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地獄にはかなわない

あっという間に映画「グラディエーター」続編の公開がせまって来ました。もう明日じゃないかー!

初編と比べてどうなんだろう。それ以上の出来だったらくやしいけど、そんなはずはないという確信もどこかにあるし、あんまりつまらない出来だったら、それはそれでいやだし、と心は千々に乱れています(笑)。

予告編しか情報はないのだけど、どうやら今度の主人公は、ローマに征服された土地の出身らしくて、それは、初編の主人公マキシマスがローマの将軍として他国を征服しまくってた時と同じことをやってる人が今度は敵役の悪役になってるってことか? もしそうだったらリドリー・スコット監督らしい皮肉だなあ、それも鋭い。

このこと(異民族の征服)については初編のハーケンとの会話でもちょっとふれられてたし、私の小説「呪文」の中でも、かなり大きく取り上げてた問題でもあるのだけど。

そして、ちらっと映った主人公の妻は、何だか革の鎧を着てたような気がするが、もしかして彼女も戦士だったのかな?

コロセウムに水をはって海を作って海戦ごっこをさせるというのは現実にもやってたらしくて、昔、本で読んで、ようやるわと驚いたけど、今度の映画では、それをばっちり見せるのね。そんでもって、トラの代わりにサイがお出ましなのね。まあいろいろと、楽しみです。

私の方も「グラディエーター」関係の小説のシリーズの発刊予定を進めています。シリーズの名前は「砂と手」にしました。下は例によって、挿絵のイラストの一部です。まだお見せしてませんよね? 上が「呪文」、下が「海の歌」の挿絵です。

全八冊の予定です(最初の予定とはちょっとちがう)。各冊の末尾につける宣伝の紹介を、以下に引用しておきます。なお、このホームページの特設コーナーでも一応全部読めますよ。イラストはないけど。

第一冊 ローマ

 紀元前のスペインのどこか。酒場で酔っ払いが語る、シリーズ全体の元となる、ある夫婦の短い話から幕が開く。夫はローマの軍人で、まだ見たことのないローマの文化と正義とを信じて戦っていた。すばしこくずる賢い少年だった彼が、すぐれた哲学者でもある若い皇帝に愛されて、戦士として人間として尊敬される指導者になって行った過去。老いた皇帝の死と新皇帝の即位により、その輝かしい日々がローマへの夢とともに崩壊した時、彼ら夫婦はどうなったのか。

第二冊 戦友

 老いたローマの軍人が、息子や娘に語って聞かせる、かつての一人の友人の話。幸運に恵まれて出世を続け、大将軍にまでのぼりつめたその男は、少年兵だった頃と同じようにどこか無邪気で、一見平凡にさえ見えた。彼の思いがけない没落と、剣闘士としての再生を目の当たりにしつつ、なお、その運命は、思いがけない幸運に恵まれているとしか見えなかった。しかし、果たして真実は? 「これは彼の物語ではなく、私の物語だ」とくり返す父が、子どもたちに伝える教訓と悔恨の告白。

第三冊 皇女

 父も夫も弟も幼い息子も、一時期ローマの皇帝だった。彼女自身が男なら大皇帝になると言われていた。父は名君、弟は暴君。そのどちらをも深く愛して愛された彼女は、幼い日々、駐屯地で知り合った父の部下の少年兵と、反発しつつもたがいに心を通わせて行く。彼女の父に愛された少年兵は大将軍となり、皇帝となる運命にありながら、彼女の弟により、失脚して剣闘士に身を落とす。幼い息子を守りながら、彼女はその中でどのように生き、何を愛したのか。成長した息子は、老いた元老院議員と、母の残した手紙をひもとく。

第四冊 アフリカ

 村を守る、あることばを失ったアフリカの小さな部族は滅びようとしていた。若い女戦士は、とらえた女盗賊に、村に伝わる物語を語る。かつて村の長老は若い時にローマ軍に捕らわれて剣闘士となり、生き延びた。その時に同じ剣闘士としてともに暮らし戦った親友は、もとはローマの大将軍で皇帝にもなるはずの男だった。人間の生きる価値と自由とは何かについて悩み続けていた彼に、若き日の長老は、祖母に聞いたあることばを教えた。後に、村を守る呪文となり、代々伝えられて来たそれは、果たしてよみがえるのか。

