ぬれぎぬと文学(未定稿)7-第四章 「情けあるおのこ」たち(1)

「情けあるおのこ」とは

日本中世の軍記物「平家物語」の中には、敗北して囚人となった平家の人々から家族への面会などを頼まれて、快く許可する源氏側の責任者がしばしば登場する。平重衡に対する土肥実平、平宗盛に対する源義経などで、彼らのことを「平家物語」は「情けあるおのこ(男)」と呼ぶことがある。(註1)
彼らのことにも後でふれるが、この章と次章ではそのような、必ずしも犯罪をおかしたわけではないのに、たまたま牢獄にいる人に一定の恩恵を与える場合までも含めて、「ぬれぎぬ」をきた人々に救いを求められてそれに応える「情けあるおのこ」たちについて話したい。もちろん、実際には男性に限らず、女性である場合も少なくない。

あの人はどうなったのだろう?

ぬれぎぬは、現実にはもちろん、文学として読んでいても、重苦しく息詰まるものだが、あえて言うなら唯一の救いは、ぬれぎぬをきせられた当の被害者は、少々ひどい目にあっても主人公であるからには、そうそうあっさり死んでしまったりはしないだろうということだ。映画やDVDなら上映時間、本ならページ数がまだかなり残っているなら、まだまだ彼らはここでいなくなったりはしないだろうと一応安心していられる。
だが小説の読者、映画や演劇の観客の中には、主人公よりも脇役が好きになる人というのがけっこういる。主人公をあまりに深く愛するあまり、彼を助けてくれる脇役に深く感謝しているうち、気がついたらそちらの方が好きになってしまったという場合だってよくある。そうなったら最後、気が抜けない。何しろ脇役はいつ消えても物語や舞台が続いて行くのに支障はないわけだから、いつまでこの人はいてくれるのだろうと、どきどきしながら話の展開を見守って行くことになる。
もっとも、そんな奇特なファンがいるならまだいい。作者もどうやら、そんな人物のことはどうでもいいようで、ちゃんとした脇役にさえならず、どこかでせっぱつまった主人公を助けたら、それきり二度とあらわれない登場人物も少なくない。彼らのことなど、大抵の読者や観客はきっと忘れてしまう。
さまざまな映画や小説の数知れない場面で追いつめられて絶体絶命の主人公を援助して、一夜の宿を貸し、逃亡のための馬を貸し、船や車を出してやり、それきりどこかへ消えてしまった名もない登場人物たち。彼らはそのあと、どうなったのだろう? やかましい家族や、うるさいご近所には黙りとおして秘密を守れたのだろうか。そもそも無実の罪の人は逃げていたわけで、追っていた警察や役人や支配者から、その後とがめられて、ひどい目にあったりはしなかったのだろうか。貸した馬や車や食べ物や金は、その人にとっても貴重で、なくしたら困るものではなかったのだろうか。
その人たちは、そのように助けを求めた無実の人たちを、どうして助けて願いを聞く気になったのだろうか。門口に立って扉をたたいて、救いを求める人に対しては、いつもそうしているのだろうか。渡し船の船頭などだったら、うすうす事情を知っていても仕事だから拒まないという職業意識があるのだろうか。あるいは、現在の支配者や体制に自分もひそかな不満を抱いていて、せめてもの思いで危険をおかして協力したのだろうか。今は実直でまっとうな暮らしをしているが、昔は自分もアウトローで同じ境遇の人を見ると、かつての暮らしを思い出して、ひそかに血が騒ぐのだろうか。
たとえ司直や周囲の人にまったく知られなかったとしても、そのような無実の人をかくまい、手を貸し、救ったことで法をおかした体験は、彼らのその後をどう変えたろう。一見まったく前と変わりない生活を送り、たまにひとりで思い出すだけだったろうか。それとも、そのことをきっかけに、思いもよらぬ新しい別の人生に踏み出していくことになったのだろうか。

かくも長き不在

マルグリット・デュラス原作の古いフランス映画に「かくも長き不在」という名画があって、アリダ・ヴァリという女優が第二次大戦後の田舎町で一人でカフェをきりもりする女主人を演じている。彼女はもう中年のしっかり者で、若い恋人もいるのだが、ある日表を通りかかったホームレスの男が戦争中にいなくなった夫に似ているような気がして、それ以後その男のことが頭から離れなくなる。男は町はずれに野宿していて、またその内にどこかへ行ってしまうかもしれない。どうやら少し知能に障害があるようでもある。
一見とても地味な映画だし、日本での公開当時も反戦映画として紹介されたような記憶があるが、あらためて今見ると、いつの時代にも変わらない、すれちがう男女の心や男の過去を探ろうとする女の気持ちが、みずみずしくせまってくる。印象的な場面のひとつは、男が夫だと確信したい女性が彼を何とか家に招き、夫をよく知る親族の人たちを呼んで、皆で昔話をして、男の反応を見る場面だ。親族たちが男の記憶を取り戻そうと大声でしゃべる話を、少し離れたテーブルで聞くともなしに聞く男はそれに反応しているようでもそうでないようでもあるが、はっきりしない。その後も二人だけでダンスをしようとして、男の後頭部の傷跡にふれて記憶を失った原因に思い当たる場面や、さりげない中に深い衝撃を与えるラストまで、男女の心情がもどかしくもふくよかにただよって胸をしめつける。
すべてがさりげない映画なので、うっかり気づかない人さえいるかもしれないが、親族たちが男に聞かせようとする思い出話には、次のような部分がある。

