つめたと思えば、「私はお主にさえ、嘘をつきそうな人間に見えるそうな」と咎めるように云い放って、とんと燕か何ぞのように、その儘つと部屋を出て行ってしもうた。こう云われて見れば、「しめおん」も己の疑深かったのが恥しゅうもなったに由って、悄々その場を去ろうとしたに、いきなり駈けこんで来たは、少年の「ろおれんぞ」じゃ。それが飛びつくように「しめおん」の頭を抱くと、喘ぐように「私が悪かった。許して下されい」と囁いて、こなたが一言も答えぬ間に、涙に濡れた顔を隠そう為か、相手をつきのけるように身を開いて、一散に又元来た方へ、走って往んでしもうたと申す。さればその「私が悪かった」と囁いたのも、娘と密通したのが、悪かったと云うのやら、或は「しめおん」につれのうしたのが悪かったと云うのやら、一円合点の致そうようがなかったとの事でござる。(新潮文庫 芥川龍之介『奉教人の死』)

序章で述べたアリバイ・アイクの場合と同様、「ろおれんぞ」の本質はまた、犯したとされる罪以前に、その真実の姿が決して誰にも知られないし、知られてはならないことにある。秘密を抱え、正体を隠して生きる者は罪を犯しても弁明や証明ができず、冤罪とひきかえに自分の秘密を守るしかない。そのような「ぬれぎぬ」の持つ性質も、この小説は浮かび上がらせる。

山本周五郎文学と「わたくしです物語」

しかし何と言っても、多数で多様な「覚悟のぬれぎぬ」が、みごとな文学作品として結集しているのは、山本周五郎の作品群だろう。彼もまたキリスト教の影響を受けていたというが、多くの作家や知識人にそれは共通しているから、そのことが彼の作品にこれだけ多くの「覚悟のぬれぎぬ」が登場する理由としてどれだけ大きいものなのかは簡単に結論づけられまい。
ともあれ、彼の作品には「樅の木は残った」「正雪記」といったような、歴史上の大悪人をまったくちがったイメージで描きなおして、彼らが来るべき世の中のため、多くの人々のために汚名を着たことを明らかにする大作から、社会の底辺でつつましく生きる貧しい人々が周囲の幸せのために罪をきる珠玉のように完成された短編まで、自分の崇高な行いを決して語らず人に知られようとせず一生を終える人たちの話が目白押しだ。彼らも、彼らの一生も決して正当には評価されない。彼らの努力も献身も決して報われることはなく、彼らはしばしば孤独で不遇なまま終わり、時にその汚名は永遠に回復されることはない。それでも彼らは落ち着いて微笑み、決して不満を抱かず、あえて言うならまったく不幸ではなく満ち足りている。
彼の作品にはもちろん他の要素も多いのだが、最大の特徴はこの「覚悟のぬれぎぬ」精神ではないだろうか。(註1)
さて、山本周五郎作品の中で「覚悟のぬれぎぬ」がコミカルに生き生きと語りつくされるのは、「わたくしです物語」だ。軽いタッチで落語風に書かれた楽しい作品だが、「覚悟のぬれぎぬ」が何たるかをいわば究極の本質論として示している。全体の完成度はさほどでもなく、すきも多い、ゆるくのんきな作品だが、「覚悟のぬれぎぬ」を描いた作品としては、要点はすべて実に的確だ。
江戸時代のある藩に、忠平考之助という、美男子だが実力は普通程度の若い侍がいた。そのため周囲に期待されすぎて苦しみ、ある決断をして、城内のあらゆる事件や不祥事に際して犯人も知らないまま、とにかく何でも「それはわたくしです」と名乗って出るようになる。彼に肩入れしていた口うるさい家老はやきもきするが、他人の罪を着続けた彼の存在は、やがて彼自身を強くし、幸福にして行く。「覚悟のぬれぎぬ」の持つ生産性を最も楽天的に認めて予想した作品と言えよう。破天荒な設定と展開だが、決して荒唐無稽な白昼夢とは思えない説得力があって、多くの読者がその展開に笑って力づけられるだろう。

