2026年度前期集中講義用掲示板(1)
「古典文学講義A」の集中講義の予定がせまって来ましたので、いつものように掲示板をつくりました。
これは、コロナが流行した時期に対面授業を補完するためのオンライン授業のために作ったものです。
したがって、最近では、以前ほどは利用していません。
しかし私は非常勤で、研究室での連絡や指導が不十分になることも予測されるので、一応この掲示板を開設しておきます。
最初に、おわびとお願いがあります。
私の体調不良のため、シラバスに書いた「江戸後期の戯作」の資料が充分にそろえられないかもしれません。
そのため、内容を変更して、「江戸時代の歌舞伎」を中心に講義したいと思います。
なお、シラバスで「戯作」を学びたいと思って授業を選択した人のために、最初の4時間を「戯作」にあてたいと考えています。
もし、どうしても、「戯作」で全部の授業をしてほしいという希望者があれば、そちらを優先します。
このことについて、最初の時間に意見を聞きます。
もし出席できない人は、このホームページの「お手紙」欄か、人文事務室、その他の方法でご連絡下さい。

■山本周五郎の作品に関して(特に「正雪記」「樅の木は残った」について)
由井正雪
たとえば、こんな記事もあります。
原田甲斐
大河ドラマ「樅の木は残った」についての記事。
■アリバイ・アイクをネットで検索すると、私の授業ノートが出て来てしまうぐらい、この作品へのまとまった感想は少ない。この人の記事の中に少し長く紹介されている。下の方まで下がって見て下さい。
■博多座歌舞伎の公演案内です。
■「評価」に関する小レポートより(勝手に抜粋してすみません。長く引用してる人のが特に優れてるわけでもないです。どなたのも、面白かったし勉強になりました。)
自分の実力と異なる評価(=過大評価として)をされていると感じています。(略)正しく評価されたい、とも思うのですが、じゃあ正しく評価された場合、人から失望されるかもしれない、自分から人がはなれるかもしれないと思うと、正しく評価されるのも怖いと思ってしまいます。
(アリバイ・アイクの場合)一度知られる(=評価される)と、その評価が前提になる、レッテルが貼られると考えます。変わらないことであればまあレッテルが貼られても困らないかもしれませんが、好きなものこと、嫌いなことものなど変化するものは、相手に知られてしまうと変えにくい、「前はこうだったけど、今はやっぱり…」と言いにくいと感じています。アリバイ・アイクは変わらないこともはぐらかすため、私のこの考えとは異なる感覚であると考えられますが、どこかでレッテルを貼られたくない、と思っていたのかもしれないと予想します。
私は、信頼している人や好きな人が言っていることは、すべてあっていると思いがちであるが、今後はどのような人であってもその人の発言や行動を信じすぎないようにしたい。
どのような評価を行うかは評価者に任せるが、自分がとった行動に見当っていない評価はされたくない。
現在流行しているジャンルの1つに「悪役令嬢」というものがあり、そのストーリーに(ぬれぎぬは)ほとんど使われている。それらについて、私は手軽な設定として使われているように思っていたが、他にも様々な思いが込められているように本日の授業を受けて感じた。
古典的な作品では着せられてしまった「ぬれぎぬ」は、もう明かされることはなく終わるものが多いのに対し、最近は「ぬれぎぬ」をスタートに人生がマイナスからプラスの方向に向かっていくものが多い、ここには現代人と古典の人々とにどのような違いがあるのだろう、何を「ぬれぎぬ」としているのかどう着せられるのかも着目しながら見ていきたい。
しかし、評価は表面上の見えているものからのみ行われることが大半であるため、簡単にされたくないとも思う。評価をすること・されることでそのものへの固定概念が動かなくなってしまうのであれば、「評価」は危険なものであると思う。
学校や仕事などフォーマルな場面では「言い訳がましい人」「自分の非を認めない人」と思われたくないため言い訳は言わないが、友人や家族と話す場面で、自分に対してまちがった評価やマイナスな評価をされたくないため、言い訳を言ってしまう。
