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新約聖書の例え話・続き(水の王子覚書24)

私の母は、その昔、戦前に長崎の活水短大に行っていて、当時そこでは国文学以外のすべての授業が英語で行われていたそうな。事実上、留学していたようなものだが、母はむしろ、そのキリスト教一辺倒の(宣教師の女性が作ったミッション系の学校だからそれは当然だが)教育に猛反発し、国文学に傾倒して叔父の板坂元にも勧めたとか言う。それとどこまで関係があったか、戦時中には愛国少女で、アメリカ兵が落下傘で降りて来たら竹槍で突き殺すつもりだったと言っていた。そのまた反動か、戦後は革新政党にしか投票せず、共産党の活動にも、批判しつつも参加して、選挙運動もがんばっていた。

キリスト教を見直したわけでもあるまいが、もともと祖父母の時代から外国人宣教師がよく遊びに来ていた家だったし、私も子どものころはずっと近くの町の教会の日曜学校に通っていた。だから、まあ、うろおぼえだが、聖書は一応読んだし、あっちこっち覚えてもいる。

そんなこんなで、新約聖書を読んだし親しんでもいたが、さほど感動したとか影響を受けたという感じはない。そういう意識さえないぐらいに、平和や愛や反差別などの精神が骨身にしみこんでいると言われればそうかもしれないが、そんな精神は仏教にだってあるにちがいないし、特に聖書からの影響というわけでもないかもしれない。むしろ、洋の東西をとわず、子どものころから読んだ文学作品の影響と思うのが自然な気がする。

新約聖書は、イエスという人の伝記としては、とても面白かったし、イエス個人は魅力的だった。「汝の敵を愛せよ」という教えは、やはり画期的だとも思う。ただ、イエスが弟子たちに説く教えの数々はあまり心にしみなかったし印象に残らなかった。正直、ときどき漠然と、「何でイエスはこんなたとえ話をするんだろうなあ。何がいったい言いたいんだろうなあ。平和とも愛とも別に関係ないじゃんか」と、思ったことがある。

もうあらかた内容は忘れているのだが、今でも何だか覚えているのは、夜中に農場かどっかに不意の客が来たとき、娘たちがとっさに油に灯をともして出迎えられるかどうかがいかに重要かとか、主人に渡された金を増やして持ち帰った家来と、ただ保存していた家来とでは前者の方がずっとほめられるとか、そんな話で、今思えばこれは、共産党とか創価学会とかその他いろんな組織が、仲間を拡大し運動を強化しないといけないということを強調するのと同じ方向の説教だったのかなあと思ったりするのだが、とにかく、そういう挿話の多くが、意味不明のまま私の印象には残っていた。そして、「だから、そなえていなさい。いつも準備をしておきなさい」というイエスのことばのくり返しも、何の納得も理解もしないまま、ただ記憶に残っていた。げに、言葉の力というものの恐ろしさよ(笑)。

「そなえていなさい、いつも不意の訪問者が来てもいいように心をひきしめておきなさい」という、その教えは、後に石川啄木の、ある同志のことを語った詩「墓碑銘」の中の、「されど我には、いつにても起つことを得る準備あり」とも重なり合って、私の心に刻み込まれたのかもしれない。友人とでも家族とでも、ふだんはいつも疎遠でも、別に愛や共感をことばで強調していなくても、ずっと長いことよそよそしく、別の世界で別のことをしていても、何かあれば、必要があれば、それがいかに大切なことかを言われなくてもそれと気づいて、すべてをなげうっても、そのことを最優先して相手の望みに対応する、という、その生き方は、思えば、母と私とが常に守った生き方でもあった。それは二人がそれぞれに他者に対して守ろうとした生き方でもあった。ふだんは近づかない。べたつかない。おたがいの気持ちを口にしない。だが、常にたがいのことを意識し、一朝ことあれば、問答無用で最優先する。

だから母は私のアマテラスだったのだと、今にして思う。

「同志よ、われの無言をとがむることなかれ。われは議論すること能はず、されど、我には何時にても起つことを得る準備あり」(「墓碑銘」より)。それが私たちのモットーだった。それが私たちの愛のかたちだった。どこまで守り抜けたかは怪しいが。

私を愛してくれたらしい人たちに私が抱く違和感や、どこかに残る不信感、その根本をさぐって行くと、結局そこかと思いあたった。

イエスが強調したかったこと、訴えたかったことの真意は何か、今でも私はわからない。
 ただ、いつ訪れるかもわからない訪問者を待ち続け、扉をたたく音がすれば、即座に灯をともして迎え入れ、時には起って、ともに旅立つ、その精神を保持しつづけ、待ちつづけて悔いない生き方を、求められているような感触を、初めて私は味わった。(今思えば、漱石の「それから」の三千代さんも、そうなんだよなあ。)

私は、たとえ誤解でも曲解でも、聖書のイエスのそのことばを、ツマツの亡き父のことばとして、妻のモモソに語らせたいと思った。それを手がかりに、「私への愛や尊敬を公言しながら、いざというときに私を最優先しない」人へのこだわりを、表現したいと思ったのだ。宗教的には、ごった煮すぎる罰当たりかもしれないが、私の中では、完全にこれらはひとつになっている。

イラストは、そんなわけで、イエスに似すぎているかもしれないが、人物紹介用の、「ツマツの父」です。

あと二つ、つけくわえます。

昨日紹介した、わが家にあったイエスの画像については、長くなりますが、こちらでも詳しく紹介しています。

(18)男たちの顔

それから私と母は、私の小さいころから、大学に入って家を出るまで、ほぼ毎晩、ふとんの中で、世界情勢、本の感想、「推し」の噂、その他もろもろあらゆることをしゃべりまくっていたのですが、モモソやツマツとちがって、母と離婚後すぐに亡くなった父のことは、まったく話すことがありませんでした。たがいに特に避けたのではなく、まったく意識の外にあったのです。いやはや父には申し訳ない。今はちゃんと写真を飾って、母と並べてしのんでいます。

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カツジ猫