それは梅雨の降る或る日から始まった。
茂平老(板坂註。例の世話好きでやかまし屋の家老である)が記録所で、例のように小言を言っていると、書院番の若侍が蒼くなってとんで来て、すぐには舌が動かず、眼をしろくろさせ、口を四五たびぱくぱくやり、そうしてごくりと唾をのんで「大変です」と云った。
「なにをうろたえておるか、なにが大変だ、武士が大変などという言葉をかるがるしく」
「ギヤマンのお壺が毀れております」
老は、うっといって顎を出した。
「な、なに、なにが、どうしたと」
「お白書院の床の、ギヤマンのお壺が、粉々に毀れております」
茂平老は笑いだした。いやそうではない、笑うように見えたが笑ったのではない、それは素人の観察であって、実はもっと深刻複雑な、一種の云いあらわしがたい感情の表白だったのである。・・・・老は直線をひいて、白書院まで走った。そうして目前にその事実を認めて、もういちどうっといって顎を出した。
藩主河内守の愛するオランダ渡来のみごとなギヤマンの壺が、白書院の床間でめちゃめちゃに砕けていた。
それは多治見松平の始祖が、二代秀忠から下賜されたもので、諸侯のあいだにも評判であり家宝の一つでもあり、河内守が特に大切にしていたものである。
平常は宝庫にしまって置くが、そのままでは色が濁るということで、毎月五日ずつ出して風を当てる定りだった。
白書院は藩主の不在ちゅうは使わない。殆ど人の出入りがないので、その床間で風入れをするのが例であった。
「今日の当番は誰だ、そのほうか」
「当番は島津太市です、いま詰所で謹慎しております」
「おれの部屋へ来いと云え」
茂平老は震える拳で汗を拭き、こうどなって自分の役部屋へはいった。もう噂が拡がったのだろう、廊下のあちらこちらに人が寄り、なにかひそひそ話しあっていた。
部屋へはいると、そこに忠平考之助がいた。神妙な、なにかしら諦めたという顔で坐っている。老は気があがっているので、
「なに用があって来た、おれはいま忙しい、なにか知らんがあとにしてくれ」
こう云って老が自分の席に就くなり、考之助はおちつきはらった声で云った。
「お壺の件について申上げにまいりました」
「お壺、・・・・お壺がどうした」
「実はあれは、私が毀したのです」
約十秒ばかり、茂平老は石のようになった。全身のあらゆる機能が停り、かつ硬直したふうである。そしてやがてそれらがいちどきに活動を始め、火のように燃えあがった。老はどういうわけか右手で自分の頭を押え、左手で膝を殴りつけ、そして喚きたてた。
「謹慎だ、いや大閉門だ、さがれ、しばり首にしてくれる、この、この、うう大不埒者」
「お沙汰をお待ち申しております」
考之助はいやに冷静にそう云って一礼し、あてつけのように沈着な足どりで出て行った。
茂平老はすぐさま重臣会議を召集、考之助には居宅差控えを命じておいて、江戸の藩主へお伺いの急使をとばした。今でいえばカットグラスの壺一個で、大の男がこんな騒ぎをするのはばかげてみえるが、当時としては殊によると当人は切腹、重臣も責任を問われかねない出来事であった。幸い河内守という人が、いくらかもののわかった人物とみえ、
―高がギヤマンの壺一つで騒ぐには及ばない。当人には謹慎二十日くらいで許してやれ。
という寛大な沙汰があった。(新潮文庫 山本周五郎『町奉行日記』 「わたくしです物語」)

この件はこうして一応無事にすんだが、ことはこれでは終わらない。以後も城内や城下で起こるさまざまの事件、公金紛失、重宝の毀損、痴漢行為、無銭飲食などあらゆる種類の、時に身の危険を招き時に不面目な犯罪に、考之助が必ず「わたくしです」と名乗り出て、毎回一応何とか無事にことが収まりはするものの、茂平老はそのたび頭に血がのぼる。
藩主の常居の間に飾ってあった先祖伝来の甲冑が倒れて、竜頭と鍬形が折れてしまった事件の場合もそれがくり返された。