マルセル「そうだ、叔父さんのアルベール・ラングロワは、ショーリユ・シュル・ロワールでフランス警察に捕まった」
アリス「そうよ、私の甥のアルベール。私の甥のアルベールはショーリユ・シュル・ロワールで拷問にかけられたのよ。
そうよ。そしてメーヌ・エ・ロワールのアンジュでゲシュタポに引き渡されたのよ」
(略)
アリス「そうよ。彼の友だちのアルド・ガンビニと二人のイギリス人飛行士も彼と一緒に行方不明になった」
マルセル「捕まったとき、アルベール・ラングロワは彼らをイギリスへ送って行く途中だった」(ちくま文庫 マルグリット・デュラス『かくも長き不在』)

ことさら男に聞かせて何かを思い出させようとして、親族たちが執拗に話す会話の内容は、男がいなくなった時のいきさつで、つまり女性の失踪した夫アルベール・ラングロワは、撃墜された英国の飛行機のパイロットたちをかくまい、国外に逃がそうとしていて、ドイツ占領下のフランス警察に逮捕されたのだということがわかる。
「かくも長き不在」のきめこまかに描かれる深い悲劇は、どの国のどの時代でも戦争があればいくらでも生まれる珍しくない話だ。ただ、より普遍的な話にするなら、戦地で行方不明になった夫であってもよかったはずで、実際、これを日本の話に翻案した吉永仁郎「リビエールの夏の祭り」では夫は単に復員兵である。この原作の小説と映画があえて夫を「ドイツの敵をかくまって逮捕された」人にした意図はまだ私には充分に理解できておらず、若いころ、この映画を見て感動しつつも、こういう過去を持つ夫と妻の悲劇はたとえば「戦地で行方不明になった夫」という場合よりも、「自分からその運命を選んだ」という要素が入ってしまうから、観客の同情や共感をかいにくくなるのではないかとほんの少しだが心配したのだった。
ともあれ、この女性とその夫の長く続く深い悲劇の最初は、夫が当時の支配者に追われる人を救おうとしたからだ。無実の罪をきせられて逃げる主人公の旅の過程には、こういう人々の小さくても決定的な悲劇がもしかしたら数しれぬほどばらまかれているのかもしれない。

アンネ・フランクをかくまった人々

「かくも長き不在」の夫をそのような人物として設定した理由を私はよくわからないと述べた。もしかしたらヨーロッパではナチスの占領下での市民のレジスタンスがそれだけ日常的で普通だったのかもしれない。映画「イングロリアス・バスターズ」の冒頭でも、ユダヤ人をかくまっている疑いのある農場主とドイツ軍の士官とのやりとりが長く続くように、ナチスの時代のヨーロッパでは事実でも物語でも、このような話が数知れないほど多く語りつがれていて、一見何の関係もないような旅行記やエッセイを読んでいても普通にそういう話が登場して、はっとすることがある。

およそ二万人以上のオランダ人が、あの時代に、ナチスの目をのがれねばならなかったユダヤ人およびその他の人びとを、かくまうことに尽力した。わたしもまた、すすんでできるだけのことをした。わたしの夫もおなじことをした。それでもじゅうぶんではなかった。
わたしはけっして特別な人間ではない。一度として、特別な注目を受けたいと思ったことはない。たんに、そのときわたしに要求されていること、そして必要と思われることを、すすんでしようとしてきたにすぎない。(文春文庫 ミープ・ヒース『思い出のアンネ・フランク』 プロローグ)

