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イシュトバーンと息子株(2)

だけどまさか、あれ本当にイシュトバーンだったよな。誰かとまちがえていたらどうしよう。グイン・サーガの本は田舎の書庫にあるはずなんだけど、コロナ騒ぎで帰れないからおいそれと確かめられないし。

とにかく「ホークスの3軍はなぜ成功したのか?」は、各選手の描写も短いスペースなのによくできていて、これは私が地元の利もあるけれど、甲斐が入団テストの時、暑い日に重い荷物を抱えて、初めて家を離れてホテルを探して、私もよく知っている天神のバスセンターからとぼとぼ歩いて行く場面なんて、目に浮かびすぎて、かわいそうでかわいくて切なくなる。幸せになってよかったと自分でもアホなほど単純に思ってしまう。

でも牧原は同じ苦労を語っていても、どこか恨みがましくてそこがまたものすごく人間臭くて、強烈に印象に残る。あえて言うなら、この本の中で最も精彩がある。雁の巣が海のそばでロッカーには小さいカニが出て来るとか、選手会でも育成の選手は途中で退席させられるとか、移動のときのバスがきつくて通路に寝ていたとか、とてもリアルで、しかも、育成から支配下になったとたんにサインを求めて来たファンに、くやしかったからサインしなかったとか、大学生との練習試合で相手のベンチから「それでもプロか」と野次られて、くやしさに打ち震えたとか。

柳田も昔スタンドからやじられたら、クソがと思っていたとかどこかで言っていたし、それは皆そうなんだろうとわかってはいるけれど、牧原のそのデリケートさと正直さにはしみじみする前に妙に笑ってしまいそうになるのが、すごく申し訳なくて、困る。だいたい私なんか昔子どもの雑誌でアメリカの大リーガーが、ひどい時代だったからアフリカ系だったのをスタンドから、黒猫を持ち上げて見せながら野次られたって話を読んだのが印象に残ってて(たしか、ごていねいに、挿し絵まであったんよね。男がスタンドで黒猫持ち上げてる後ろ姿のさ)、牧原の言われたことぐらい、しかもベンチで皆が「あれはないわな」「言い過ぎやわな」と慰めてくれたりしたんだし、そんな打ち震えたりしないでいいやんと思うけど、また牧原だとその屈辱にわなわなしてる様子がすごくリアルに想像できそうなんだよなあ。

ごく最近の傑作は、牧原が何かのインタビューで、もうずっと前に千賀と甲斐がノーヒットノーランの試合をした時に二人がひしと抱き合う場面がくり返し流されていたのを、「あの直後、自分も抱きついているんだけど、そこはカットされて放送されない」と言ってたことで、もちろん三人同期の育成だし、つながりの深さも、その気持もわかるんだけど、ほんとにもうようこだわるわよう言うわってため息が出た。

言っておくけど、私はこういうタイプは好きじゃない。近くにいたらなおのこと。だから西田や周東には同情するが、まあ二人はこれまた私なんかに同情されるようなタマじゃないからね、という話はまた。でも牧原には「一回り回って好きになった」とか「球場で悪口のヤジ飛ばしたけど結局グッズ買って帰った」というファンもよくいるから、そういう好かれ方する人なのだよね。
もう、言っちゃうと、ひろーい意味では、映画「グラディエーター」のコモドゥスや、うちの猫にもどこか通じるものがある。日本近代文学の自然主義小説の主人公なんて、もうこんなキャラばっかりで、そういう点ではものすごく日本文学っぽいキャラかもしれない。

こういう人はどこに行っても何をしてても、こういう風なんだろうとは思うけど、でもホークス育成の第1世代を、ひりひりするようなリアルさで伝えてくれるのは、彼のこういう性格としゃべりでなくてはならなかったし、それを描き出した作者の力量だと思う。

それに比べると第3世代の周東の描写などはそれほど鮮明ではない。でもこれはしょうがない。彼に限らないが、育成でも支配下でも、この若手世代は私にもよくわからないところがある。
私は同世代の気持ちだってよくわからないし、同年齢に比較して今の若者がわからないなんて、これまでの人生で一度も感じたことはない。それでも、ホークスで言うと今宮だの柳田だの甲斐だの牧原だのは、まあわかるが、周東の世代になると、今ひとつ予測がつかない。だいたいインタビューで言ってることが、その都度微妙にちがってる気がするのだが、あれは取材する方が予測する答えが来ないから混乱して適当に書く結果なんだろうか。それだけでもないと思うが。

だから牧原が周東にかまっているのを見ていると、何だか洒落本の半可通と息子株を思い出してしまう。いやもちろん牧原は、過剰に人の評価を気にして生きているところ以外は、半可通のようにひどい人間ではないし、ちゃんと実力もあるのだが、それより一見何も知らない無邪気でうぶな顔をして(実際そういうところもあるのだが)、実はけっこういろんなことに通じていて、したたかで食えない息子株と呼ばれる役柄は、確実に周東や同年代の若手を連想させる。安永天明年間の江戸時代って、今と似ているんだろうかね。

わあもう昼過ぎ。いいかげんに仕事に戻ろう。一応これでおしまいです。

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カツジ猫