係りの沢駒太郎が蒼くなり、それから老職たちと茂平老が蒼くなった。そこへ考之助が自若として名乗って出たのである。
「私です、私の粗忽です」と云う。
彼の自白によると、敬慕の余りひそかに拝礼にいったところ、あたかも藩祖の生きて在すが如く見え、おなつかしさに前後忘却、つい知らず縋りついたということであった。
敬慕のあまり拝礼にいったというのはまあいい、それは主君の常居の間などへはいった申しわけになるが、つい知らず縋りついたという点で、茂平老は顔面がむずむずしてきた。
「生きて在すがように見えた、おなつかしさに前後忘却というが、そのほう法相院(藩祖の法名)を存じあげているのか」
「それはもう、稀代の名君に在しまし」
「そんなことは誰でも知っておる、人を愚弄するな、法相院さまは百年以上もまえに亡くなられた方だ、それがどうしてつい縋りつかずにいられないほど、なつかしかったというんだ」
「そこは、あなたがそう仰しゃるなら、そこは私としてあなたに伺いたいですな」
「控えろ、国老職に向ってあなたとはなんだ」
「では御家老、えへん」考之助はいやに丁寧に叩頭した。「では御家老に伺いますが、君臣の情というものを、御家老は御存じでしょうか」
「君臣の情で、御兜をぶち毀したのか」
「ですからそこは、つい、あれです、おなつかしさの余り、その前後を忘却」
「同じことを云うな、人を愚弄するな」
老はまっ赤になって怒り、考之助はお沙汰をお待ち申すという挨拶をしてさがった。

と、考之助も作者もかなり慣れて調子に乗ってきているのがわかる。とは言っても基本的には命をかけた「覚悟のぬれぎぬ」であることに変わりはない。だからこそ、やがて彼に救われた真犯人の人々が、それぞれひそかに彼に謝罪とお礼に来るのだが、その礼もまた母の作った味噌漬けとか、わりとささやかなのがほほえましい。
あまり気づかれないと思うが、この話の最後ではたび重なるこのような事態に業を煮やした茂平老が「おまえが家老になれ」と叫び、考之助はいつものくせで「お沙汰をお待ちしております」と下がって行くので、彼はこの藩の家老になるかもしれないという未来が予測されている。自分の無能さに絶望し、捨て身で人のために生きようとした考之助の精神こそは、すぐれた指導者、支配者、人の上に立つ人としての資質に欠かせないものであったということがそこには巧まずして語られているのだ。

歴史上のぬれぎぬ

このような山本周五郎の文学の数々を読んで、「わたくしです物語」のようなハッピーエンドは特例として、歴史的に汚名を着せられたまま国や社会や未来のための捨石になって行った多くの登場人物の清々しい精神にふれていると、たとえば映画「グラディエーター」や映画「テルマエ・ロマエ」に登場するローマ皇帝たちが「死後にどう評価されるのか」を強く意識し、実際の歴史でもそれが重要な問題であったことが、何やらささいなことを気に病んでいるように見えてくる。後世に評価されなくても、あるいはまったく事実と異なった評価をされても、それで人類の歴史がよりよい方に進むのならかまわないのではないかと、藩の重役と市井の無名の男女とを問わず周五郎文学の登場人物たちは端然と示してくれているかのようだ。
そのような例はおそらく現実の歴史にも多い。「平家物語」の清盛は近年武士の時代を開いた偉大な政治家として評価されるようになってきたが、江戸時代の演劇ではただのこっけいな悪役だし、「平家物語」の物語の構造では平家一門が悪事をはたらいたから、滅亡は当然という流れが出来ている。しかし冷静に読めばネロやカリギュラ、始皇帝といった世界の暴君と比較してみても、「平家物語」が描く平家の行いの数々はとても悪事と呼べるようなものではない。あるいは平家の敵であった人たちが支配する時代では、公然と平家の滅亡を悼むわけには行かず、「悪事を行ったから滅亡もやむなし」という枠組みの中で書いているだけなのかと疑いたくなるほどだ。
そのネロ皇帝のキリスト教大虐殺については、シェンキヴィッチの名作「クオ・ヴァディス」によってよく知られているが、この小説はもちろん近代の作品であり、この虐殺に関しては、もともとキリスト教が力を持った時代に伝えられた誇張や脚色はどの程度なのか充分な検証をする必要があろう。
同じように暴君として知られ、シェイクスピアの「リチャード三世」や夏目漱石の「倫敦塔」でもそのように描かれている英国王リチャード三世については、ジョセフィン・テイのミステリ『時の娘』で、現代の刑事グラントが入院中の暇つぶしに歴史資料を刑事の目で検討して彼の悪事とされたもののすべてに根拠がなく、後世の捏造だと結論づける。しかもそれはすでに専門的な研究でも指摘されていながら、世間にはまったく知られておらず、教科書では今もなお明確に彼が悪人として記されている。退院の前に看護婦に借りた教科書を返そうとして、グラントはあらためてその部分を読み直す。