第五冊 コロセウム

 森で生まれた狼は、ローマ軍の基地で育てられ、「将軍」と皆に呼ばれる若い軍人にかわいがられて、幸せだった。彼の姿がある日突然消えたときから、狼は彼との再会を願い求めて生き続ける。彼のかつての従僕だった青年と旅をして、大きな都に着いた狼は、そこで剣闘士競技に熱狂する若い女性の一人と出会う。客席から見守るしかない、女性とその友人たちの、剣闘士たちを夢中で愛し続けた日々は、また思いがけない悩みや悲しみにも満ちていた。

第六冊 家

ローマの大将軍として、部下からも老皇帝からも深く愛されていた男が、地位や名誉よりも求めていたのは、スペインの故郷の家と、そこで待つ妻子だった。彼はそこでどのように妻や子どもと暮らしていたのか。またそれを築くまでに、妻との間には、どのような愛と戦いの日々があったのか。新皇帝の暴虐によって、彼らがすべてを奪われた後、かつて息子の乳母として家族に仕えていた老女は、思いがけずそんな過去の甘い危険な秘密の数々にふれる。

第七冊 季節

かつて皇太子として周囲にかしづかれながら、毎日がつまらなかった、ひよわで気難しい少年は、姉の皇女と仲のよかったローマ軍の少年兵と知り合ってから、思いがけないほどの楽しい生き生きとした日々を知る。姉もともに三人で遊びつづけた思い出を彼は今でも忘れない。二人への嫉妬に苦しみ、少年兵をいじめたこともあった。少年兵が皇帝になり、平和な日々が続く中で、彼はそれらを思い出す。これまで描かれて来た事実とはちがう、もう一つの幸せな、ほろ苦い未来。シリーズの最後をしめくくるのは、そのような話もふくめて語り続けて来た、第一冊「ローマ」で最初に登場した酔っぱらいの語り手。彼の人生と心情が、今すべて明かされる。

第八冊 予言

 これまでの数々の物語を生み出す源泉と温床であった、とりとめもない空想の断片の数々。ここには、まだ生まれなかったままの物語の芽もまた限りなく散らばっています。未完に終わった作品「アカデミアにて」は、大学改革のさなかの、そして今でもつづく日本の教育機関の現状を重ねた荒唐無稽で抱腹絶倒のパロディであるとともに、また私たち皆の現実と未来への予感でもあります。私たちの作り出す物語はこうやって新しく次の物語を生み、現実を生み出して行くのです。「あとがき」の代わりとも思ってお楽しみ下さいますように。

ところで「水の王子」も電子書籍、紙本ともにめでたく全冊出版されて、ぼちぼち売れてもいる模様。こちらももっとちゃんと全巻紹介したいのですが、なかなか時間がとれなくて。ぜひぜひお読みになって下さい!

ひとつだけ無駄話を。「水の王子」の最後というかエピローグというか、第七冊の中の「沖と」の中に、津波で避難しようとする村人たちの最悪の状況の中で、誰かが「何という地獄だ」と嘆きます。
 校正のときに、つくづく悩んだんですよね、ここ。古代の話だから「地獄」という観念も存在もほんとはないんですよ。ヨモツクニは死者の国、黄泉の国だけど、地獄とはちがうもん。だから、変えなくてはと思いつつ、どうしても、それに代わるインパクトを持つことばが見つからない。「悲惨」でも「最悪」でも「醜悪」でも、まだ弱い。何かちがう。
 結局、確信犯で、そのままにしました。正確な意味の地獄じゃなくて、これはひとつのイメージだということにして。ことばってねえ、難しい。

これは多分、その場面のコトシロヌシです。彼も最初は目立たなかったけど、次第にしっかり重要な役割りをになうようになって来ましたねえ。

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カツジ猫