こう記すのは、そのような話の中でもおそらく最も有名な、ナチスドイツの支配下のオランダで二年にわたる潜伏生活を送った「アンネの日記」の作者アンネ・フランクとその一家を援助し支えた人たちの一人、ミープ・ヒースである。ミープは奇跡的に逮捕も拘束もまぬがれたが、他の二人の男性は逮捕された。その後一人は病気で釈放され、一人は脱走に成功した。彼らがたまたま皆このように命をまっとうしたのは本当に偶然の幸運だろう。アンネ一家も隠れ家の同居人も、アンネの父オットー・フランク以外はすべて収容所で亡くなったことは気持ちを沈ませるが、彼らを命がけで援助したミープたちの一人でもが助かっていなかったら、別の意味でもっと私たちは落ちこんだかもしれない。
『思い出のアンネ・フランク』を読んでいると、ミープ自身がそれまでの人生でパスポートの取得その他で、何度も大変な苦労をした体験を持っていたことがわかる。また、ユダヤ人への弾圧が日に日にじわじわ強まる中で、ミープたちのように彼らと親しくて何とか守ろうという人たちが、小さい危険行為をたび重ねながら、ひとりでに覚悟や決意を固めていったこともわかる。よく、カエルを水に入れて次第に温めるとゆだって死ぬまで気づかないという話は、人々が不正や圧制に徐々に慣れさせられるたとえとして使われるが、逆に正しいことをする決意も同じように少しづつ固まっていくのだろう。
そのような結果として、ミープは次のような重大な決意を即座にすることができた。

ある朝、コーヒーカップを集めて、洗いおえたところで、フランク氏がわたしを社長室に呼びいれた。ドアをぴたりとしめたあと、じっとわたしの目を見たが、そのやさしい茶色の目は、ほとんどえぐるような率直さをもってわたしの目にくいいってきた。「ミープ、あんたに秘密を打ち明けなくちゃならない」と、彼は切り出した。
わたしは無言でつぎの言葉を待った。
「じつはね、ミープ、わたしたち一家は地下にもぐることを考えているんだ。エーディト、マルゴー、アンネ、そしてわたし―みんなで隠れ家に身をひそめるんだよ」
彼はこれが私の頭に浸透するまで待った。
「わたしたちだけじゃない―ファン・ダーンさんと奥さん、息子さんもいっしょだ」フランク氏は、ここでまた一呼吸した。「あんたも当然知ってると思うが、この上に空き部屋がある―わたしの友達の薬剤師、あのレヴィンが実験室に使っているところだ」
その空き部屋のことは知っているが、はいってみたことはない、とわたしは言った。
「あそこなのだよ―わたしたちが隠れようとしているのは」
彼はまたちょっと間を置いた。
「つまり、あんたたちはいままでどおりここでは仕事をつづける―わたしたちのすぐ下でだ。だから、なにか異議があれば、ぜひいま聞かせてもらいたいと思ってね」
何も異論はないとわたしは答えた。
彼はひとつ大きく息を吸って、それから言った。「ミープ、わたしたちが身を隠しているあいだ、誰かに面倒を見てもらわなけりゃならないわけだが、あんた、その責任をひきうけてくれる気はあるかね?」
「もちろんです」わたしは答えた。
一生に一度か二度、ふたりの人間のあいだに、言葉では言いあらわせないなにかがかようことがある。いま、わたしたちのあいだに、そのなにかがかよいあった。「ミープ、ユダヤ人を支援する罪は重いよ。投獄されることはおろか、ことによると―」
わたしはさえぎった。「『もちろんです』と申しました。迷いはありません」(同上 第一部「難民」第六章)

ミープは、アンネ一家の逮捕後も釈放の可能性を求めて更に努力を重ねており、その大胆さに驚嘆させられる。もしかしたら彼女自身、その時は冷静ではなかったのかもしれないが、普通の市民がそれだけの勇気を発揮して行動した例は他にも多かったのだろう。そして、おそらく実際には彼らのような幸運には恵まれず、「かくも長き不在」の夫婦のような、またはそれ以上に苛酷な人生を歩んだ人々がきっと数多くいたにちがいない。

むぞうさな決断

だが、仮にどんなに不幸な運命をたどったとしても、それらの人々は私たちが予想して暗澹たる気分になるほど、滅入ってはいなかったのかもしれない。そう思わせるほど、「思い出のアンネ・フランク」のミープたちはいかにも健康で単純で力強く、人間としていかにあるべきかとか、どこまで犠牲を払うべきかとか、くよくよ考えて行動を選択している風があまりない。
それはミープたちだけではない。たとえばシラーの戯曲「ウィルヘルム・テル」、たとえばチェスタトン「木曜だった男」、そして日本の軍記物「太平記」など架空も事実もとりまぜて、ジャンルも形式も時代も国もあまりにもかけはなれてさまざまな、これらの文学に描き出された「不遇な善人や正義の味方を、危険をおかして救う人々」すなわち「情けあるおのこ」たちは、読んでいてものたりないか、少々唖然とするほどに、深刻に悩みもせず当然のようにとるべき行動をさらりと選ぶ。これは偶然なのだろうか? 小説にせよ記録にせよ、これらの物語の作者たちはこういった行動をとる人々のイメージを、そのように構築したのだ。
「ウィルヘルム・テル」の場合、冒頭で妻を凌辱しようとした代官を殺害したバウムガルテンは代官の家来たちに追われて湖の岸まで逃げて来る。居あわせた人々はいずれも彼の行動に共感し同情するが、折からの嵐に湖面は荒れ、漁夫は舟を出そうとしない。そこへ通りかかったテル(この時が初登場)は漁夫に代わって舟を出し、バウムガルテンを向こう岸に渡してやる。主役であるテルが脇役めいた登場をするのが印象的で、それはこの劇全体で、独立運動を企てる人々とは常に距離をおいて独自の立場をつらぬき続けるテルという人物の性格を効果的に浮かび上がらせてもいる。(註2)

