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国文学史レポート課題「オオクニヌシと八十神」

オオクニヌシという神様が「古事記」に登場するのは上巻である。古事記は上中下の三巻から成り、上巻が神様の世界の話で、中巻以後は神武天皇から始まる歴史上の天皇の話になる。中巻では特にヤマトタケルノミコトの話が面白くて長く、江戸時代もよく読まれている。それほど長くはないが、兄と夫の板挟みで苦しむサホビメの話も悪くない。下巻も引き続き天皇たちの話で、これは欧米の文学などもそうだが、天皇とか皇帝とか支配者一家のワイドショー的ゴシップの数々がわりとメインになるから、万葉集でも何でも、そういう人間関係をミーハーチックに追いかけていた方が、文学や歴史の背景を手っ取り早くマスターできる。時代が下ると民衆が登場して来るから、支配者一族のマニアになってるだけではもう全体が把握できないが、ある時点までは、この方法はかなり有効だ。

で、上巻はほぼ神様しか登場しない神話である。なお、その最後が神武天皇で今の天皇につながる血統で、したがって天皇は神だということにしてしまっているから、これが先の世界大戦では日本の軍国主義と天皇制に徹底的に利用され強制され、ついでに戦争には負けたし、負けた国の宿命で、さまざまな戦争犯罪も明らかにされ、ろくな思い出はなかったから国家も国民もトラウマになって、日本神話にまつわる知識をとことん拒絶してしまった。私はどーでもいいことを言うと、あらゆる戦争は嫌いだし、平和憲法やその九条は守る方がいいと考えているし、南京大虐殺も朝鮮人虐殺も確かにあったし、弁解の余地はないと考えている(ドイツはもちろん、ソ連もアメリカも、いくらでもそういうことをやったというのはわかっているが、そんなことは言い訳にはならない。「よそもやってるから」で許されようとするなんて、ガキか)。ついでに言うと、人の上に人を作れば人の下に人がいることも同時に認めるわけだから部落差別も女性差別も障害者差別も認めることになり、よって天皇制は廃止すべきだと思っている(今の天皇一族の姿勢は評価し歓迎するし好感も共感も持つが、それとこれとは別だ。というか、だからこそ、あのような非人間的で気の毒な存在を作ってはならないと思う)。だがしかし、それはそれとして、こうやって神話と歴史を結びつけたのは、なかなかいいアイディアだったのではないかと思うし、文学と歴史、空想と現実を結合させる点では面白い試みだったのではないかとも考えている。近代にそれが国家や軍部に利用されまくったのは、後世の責任だ。

ただ、それはもちろん考古学をはじめとした学問や科学の研究が自由に行われて、真実が追求され、確認される作業と並行してのことである。これは後に「平家物語」や軍記物の項でも述べるが、空想や幻想の美しさと、真実や現実の認識を、どちらもしっかり守って育てなくてはならない。それがともすれば混乱することを警戒し、きちんと仕分けして楽しむことは私たち一人ひとりの大切な役割だ。
 さしあたり話を戻すと、敗戦や戦争犯罪のトラウマから、日本神話が無視されがちなのは、いかにも惜しい。あれだけ宗教裁判や魔女裁判でひどいことしたのに、キリスト教の聖書関係の伝説は今でもちゃんと大事に残され愛されているではないか。日本神話だってそうあるべきである。
 ところで、ほぼ同時期に作られた日本神話関係の本は「古事記」と「日本書紀」だが、私は後者をちゃんとしっかり読んでないから、そっちのことはよくわからない。ただ定説では「日本書紀」の方が国家の尊厳を意識して上品に格調高く作られていて、「古事記」のほうが登場人物の描写その他が荒っぽいと言われている。そのへんは各自で確かめて見て下さい。

さて上巻の神様の話だが、例によって、めちゃくちゃ大ざっぱなかけ足で説明する。この世界は最初は定まりがなくふわふわどろどろだったが、その中から次第に神様が生まれた。最初の神々は男女の区別のない存在だったが、やがて性別のある神も登場する。その中の男神イザナギと女神イザナミが、下界の支配だか建設だかをまかされて、この世に下って来た。
 二人が最初に生んだ子は骨もなく不完全で失敗作だったが、試行錯誤の結果、いろんな島や神々が生まれた。しかし最後に火の神を生んだとき、イザナミは身体が焼けて死んでしまった。イザナギは悲しみ怒って生まれた火の神を斬り殺し、イザナミの後を追ってヨモツクニに行く。しかし、女神はもうそこの食べ物を食べていて、帰れないばかりか、腐敗した醜い姿を見られて怒り、二人は敵対する関係になった。