私は評価とは自己評価にしても他者評価にしても、自身の反省のために行われるものだと考えます。何が良かったのかどこを改善すればいいのかを確認するために評価は行われ、もしその評価に忖度や誇張が入っていると適切な反省はできません。反省ができないと次に繋げることができず、人は成長することができません。(略)嘘偽りのない評価はより効果的な反省をするために必要であると考えます。
「アリバイ・アイク」は自分でも知らぬうちに、他者からの評価の目から逃れようと、のらりくらりとうそをつき続けているのではないかという解釈は、私自身も理解できた。
私はハッピーエンドや勧善懲悪が好きなので、ぬれぎぬによって苦しむ姿はあまり魅力的とは思いません。ですが、それでも、そこから始まる人間模様や感情の表され方を考えることはおもしろいと思います。
私(板坂)の、とっさの感想
1.皆さん、字がきれいで文章も上手でわかりやすい。さすがに三年?なのか。
ただ、句点と読点は、はっきり書くようにした方がいい。
2.サマセット・モーム「劇場」のヒロイン、大女優のジューリアは本能的に演技だけをして生きている。私はこの小説が大好きで、才能も外見も全然及ばないのに、つい同じような生き方をしてしまう。四月になって環境が変わるたびに、「よし、一年、皆をだませた」と思ってほっとする。ここにもちょっと書いてますけど。
3.ねえ、公式の場では弁解しない、私的な場では弁解する、というのは、もしかしたら逆もありかもしれない。公式の場でこそ、しっかり自分の非じゃないことを言っとかないと世の中がよくならないってことない?あくまで、ひとつの見解で、別に正解とかじゃないけど。
4.正しい評価はほしいけど、自分のも他人のも、どれだけ信じられますか?これもモームの長編小説「人間の絆」では、めちゃくちゃ絵が下手なのに、自分は天才と信じ込んでる画学生の女性が登場する。「赤毛のアン」シリーズを書いたモンゴメリが書いた「エミリー」シリーズ三部作では、信頼していた恋人の偽りの評価で、優れた作品を燃やしてしまい、自分も創作に行き詰まって苦しみぬくヒロインが登場する。そういうの読んでると、評価って本当に難しいです。「劇場」も「人間の絆」も「エミリー」シリーズも皆面白いし、読みやすいので、まあ好みもあるでしょうけど、ヒマがあったら読んで見て下さい。それでレポート書いてくれてもいいですよ。
5.これはただの悪ノリのお遊びですが、そして、そういうことを考えるような小説じゃないのもわかってますが、ちょっと考えて見たくなったのは、アイクことフランク・ファレル(本名ね)さんが、こんな性格になったのは、過去の何が原因だったと思いますか?生育歴?家庭環境?何かのトラウマ?正解なんかあるはずもないから、勝手にとっさに何か想像してみて下さい。何なら次の時間の小レポートに書いて下さってもいいです(別に宿題でも課題でもないから、思いつかなかったら無理はしないでいいですよ~)。ちなみに冒頭だけの試し読みは、ここで。
■舞台映像。これを最初に紹介するべきでしたね。すみません。
五段目は勘平が闇の中で、義父を殺した盗賊をイノシシとまちがえて撃ち殺してしまう場面。六段目は帰宅して、義父の死体が見つかったと聞いて、自分が殺したと思い込み、義母のおかやに責められて、切腹してしまう場面。
ネットで検索すると、いろんな地方の劇団がやってる動画も出て来ます。音も声も、もっとわかりやすいのもあるから、探してみて下さい。ここにリンクしたのは片岡孝夫が勘平を演じているので、紹介しました。
こちらも。
おまけ。
■アリバイアイクのラジオドラマ。あんまりいい出来じゃないし、原作をちょこちょこ変えてますけど、まあ、面影はありますかね。
■小レポートより(「予期せぬぬれぎぬ」関係)
あとで。→(2)に続けます。
■27~42ページの内容の概略
悲惨な場面を見ることについて 「食事の前には読めない本」「将軍の娘」「黒川の女たち」
無実を証明できない理由 「奉教人の死」
自分の潔白さを信じられない 「クローディアスの日記」
責任追求の限界 「ロベレ将軍」「霧の旗」「頭痛肩こり樋口一葉」「虚無への供物」
援助者の存在 「ゴールデン・スランバー」
■霧の旗
■「黒川の女たち」