漁夫ルオディ「南の疾風がやってきた。あのとおり、えらい波だ。この嵐と波が相手じゃあ、とても、舵など取れやしねえ」
バウムガルテン(彼の膝にすがる)「助けておくれ。そしたら神さまも、きっと、あんたを助けてくださる」
猟師ウェルニ「なにしろ、いまが命の瀬戸際だ。なんとか助けてやんなよ、船頭さん」
牧夫クオニ「このひとは一家のあるじだ。女房もあれば、こどももあるんだ」
(続けさまに雷鳴)
漁夫ルオディ「なんだって? おれなら、命をなくしてもいいというのかね。おれだって、家には女房もおれば、こどももいる。この人とおんなじだ。・・・・あれを見な。凄く岸にぶつかって、泡立ったり、逆巻いたり、水という水が深い底までまぜくりかえっているじゃないか。
そりゃ、おれだって、まっとうな人を助けたいのはやまやまだが、これじゃあ、とてもできやしねえ。見ればわかるだろう」
バウムガルテン(膝をついたまま)「それじゃあ、敵につかまるほかはないのか。救いの岸が鼻のさきに見えているのに!
ついそこだ。目のまえではないか。人の声だってとどくだろう。渡す小舟はそこにあるのに、なにもできず途方に暮れて、ここにすわっていなけりゃならんのか」
牧夫クオニ「あれを見ろ! だれか来るぞ!」
猟師ウェルニ「ビュルグレンのテルだ」
テル弩(いしゆみ)を持ってあらわれる。
テル「だれだね、そこで助けを頼んでいなさるのは」
牧夫クオニ「アルツェルンの者だ。自分の名誉をまもって、代官を打ち殺してしまったんだ。ロースベルクにいた、国王の代官のウォルフェンシーセンをね。―それで、代官の家来どもに追っかけられて、いまこうして船頭に渡してくれと頼んでいるんだが、船頭は嵐をこわがって、舟を出そうとしねえんですよ」
漁夫ルオディ「いいところへテルがきた。このひとも漕ぎ手だ。舟が出せるものかどうか、聞いてみるがいい」
テル「こまったときには、船頭さん、なんでもできるものだ」
(激しい雷鳴、湖水荒れくるう。)
漁夫ルオディ「地獄の口へ突っこめというのか。正気な者なら、とてもやれやしねえ」
テル「立派な人間は、自分のことはいちばんあとまわしにする。神さまを信じて、こまった人を助けてやりなさい」
漁夫ルオディ「安全な港にいると、いろいろと指図はできるがね。そこに舟がある。つい目のさきは湖だ。やってみなせえ!」
テル「代官じゃあるまいし、湖はまさか、それほど無慈悲じゃないだろう。やってやれよ、船頭さん」
漁夫ルオディ「かりにおれの兄弟、実の子だったにしても、できる話じゃねえよ。きょうはシモンとユダの日だ。だから湖が荒れて、いけにえをほしがっているんだ」
テル「ここでご託を並べたところではじまりはしない。のっぴきならぬときだ。この人をなんとか助けてあげなくては。どうだね、船頭さん、舟を出す気はないかね」
漁夫ルオディ「だめだ。おれは出さねえよ」
テル「よし、それではやってみよう。舟を貸してくれ。力は弱いが、おれが出してみる」
牧夫クオニ「ほう! さすがはテルだ」
猟師ウェルニ「それでこそ、立派な猟師だ」
バウムガルテン「おお、テル! あんたは命の親だ、救い主だ」
テル「おまえさんを代官の暴力から救ってあげるが、嵐の難儀からは、別なお方が助けてくださるだろう。だが、人間の手に落ちるよりも、神さまの手に落ちるほうがいいからね。(牧夫にむかい)おまえさん、おれにもしものことがあったら、女房を慰めてやっておくれ、おれは見捨てておけぬことをしたのだといってな」(小舟に飛び乗る)