彼女が夕食を運んできたときに返せるように、グラントはその二冊(の教科書)をさがし出した。そして、リチャードの事件の真相を究明しはじめて以来初めて、もう一度、その教科書に出ているリチャードの悪行の物語を読んでみた。そこにはあの不名誉な話(板坂註。リチャードが自分の甥の幼い王子二人を暗殺したこと)がはっきりと文字にされていた。おそらくとか、もしとかいう言葉はなかった。注釈も疑問もなしに、断定形で書いてあるのだ。(ジョセフィン・テイ『時の娘』 ハヤカワ・ミステリ文庫)

非公式な資料

『時の娘』のタイトルは「真理は時の娘」という古いことわざに由来する。清盛の場合がまさにそうであるように、長い時間の経過によって新しい視点での資料の見直しや発掘によって、このような人々の歴史上の汚名が払拭されることはこれからもあるだろうし、それは必要なことである。
だからと言って、「平家物語」や「リチャード三世」や「倫敦塔」や「クオ・ヴァディス」の価値が失われるわけではない。さまざまの意味でそこに描かれた事実が虚構であっても、それが悪の魅力や権力者の悲しみとして人々に何かを訴え感動を生み、世の中を正しく前進させるための力になるものなら、それはそれで価値がある。
現実と異なる姿で描かれて記憶に残されてしまった人々の無念を思うなら、それはおそらく、誤った虚構を抹殺したり修正したりするのではなく、新しい別の虚構で新しい記憶を創造してゆくしかないだろう。それでもそれが公式のものとして認められず、捏造された虚構があくまで力を持ち続けたとしても、それがもし人類と世界を幸福に導くものなら、私たちは自分や自分の愛する者がその汚名を着せられた当事者であったとしても、そのことに満足し、真実は非公式で私的なものとして守りつづけて行くしかあるまい。アメリカ大陸における先住民の抹殺、ホロコースト、日本がアジアで行った残虐行為などの歴史的事実についても、正確な検証や調査による共通理解や公式見解は必要だが、どこまで行ってもそれにはしょせん限界があり、基本的に必要なのはそこで切り捨てられて葬られた非公式で私的なものを尊重し信頼する姿勢である。
国文学者の中村幸彦はかつて「江戸時代の記録は公式なものほど信用できない。市井の噂話の方が真実を伝えていることがある」と語っていた。すべての真実を公的なものとして認めさせ、そうやって公的に認められたのもの以外は信じないし見ようとしないという態度は決して真実を明らかにする助けにはならない。

