映画「ナチス 偽りの楽園」5-映画「ナチス 偽りの楽園」と「風立ちぬ」感想

◇実は私は、何も知らないで、このDVDを見たとき、最初に感じたのは「ああ、何てひどい。ひどすぎる」という思いで、たしか声に出してそうつぶやいた。この映画全体の持つ華やかさやいたましさもあったけれど、とにかくゲロンという人が味合わされた苦しみが、どんな拷問にも増して、ある意味ひどいことに思えた。

彼は映画を作ることが、こよなく好きだった。それだから、やりかけの仕事を放って行けなくて、ぐずぐずしてる内に、亡命してアメリカに行く機会を逃したようなものだ。もちろん、才能もあった。だからこそ、ナチスは、この収容所を天国に見せるような「偽りの楽園」映画を彼に撮ってほしいと望んだのだ。
それは、彼にとって、どんなに夢のような幸福だったろう。こんな場所で、また映画の製作ができるということは。そして、それが、どんなに苦しいものになるかは、きっと彼の予想をはるかに超えていただろう。はじめから予想など、とてもできなかっただろう。
彼が映画の撮影の中でそのことを次第に実感し、かみしめて行ったであろうこと、人生において最高に愛した作業から苦しみや嫌悪や絶望を与えられる体験を、人生の最後にしなければならなかったこと、それを思うと私は戦慄する。ナチスでも神でも、彼をこんな目に合わせた存在が許せないと思うほど、想像するだけで、とてもつらい。

◇ゲロンは映画を撮影するにあたって、独断で受諾したのではない。収容所のユダヤ人たちの政府ともいうべき、委員会みたいなものにちゃんと意見を聞いて決定をあおいでいる。そして委員会の出した結論は「生きのびるためのあらゆる努力を惜しんではならない。ナチスの要求を拒否してはならない」だったから、ゲロンは言ってみれば、仲間の許しを得て、お墨付きをもらって、この仕事に取り組んでいる。
だが、生き残った人たちの、彼の仕事に対する意見はさまざまだ。「やむを得なかった」と言う人もいるが、「自分たちはナチスと戦っていたのだ。彼のしたことは裏切りだ」と話す人もいる。収容所の苛烈な体験を生きのびた、それらの人々の表情やことばのすべては深くて重い。どれもが、どちらもが、私には手に取るように納得できる。

仲間たちのこういった見解や心情は、ゲロンにも伝わっていたはずだ。そして、自分の芸が仲間を喜ばせ幸福にすることを誇りとし心の支えとしていた彼にとって、それはこれまでとちがった孤独と苦しみの始まりでもあったろうが、だが何よりも、それ以上に、すぐれた監督である彼自身が、撮影を進める中で、自分のしていることへの迷いや絶望や無力感をかみしめていたはずだ。
ナチスの希望した通り、そして、よい仕事人である彼がそうしようとした通り、すばらしい楽園としての収容所をフィルムの上に創り出そうとしても、そこにはやはり限界があった。ゲロン自身がそのことに気づき悩み、「うまく行かない」と口にしていたとも言う。

出演者には、いかにもユダヤ人らしい外見の黒目黒髪の子どもたちが選ばれたと言う。彼らが楽しげに劇をしている場面の写真が残っている。しかし主役の少年は撮影後まもなく、ガス室で殺されている。そのような中で、映画は一応完成したが、すでにドイツの敗戦は目前で、映画が公開されることはなかった。フィルムも残ってはいない。そしてゲロンは映画の完成の直後、妻とともにアウシュビッツに送られて最後のガス室での処刑者となった。
彼は映画を撮影した功績で殺されることはないと思っていたかもしれないという。しかし、アウシュビッツ行きの列車に乗るときの彼は落ち着いてゆうゆうとしており、動揺した様子はなかったという。何を考えていたのだろう。どういう気分でいたのだろう。最後に撮った映画について、彼はどう思っていたのだろう。
私には、予想もつかない。

◇私は自分の人生で恐れていることはたくさんある。だが、ある意味で最高に恐いのは、自分が何よりも愛している夢や仕事、あるいは自分自身の大切にしている能力や魅力といったものが、私の望まないことに使われ、そのことによって、私がそれらの夢や仕事や自分の能力や魅力を好きになれなくなることだ。
クルト・ゲロンの上に、あまりにもわかりやすく明確なかたちで訪れた状況は、これ以上ないほど完璧に、私のこの心配を具現してくれている。

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カツジ猫