テルが舟をこぎ出してすぐ、追っ手の騎士たちがかけつけて来て、漁夫たちを詰問する。

騎士甲「人殺しを出せ。貴様らがかくまったにちがいない」
騎士乙「この道を逃げてきたのだ。隠してもむだだぞ」
クオニとルオディ「だれのことでございます、お武家さま?」
騎士甲(舟を見つける)「やあ、あれはなんだ。畜生!」
猟師ウェルニ(岩の上で)「舟の中のあの男ですかい、お武家さまが捜していなさるのは。―馬で追っかけなせえ!―急いで駆けりゃ、追っつきますぜ」
騎士乙「えい、いまいましい、逃げやがった」
騎士甲(牧夫と漁夫にむかい)「貴様らが逃がしたのだな。ようし、仕返しをしてやるぞ。―それ、こいつらの家畜をやっつけろ! 小屋をぶちこわせ! 火をつけろ! たたきこわせ!」(彼ら駆け去る)
牧夫の子ゼッピイ(そのあとを走って追いかける)「おお、おらの小羊が!」
牧夫クオニ(続いて追いかける)「困ったことになった。おれの牛が!」
猟師ウェルニ「ひでえ奴らだ」
漁夫ルオディ(両手を揉みながら)「正義の神さま、いつになったら、この国に救い主があらわれるのでごぜえましょう」(新潮社「世界文学全集」47 シラー「ウィルヘルム・テル」 野島正城・訳)

日本の中世の軍記物「太平記」は、同じ「情けあるおのこ」でも、「平家物語」にはまったくと言っていいほど登場しない「不遇な正義の味方を逃亡途中で援助する他人」が非常に多く描かれるのがひとつの特徴で、その状況も多彩である。そして有名な矢口の渡しの新田義興の殺害(巻三十三)のように、救うと見せて裏切る人物たちも印象的に描かれる一方、援助する場合の人々は、いずれも逡巡なく即座に決意し行動する。巻二で父の仇を討って逃亡する少年阿新(くまわか)丸に出会って事情を打ち明けられた「年老たる山伏」は、初対面でありながら「我、此の人を助けずば、唯今の程に、かはゆき目を見るべし(自分が見捨てたら、この少年はかわいそうなことになるだろう)」と背負って港まで連れて行き、船に乗せてやっている。巻七では、楠正成のもとへ逃亡しようと御所を抜け出した天皇の一行を助けて船に乗せ、後に恩賞を与えようとさがしても名乗りでなかった男と、追手に嘘をついて天皇たちをかくまった船頭のことが描かれる。

忠顕朝臣、或家の門をたたき、「千波湊へは何方へ行ぞ」と問ければ、内より怪しげなる男一人出向て、主上の御有様を見進らせけるが、心なき田夫野人なれ共、何となく痛はしくや思ひ進らせけん、「千波湊へは、是より纔五十町ばかり候へ共、道南北へ分れて、如何様御迷候ぬと存候へば、御道しるべ仕候はん」と申して、主上を軽々と負ひ進らせ、程なく千波湊へぞ着にける。(略)此の道の案内仕りたる男、甲斐甲斐しく湊の中を走り廻り、伯耆国へ漕ぎもどる商人船の有けるを、兎角語らひて主上を屋形の内に乗せ進らせ、其後、暇申してぞ止まりける。此の男誠に直人に非ざりけるにや、君御一統の御時に、尤も忠賞有るべしとて、国中を尋ねられけるに、「我こそ其れにて候へ」と申す者、遂に無かりけり。
(忠顕朝臣は一軒の家の扉をたたいて、「千波の港へはどう行ったらいいのか」と聞いた。すると、中から粗末な身なりの男が出て来て、天皇のお姿をながめていたが、がさつな田舎者であっても、何となく気の毒に思ったのだろうか、「千波の港へはここからほんの五キロほどですが、道があちこち分岐していて、きっと迷っておしまいになるでしょうから、道案内をいたしましょう」と言って天皇を楽々と背負って、すぐに千波の港に着いたのだった。(略)この案内をしてくれた男は面倒見よく港の中を走り回って、伯耆の国に帰る船があったのをあれこれ交渉して天皇一行を船の屋根の下に乗せ、それから別れを告げて自分は港にとどまったのだった。この男は実に立派な人物だったと見えて、やがて天皇が天下を支配して、誰よりも褒賞を与えるべきだと国中問い合わせても、「それは私でございます」と名乗り出た者は結局いなかったのである。)

