映画「ナチス 偽りの楽園」2-映画「ナチス 偽りの楽園」と「風立ちぬ」感想

◇「ナチス 偽りの楽園」は、ナチスがユダヤ人を収容して全滅させようとした、たくさんの収容所の中でもちょっと特別な、テレージエンシュタットとか言う収容所の話だ。私はどうも、こういう話を聞くと、ナチスがいったい、どういう気持ちで、どういうことを考えてこういうことをしたのか、本気でこういうことが出来ると思っていたのか何なのか、ものすごくわからなくなる。それは、今原発を再稼働しようと言い張る人たちの感覚が、どうしても理解できないのとちょっと似ていて、ほんとに「何考えてたんだろう…ちょっとは、そういうことできるって、本気でいた部分もあったんだろうか…」みたいな、あてどのない気持ち悪さである。でもまあいいや、そんなことは。

あ、ナチスがここで何するつもりだったか、話してませんね。
ナチスはここに、ユダヤ人の中でも最高の芸術家、知識人を集めた。芸能人、芸術家、哲学者、文学者、科学者。そりゃいるよね、いくらでも。全国から否応なしにユダヤ人を引っ張ってきてるわけだから、最高の水準の著名な人が、いくらでも。
そして、そういう人たちの能力をフルに生かした、もう理想的な素晴らしい文化都市みたいな楽園を作った。最高の水準の音楽や催し物にあふれて、誰もが最高に幸福な町。
実際には、もちろんそうじゃなかった。充分な食べ物はなかったし、反抗したら拷問や処刑が待ってた。人数が増えすぎると、さっさと選別して(っていうか、ユダヤ人の委員会自身に選抜させて)余分な人数をアウシュビッツとかその他の、苛酷で死ぬしかない収容所に移送した。
つまりそこは、全然ほんとは楽園なんかじゃなくて、やっぱり他の収容所と同じ地獄だった。

で、話が横道にそれそうで困るが、むしかえすけど、ナチスはどういうつもりで、どの程度本気でこんなもの作ろうとしたのだろうねえ?ひょっとして、実際に楽園だって思ってたんだろうか。そんな舞台装置みたいな虚構の世界を、少しは。
まあ、実際の効果っつうか必要性もありはしたわけで、つまりさすがに当時の世界としても、ドイツ全国からどんどんいなくなってくユダヤ人たちは、どこにどうしてるんだ、どこに消えたんだって疑問は持つわけで、それで、「いえいえ、ご心配なく、収容所で(まあ特別地域だか保護区だかで)こんなに幸せに暮らしてます」って宣伝して納得させるのに、この収容所は役だった。

実際、当時の赤十字が視察に来たときのフィルムもあるんだけど、その視察団っていうのが若い男性一人で、よっぽど赤十字も人手不足だったんかいと言いたくなるが、とにかく彼はころっとだまされて、ユダヤ人たちが美しい町で幸福に暮らしてる姿を見て、すっかり信じこんで帰って、それをそのまま報告した。
いったい、そこの住民も、何かの方法で「これはヤラセです!」と伝えればいいのにと、これもじれったく思うんだけど、たしかソルジェニーツィンが書いてた、旧ソ連のどっかの施設で、視察に来た作家のゴーリキーだっけかに、事実を訴えた少年はそのあとすぐ殺されたみたいな話もあったような気がするから、まあやれないもんなんだろうなあ、そういうことは。

◇その赤十字の若い何とかさんをうまくだませたので、ナチスは味をしめて、もっと大々的にこのインチキを宣伝しようと考えた。ゲッペルス宣伝相がいるように、ナチスは映画を活用するのが好きだしうまい。
で、この収容所の幸福な生活を描いた映画を作ろうとしたんだけど、やっぱりそれはいろいろ難しくて、結局ナチスが監督に選んだのは、収容されていたユダヤ人の一人で、クルト・ゲロンという映画監督だった。

ああ、また長くなりそう(笑)。

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カツジ猫