映画「ナチス 偽りの楽園」8-映画「ナチス 偽りの楽園」と「風立ちぬ」感想(おまけの2)

◇まあつまり、そういう、少々まちがっても自分の生き方を表現してしまう人は、私はそんなに気にならない。
しかし、芸術家の中には、明らかに自分の思想みたいなものを、ある程度持ち、それで作品も書き、そういうスタイルで生きていながら、かなり慎重にそういうことを表現しないようにしている人たちがいる(ような気がする)。
こういう人たちは、聡明だし善意だし、やることはスマートで魅力的だし、何かそれに似つかわしい思想も持っているかのようなのだが、それがなかなか明確にならない。というか、明確にしない。
芸術家だけではなくて、学者や知識人、政治家の中にさえ、こういう人はいる気がする。政治的見解や思想を持たない政治家なんて悪い冗談としか思えないが、実際そうだからしかたがない。

ときどき、ひょっとしたら、私自身もそうではないかと思うときがあって、かなりうんざりするし、だから職場やいろんな社会活動の場所でも、旗幟鮮明で立場のはっきりしている人たちからは、私は煙たがられたりうとまれたり、時にはけっこう露骨に敵視されたりもする。だから、私が、こういう政治的立場を明確にしない政治家、みたいな存在を気にしたりするのは、近親憎悪みたいなところがあるのかもしれない。
そこそこ、どころではない知識もあるし、もちろん能力もあるし、やることは器用で人気もあるし、カッコよくて進歩的で人をひきつけもするのだが、何かこう「私はしろーとなんですよ」みたいな感じを売りにする。柔軟で身の処し方はうまいが、絶対に譲らないとか引かないとかいうところは何もない。ある意味、これがとことんまで発展したら例の大阪市長になるのかもしれない。

◇具体例をあげた方が絶対にわかりやすいと思うので、五木寛之さんについて書く。…というところで、夜中すぎちゃったので、このつづきは明日にでも(笑)。

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カツジ猫