船頭、主上の御有様を見奉りて、「直人にては渡らせ給はじ」とや思ひけん、屋形の前に畏まって申しけるは、「斯様の時御船を仕つて候こそ、我等生涯の面目にて候へ。何くの浦へ寄せよと御諚に随つて、御船の梶をば仕候べし」と申して、実に他事もなげなる気色也。忠顕朝臣是を聞き給ひて「隠しては中々悪しかりぬ」と思はれければ、此の船頭を近く呼び寄せて「是程に推し当てられぬる上は何をか隠すべき。屋形の中に御座あるこそ、日本国の主、忝くも十善の君にていらせ給へ。(略)御運開きなば、必ず汝を侍に申し成して所領一所の主に成すべし」と仰せられければ、船頭実に嬉しげなる気色にて、取梶面梶取り合わせて、片帆にかけてぞ馳せたりける。
(船頭は、天皇のお姿を拝見して、「なみなみのお方ではないだろう」と思ったのだろうか、いらっしゃる所の前に来てうやうやしく言うには「このような時にこの船を利用していただいて、私は一生の名誉です。どこの港へでも行けとおっしゃるご命令に従って、船を運行いたします」と、本当に嘘のない心からのことばのようだった。忠顕朝臣はこれを聞いて「事実を隠しては、かえってよくないだろう」と思ったので、この船頭を近くに呼んで「これほど正しく推量されたのではもう何をかくす必要があるだろうか。ここにおいでになる方こそ、天皇でいらっしゃるのだ。(略)計画が成功して国を支配できたら、きっとそなたを武士にとりたてて、領地を与えて領主にすると約束しよう」とおっしゃったので、船頭は本当に嬉しそうな様子で、あれこれと帆を工夫して張って、ひたすら船を走らせたのだった。)

この後、追手が乗り込んで来るが、船頭は天皇一行を船底に隠し、役人たちに偽りの情報を教えて危機を脱するのである。

チェスタトン「木曜だった男」も見ておこう。これは世界征服をたくらむ悪の組織である無政府主義者(現実の無政府主義者に配慮したのか、名は同じでもあくまで実際のそれとは異なる架空の組織と説明されている)を名乗る集団に必死で戦いをいどむ男たちの話だが、「一つの悪夢」という副題があるように、さまざまな趣向がはりめぐらされた、幻想的で哲学的な、いかにもしゃれた小説であり、詩人のサイムをはじめとした主人公たちが強大な敵に追われて逃亡する様子も、それを助けてくれる人々の姿もどこか美しい詩のように象徴的だ。それだけに、そのような援助者たちの本質や意味するものが、鮮やかな映像となって浮かび上がってくる。まず、通りがかりの村人から紹介されて、馬を借りるために立ち寄った宿屋の主人の描写である。

彼は白髪の、林檎のような顔をした老青年で、眠たそうな眼をして白い口髭をたくわえていた。身体つきはがっしりして、あまり動きまわる性(たち)ではなく、いかにも人の良さそうな―フランスにもよく見かけるが、ドイツのカトリック教徒にはもっとありふれたタイプの人物だった。彼のまわりのあらゆるものが―パイプも、ビールのジョッキも、花々も、蜂小屋も、先祖代々の平和な暮らしを物語っていた。ただ、訪問客たちが客間に入って、上を見ると、壁に剣がかかっていた。(光文社古典新訳文庫 南條竹則訳 チェスタトン『木曜だった男』 第十一章「犯罪者が警察を追う」)

仲間の一人デュクロワ大佐は、この主人を前から知っていて、サイムが「なぜここに来たのか」と聞くと、馬を借りるためともうひとつ、「死の危険が近づいた時、一人か二人、善良な人間に会ってみるのも良いものだからですよ」と答える。そうして彼らは馬と食料をもらってあわただしく出発するのだが、やがて追っ手の一団が追いついて来たのが遠くから見える。

午後の陽はすでに西に傾いていた。日射しの中で、宿の老亭主のたくましい姿が、次第に小さくなりながら、それでも立って、無言で見送っていた。銀色の髪に陽光(ひかり)があたっていた。大佐のふと口にした言葉が、サイムの心に迷信的な一つの考えを植えつけていた。それは、もしかしたらあの老人を最後に、この世の真っ正直な人間と出会うことはないかもしれない、という考えだった。
サイムは小さくなる姿をいつまでも見ていた。その姿は、緑の大壁のような急傾斜な丘を背景にして、灰色のしみに白い炎が燃えているようだった。そして、亭主の背後の丘のてっぺんを見つめていると、黒服をまとって行進する男たちの一団が現れた。かれらは善良な男とその家の上に、黒い蝗(いなご)の群れのごとく覆いかぶさった。馬の用意をさせたのは、けして早すぎることはなかったのだ。(同上)