「告発のとき」

そしてまた、次のようなことも指摘しておきたい。
「クオ・ヴァディス」が描いた暴君ネロの悪行の数々がたとえ誇張されて厳密に言えば虚像であったとしても、この長編小説の中で彼のその異常さや小心さ、芸術への愛などは非常に生き生きと描かれていて魅力的でもある。大西巨人「神聖喜劇」もまた、日本軍の兵士である大前田軍曹を中国での残虐行為も含めてその人間的魅力をあますところなく描いている。どちらの小説にも作者の彼らへの深い理解と愛情がある。それはすぐれた小説に共通する特徴で、どのような悪人も異常な人物も私たちとさほど変わらぬ人間であることを、これらの文学は描き出すのだ。(註2)あらゆる歴史上の残虐行為を検証し弾劾するには、おそらく、これと同様の、その加害者に対する深い理解と強い愛情を決して欠かしてはならないだろう。彼らは私たちの一部であり、彼らの行為の責任は私たちも負うべきものである。彼らの罪の軽減や無実の実証も、逆にその罪の告発や確認も、もしそれが私たち自身の保身や名誉や安堵のために過ぎないのなら、そのような犯罪を犯した加害者は仮に無罪になったとしても、なお限りなく孤独だろう。犯した罪がなかったことにされるのは、「ぬれぎぬ」同様、その人に対する侮辱であり、その人に苦痛と孤独を与えることになりかねない。
映画「告発のとき」の主人公の軍人は、戦場から帰還した息子の死は現地での残虐な行為を隠蔽しようとした何者かによるものではないかという疑惑で調査を進めるが、最終的に遭遇したのは息子自身が残虐行為を行っていたという事実だった。だが彼は息子への愛を失わず、息子の行為と彼の弱さを認めようとしないことで息子を追いつめた自分とに目をそらさずに向き合う。国であれ人であれ、無実を信じることと有罪でも愛することは真実の追求にあたっては、同じ強さと同じ力で守られつづけなければならない。(註3)

(註)

  1. なお、映画監督の黒澤明は「リア王」を翻案した「乱」を作り、山本周五郎作品を再三映画化したように、この精神に魅かれていた。その作品にはほぼ常に、偉大な存在が正当に評価されず無名のまま、自己の仕事に邁進する姿が描かれる。優れた指導者や有能な剣客が貧しい農村を守って命をかける「七人の侍」も例外ではない。そして晩年の作品の「乱」や「影武者」では、そのような偉大な存在が存在しなくなったり変質したりする悲しみがしばしば登場するようになる。
  2. 最近の犯罪小説ではこれは必ずしも努力されておらず、まったく理解しがたい話の通じないサイコキラーが犯人であることが多く、これは「ぬれぎぬ」への嫌悪や拒否を強めている原因のひとつかもしれない。また冷戦の終結によって、かつてのスパイ小説や社会主義文学のように共産主義者や資本家が意思疎通不可能な悪として描かれることがなくなり、第三章でふれるようにテロリストも一時ほどには無条件の悪としては描かれない。エイリアンも映画「E・T」などの作品以来、常に敵ではなくなっている。そうなると結局、心おきなく悪役にして殺戮できるのはゾンビだけということになるのだが、私は誰もゾンビの人権など主張しないのをいいことに、あれだけ気軽に何の尊厳もなく死者を冒涜した娯楽作品を大量に作って楽しんでいたら、人類はおそらくゾンビの祟り以前に病気や死に対する恐怖と嫌悪を植えつけられ、自らの病気や死に対する安らぎを得ることが次第にできなくなるだろうなと漠然と感じている。
  3. これに関しては、もうひとつ更に危険で微妙な問題がある。私は学生時代に北朝鮮のスパイと疑われた人の無実を訴える集会に参加して、主催者や講師がそんな犯罪は事実無根のぬれぎぬだと熱弁をふるって力説するのを聞きながら、当時は北朝鮮が理想の社会主義国家とかなりの人が考えていて私もその一人だったから、「いや、私はその人たちが日本をスパイしていたとしてもかまわないどころか、そっちの方が支持できるんだけど」ととんでもないことを考えて集会の間中、ずっと一人で困っていた。今、たとえば日本軍が中国で虐殺をしていないと強く主張する人たちの中に中国人への激しい敵意や軽蔑を見ると私は「そこまで中国人を嫌いなら、虐殺したことを評価してあげればいいのに」と本当に皮肉でなく疑問に思う。虐殺でもスパイでも、ことと次第によっては正義になるかもしれないわけで、それらを「ぬれぎぬだ」と主張するには、その点もまた充分に整理して考えなければならない。

まとめ

「覚悟のぬれぎぬ」は、他者や周囲のために積極的に自らが罪をきて、それを誰にも知らせないという、人間の感情としては本来不自然な行為である。それは崇高で気高く、人間社会に常に存在するものであるが、決して強制したり推奨したりされるべきものではない。
歴史の上でも日常でも、このような行為は本来あってはならないものだが、確実に存在するし、完全になくなることはないだろう。そのようなことがないように常に努力しなければならないが、それでも存在するであろう可能性を決して忘れてはならない。

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