イザナミを連れ戻すのをあきらめたイザナギは地上に戻って、ヨモツクニの汚れを落とそうと川で身を清めた。そのときに、左の目を洗って生まれたのが太陽神の女神アマテラス、右の目を洗って生まれたのが月の男神ツクヨミ、鼻を洗って生まれたのが海の男神スサノオである。
 ツクヨミはその後ほとんど登場しない。アマテラスは天上の世界タカマガハラを支配した。しかしスサノオはヨモツクニの母イザナミに会いたがり、その後タカマガハラに行ってアマテラスと対立して和解するが、乱暴をくり返して、怒ったか恐れたかしたアマテラスは天の岩戸に閉じこもる。太陽が隠れて光が消えた世界に困惑した神々は、岩戸の前でアメノウズメがストリップまがいの踊りをして皆が喜び騒ぐのを気にして、のぞいたアマテラスをタヂカラオという力持ちの神様が外に連れ出し、光は戻った。

神々はこのような事態を招いたスサノオをタカマガハラから追放する。地上をさまようスサノオは、やがて村人を困らせてた八つの頭の大蛇ヤマタノオロチを酒を飲ませて眠らせて退治し、蛇に食われるはずだった娘クシナダヒメと夫婦になってネノクニという国の支配者となる(海はどこに行ったのかしら)。

そのかなり後の時代にオオクニヌシが登場する。彼にまつわる話は大きく分けて三つある。
 第一は「因幡の白兎」関係のもので、わにざめをからかって皮をはがれて泣いていたうさぎを救ってもとにもどしてやったとき、彼は「八十神」と言われる複数の兄たちと、ヤガミヒメという女性のもとに求婚に行く途中だった。末っ子だったからか、皆の荷物を持たされて一番後から遅れてついて行っていた。兄たちはうさぎを救わなかったのに、彼だけは助けてやって、そのせいかどうか、ヤガミヒメはオオクニヌシを夫として選んだ。兄たちはこれに怒って、二度にわたってオオクニヌシを殺そうとした。って実際に殺したのだが、母親が二人の女性の手を借りて二度とも彼をよみがえらせ、ここは危険だからと、スサノオのいるネノクニに行かせる。

第二は、そのネノクニでスサノオがオオクニヌシに与えるさまざまな試練。ムカデや蛇のいる部屋に閉じ込めたり、その他いろいろ。しかしスサノオの娘スセリがオオクニヌシにひと目ぼれして災難を避ける方法を教えつづけ、二人はついにスサノオを縛りつけて、いっしょにネノクニを逃げ出す。スサノオは怒りながらも彼らを祝福し、それまでオオナムチという名だったオオクニヌシに、オオクニヌシという名を与える。

第三はスセリとともに暮らして栄えていたナカツクニの村が、タカマガハラからの侵略によって奪われる話。最初にタカマガハラから差し向けられた二人はオオクニヌシに従ってしまい、まあいろいろあるのだが、結局オオクニヌシはナカツクニをタカマガハラに譲って出雲大社に隠棲する。

その後タカマガハラから来たニニギはナカツクニの美しい娘コノハナサクヤと結婚し、三人の子どもを授かる。その時に姉のイワナガヒメもともに妻にするよう二人の父から言われたが、姉は醜かったので断った。実は妹の美しさと姉の不死の力はセットになっていて、姉を受け入れなかったため、それ以後ニニギの子孫につながる天皇たちは神のように永遠に生きることができなくなった。

ニニギとコノハナサクヤの子、ホオリとホデリはそれぞれ海と山で獲物をとって暮らしていたが、あるときホオリ(山幸彦)がたまには入れ替わってみようと提案した挙げ句、ホデリ(海幸彦)の釣り針をなくしてしまう(鯛にとられた)。それで責められて悲しんで海の底の国に行くと、そこを支配していた竜神が歓待して針もみつけてくれたばかりか、娘のトヨタマヒメに愛されて、彼女をともなって地上に戻り、針を返して、やがてホデリを支配する。そうこうする内トヨタマヒメはみごもって出産するが、見ないでくれと言ったのに産屋をのぞいて、竜の姿になった妻を見て驚いたホオリを恨み、自分を恥じて海に戻ってしまう。
 彼女の出産が早すぎたので、産屋は未完成のままだったから、生まれた子はウガヤフキアエズノミコトと呼ばれた。トヨタマヒメは気になったのか、妹のタマヨリヒメをよこして子どもの世話をさせた。その後成長した子どもとタマヨリヒメは結婚し、四人の子を生む。その一人が神武天皇で、これ以後は中巻になる。

レポートのテーマは、「八十神」と呼ばれているオオクニヌシの兄たちのことについて、調査と推測をして下さいということです。いくら戦後のトラウマがあると言っても、日本神話はもちろんいろいろ研究されていて、論文も本も多いです。漫画もあるし、昔は映画化もされました。
 ところが私の見る限り、けっこう重要な役割ではないかと思うオオクニヌシを二度まで殺そうとした「八十神」についての研究はまるでありません。そもそも何人いたかも決められてないし、誰の名前もわからない。ちょっとあんまりじゃありませんかね。