次に彼らが自動車を借りに行く、やはり大佐の友人であるルナール博士の描写はこうだ。

ルナール博士は茶色の顎鬚を生やした朗らかな人物で、フランスがイギリスよりもかえって完全に保存している、あの寡黙な、しかしまことに多忙な職業的階級の典型だった。事情を説明すると、彼は元侯爵の臆病風を笑った。彼は堅実なフランス流懐疑主義者で、無政府主義者の一斉蜂起などということはあり得ないと語った。
(略)
「あなた方はみんな気が狂っているのではないかと思うが」ルナール博士は愛想良く微笑んだ。「しかし、狂ったからといって、友情が絶えるなぞということは、あってはならんことです。車庫へ参りましょう」
ルナール博士は途轍もない富を持つ温厚な人士だった。家の中はクリュニー美術館さながらで、自動車が三台もあった。しかしながら、フランス中流階級の質朴な趣味を有する彼はめったに車を使わないらしく、友人たちはやきもきしながら車を調べてみたが、そのうちの一台が動くかどうかをたしかめるのにも時間がかかった。(同上 第十二章「無政府状態の地上」)

何とかまた間にあって、追っ手がせまる中、間一髪彼らは自動車で逃走する。嵐が来るのかあたりは暗くなり、明かりがほしいと言っていると、大佐がルナールがくれたと言って、古いランプを皆に見せる。

「ありますよ」大佐はそう言って、自動車の床から重い古風な灯籠を取り上げた。それは鉄製で彫刻が施してあり、内側に蝋燭が入っていた。見るからに骨董品で、もともとは何か宗教的な用途のために作られたとおぼしい。というのも、側面の一つに、稚拙な十字架の形が鋳ってあるからだ。
「一体、どこでこんなものを手に入れたんです?」と教授がたずねた。
「自動車を借りたところです」大佐はクスクス笑って、こたえた。「私の親友に借りたんですよ。サイムさんがここでハンドルと格闘している間に、私は家の石段を上がって、ルナールに言ったんです。あの男は玄関に立っていましたからね。『ランプを取りに行く閑はないだろうね』やつは愛想良く目をパチクリしながら、正面玄関の美しいアーチ型の天井を見上げました。そこにこの灯籠が、素晴らしい鉄細工の鎖にブラ下がっていたんです。宝の家にある百の宝のうちの一つですよ。あいつは天井から力まかせにこのランプを引きちぎって、色塗りの嵌め板は割るし、青磁の花瓶を二つも引っくり返しましたよ。そうして鉄の灯籠を渡してくれたので、車の中に入れておきました。ルナール博士は知り合いになって損はないと申し上げたが、その通りでしょう?」(同上)

何やらどこか箴言のように語られる、これらの人々の外見や行動には、すべての価値や法律に関わりなく、自らの価値観に従って、求められた救いに応じる生き方のあらゆる要素が含まれている。前出の「1984年」や「われら」が、どうかするとどこかかすかな滑稽ささえ生むほどに、強大な支配体制の中で怯えつつ絶望的な抵抗を決意する人々の姿を深刻に陰々滅滅と描くのに対し、これらの援助者たちは、まるで神経質でなく楽天的にむぞうさに、無実の人を救うために人生をかけ危険をおかす。実のところ私は『思い出のアンネ・フランク』を読んでいて、ミープのあまりの大胆さにあきれはて、もしかしたら無意識の誇張もまじっていはしないかと超失礼な想像までしたぐらいなのだが、こういういくつもの文学に描かれた「無実の人を援助する人」の神経質なところのまったくない、荒削りと言いたくなるほど大らかなたくましさを見ていると、正しいことや重大なこととはこうやって、きわめて自然になされるのかもしれないと次第に実感せざるを得なくなってくる。
ミープがアンネの一家を助けたのはアンネの父オットーが職場の上司だったからだし、「木曜だった男」の老人やルナール博士は知り合いに頼まれたのだからまだしも、テルはバウムガルテンとは初対面であり、阿新丸を助けた山伏も「ひどい目にあってはかわいそう」というだけで見ず知らずの少年を助けた。天皇一行を援助した男の心情も「何となく痛はしくや思ひ進らせけん」である。他にも、ここにはあげなかったが、甚だしいのは「源平盛衰記」で捜索中の敵だった源頼朝を見逃す梶原景時の場合で、彼は大木の洞の中に隠れていた頼朝と目が合って、相手がとっさに自害をしようと刀の柄に手をかけたのを見たとき、「景時、哀れに見奉りて」と、これほどの決断をするには、その動機はいかにもあっさりとしか描かれない。彼らを動かしたのは、ただ単純な惻隠の情ともいうべきもので、結局はそのような心の余裕のある人が、深刻に悩むのではなく、日常のたたずまいの延長のようにして、こういう決断をするのかもしれない。(註3)

内心の懊悩

だが、それにしても、くりかえすが、そのように自然にとっさの決断を生む、その人たちの日常や、それまでの人生とはいったい、どういったものだったのだろうか。また、誰もがこのように楽天的に本能的に、とるべき道を選んだのだろうか。逡巡や懊悩があったとしたら、それはどういうものだったのか。「ウィルヘルム・テル」がすでに、舟を出すことを拒んだ漁夫の素朴な発言で、「救ってやりたいがこちらも事情がある」心情を伝えているから、時代が下るに従って、と一概には言えない面もあるが、おおむね後になるほど、さまざまな文学はこういった援助者の側の事情や背景を詳しく描くようになる。
日本の場合、比較的早い時期でそれが珍しいほど丁寧に描かれた例は、「源平盛衰記」の頼朝一行をかくまう、ある寺の僧の話である。彼は逃亡中の頼朝たちが逃げ込んで来て救いを求めたとき、「いずれ、この人たちが勝利した暁には恩賞をもらえるだろう」と計算して、彼らをかくまう。

「ありがたき事かな、げに聞き奉る源氏の大将軍なり。いくさに負け給はずば、今いかでか、かやうの法師に『助けよ』と手を合せ給ふべき。忝き事なり。助け奉りて世におはせば、奉公にこそ。」
(恐れ多いことだ、本当に噂に聞いていた源氏の総大将でいらっしゃる。戦いに敗北しなかったら、どうしてこのように、私のようなとるにたらない僧侶に「助けてくれ」と頼むような事態になるだろうか。もったいない、ありがたいことだ。もし助けてさしあげて、源氏の支配する時代が来たら、私はきっと褒賞がもらえるだろう。)

というように彼の行為は褒賞への期待で、憐れみからではない。まもなくやって来た追っ手に頼朝たちの居場所を言えと拷問されると、次のように彼の心はゆれる。

思ひけるは、「人を助けんとて、かく憂き目を見るこそ悲しけれ。何事も我身にまさる事なし。さらば、おちん」と心弱く思ひけるが、やや案じて、「生ある者は必ず死す。我身一つを生きんとて、いかでか七八人をほろぼすべき。(略)たとひ身はいたづらにほろぶとも、此の人々を助けたらば、此の堂をも建立し、我後生をもとぶらひなん」と思ひ返して、
(考えたのは「他人を助けようとして、こんなに苦しい体験をするのはつらすぎる。結局は自分が大切だ。だからもう、白状しよう」と気持ちがくじけて考えたが、また考え直して「人間はどうせ死ぬのだ。自分一人が生き延びるために、あの七八人の皆さんをどうして犠牲にできようか。(略)たとえ私は空しく死んでしまっても、あの人たちを救えたらきっとあとで、この寺も立て直して、私の供養もしてくれるはずだ」と思い直して、)

「何事も我が身にまさることなし」と白状しかけては、思いとどまるのだが、それは「自分ひとりに代えて、皆をほろぼすことはできない」という人間的な信念であると同時に「これで死んでも、堂を立て直してもらえるなら」という現実的な判断もあって、決して単純なものではない。結局追っ手はあきらめて去り、半死半生で放置された彼は、隠れ場所から出てきた頼朝たちの手厚い看護で生き返り、一行はあらためて彼に深く感謝する。
「源平盛衰記」は「平家物語」の各場面を時にややしらけるほどに補充して、登場人物の心理を推量するのが特徴だが、この僧の内面描写(この挿話全体が「平家物語」には存在しない)は、そのような創作態度が生み出した近代小説もどきに複雑でリアルな表現と言えよう。
そして、「ぬれぎぬ」設定を好む江戸の歌舞伎や浄瑠璃は、このような援助者に対してもまた貪欲なまでの関心を抱き、彼らの日常や過去の経歴、またそのような選択をしたことによって変化せざるを得なかった、その後の彼らの運命について、ありとあらゆる奔放な空想を羽ばたかせた。「義経千本桜」の船宿の亭主銀平、「生写朝顔話」の宿の主人徳右衛門、「碁太平記白石噺」の遊女屋の主人大黒屋惣六、「双蝶々曲輪日記」の代官与兵衛など、いずれも安定した生活を送る健全な市民でありながら、不幸な脱落者や逃亡者を支援し援助し、そのことによって時に自分の過去と向き合い、その結果、滅びへの道をたどることもある。
あるいはまた、滝沢馬琴の長編小説「南総里見八犬伝」の神谷靖平一家のように、そうした援助者が主人公たちを救うことをきっかけに非常に大きな存在になり、作品全体を通して大活躍することもまれではない。靖平は、最初はいかにもさりげなく路傍の茶店の主として登場しながら、やがて主人公たちを追っ手から逃がすために獅子奮迅の働きをし、その後も一人で敵の船をのっとり爆破する老妻も含めた一家全員、あれよあれよという間にほとんど主人公格の役柄になってしまう、馬琴は最後まできちんと構成して書く作家だから、最初からこの展開は予定していたのかもしれないが、登場したときに靖平がこんな重要人物になろうとは、読者の誰一人としてきっと予想もできないだろう。

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