調べたって、おいそれとわからないのは、わかっています。ただ、いろんな漫画や絵本や歌などもチェックして「八十神」がどのように描かれているかを、できるだけ探ってみて下さい。論文や本でも見つかったら、ぜひ教えてほしいです。

そして、あまり詳しいことがわからなかったら、小説やゲームでも作るつもりで、どういう兄弟で、どういう関係だったのか推理してみて下さい。たとえば私が、他の童話や神話や文学と比較したり、本居宣長の「古事記伝」を引用したりして勝手に妄想をくりひろげている書き込みから、一部を紹介しておきます。この書き込みの全文はこちら(私が趣味で書いている「古事記」のパロディ小説についての話は無視してね)。

★★★★★(ここから引用)

で、これらの話を見ていると、いじめられる主人公は、本人がちょっと風変わりとかもあるが、旧約聖書のヨセフにしても「美女と野獣」のベルにしても、「父親から破格にかわいがられていて、それが兄や姉の嫉妬を生む」という原因がある。つまり、「異色の存在」と「親の溺愛」が、理由としてあがっている。

オオクニヌシの兄弟が、彼を憎んだ原因としては、こういう点が参考になるのかなとか思いながら、何事にもやたら細かい本居宣長の「古事記伝」を読んでみた。

宣長に言わせると「八十神」は数の多さを表すだけで、実際にそんなに人数が多かったのではない。そして、この兄弟は「庶兄弟」ともあって異母兄弟なので、「兄弟」はハラカラと読んではだめでアニオトと読むべきだって。また「旧事記」の兄弟数が「一人神(と宣長は書いてる)」としてるのは間違いだとのこと。何人なのかはわからないようだ。

それから、さすがに宣長っちゅうか、最初に兄弟でヤガミヒメのとこに求婚に行くとき、オオクニヌシだけ皆の荷物を持たされて召使い扱いされたことについては、

凡(すべ)て大なる功業(いさお)を立むとする人は、細事(いさゝけごと)にはかゝはらぬから、中々に人の云フまゝに従ふものなればなるべし。(古事記伝十)

だいたい、大きな功績をあげようとする人は、細かいことは気にしないから、かえって人の言うままになることが多いからだろう。

と言ってる。おお、卓見かも。

ヤガミヒメが彼を選んだことについては、因幡の白兎を祀った神社の来歴を引用して、

此ノ言のごとく果して、八上比売(ひめ)をば、大穴牟遅(おおなむち。オオクニヌシの初期の名前)ノ神の得たまへるは、この菟(うさぎ)の霊(たま)ちはひけるなるべければ、まことに神なりけり。(古事記伝十)

この文章のとおりに、ヤガミヒメをオオクニヌシが得られなさったのが、このウサギの計らいだったとしたら、たしかにこのウサギは神と言えよう。

と、慎重だが因果関係を認めている。

その後、オオクニヌシが兄弟から何度も殺されかける不運の原因は、

さて大穴牟遅ノ神の、種々(くさぐさ)八十神の難に逢給ふは、遠祖須佐之男ノ命に帰(よ)れる、黄泉の汚穢(けがれ)の、既に盡吃(つきはて)ぬる上にも、なごりの猶有ルなり、(古事記伝十)

さてオオクニヌシがさまざまに兄弟から苦しめられるのは、かつてスサノオにまつわっていた黄泉の国の汚れがだいたい消えていたのだが、まだ名残りがあったせいで、

と考察し、スサノオのもとで試練にあいつつ、それが完全に消えること、それはスセリヒメの善によるものだと解釈している。えーと、ここはまだ私にはよく読めてないのだが、とにかくそれはオオクニヌシとは関係ない過去の影響ってことだろうか。

なお、オオクニヌシのお父さんの名はフユキヌらしい。この人(って神か)、全然登場しないが、オオクニヌシは殺されかけて二度とも母に助けられてるぐらいだから、「母にかわいがられて嫉妬された」ってことは、アリかもしれないですよね。

★★★★★(引用ここまで。)

なお、他の神話を読んでいる人はわかるでしょうが、「死んだ人を追って黄泉の国に行く」とか「すぐれた支配者はよく浮気をする」とか「火を手に入れるのは大変なことだ」とか、いろんな共通する要素もあります。

どんな兄たちだったかということは少々奔放な空想をしていただいてもかまいません。むしろ、なかなか手がかりがつかめない、兄たちの姿をさぐるついでに、日本神話全体を何となく読んで、知って下されば、それが大変ありがたいです。

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カツジ猫