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おのれを知れ(1)

「断捨離狂騒曲」の最新刊四冊を、叔母の墓のあるお寺のご住職にお送りした。りっぱなお寺を守りながら大学教授で西洋史を研究されているかたで、本を喜んで下さったが、「いろんなものの処理や片づけをなさる中、膨大な蔵書はどうしていらしゃるのでしょう」とも、ご自分の退職とも重ねて、気にして下さった。

まあ、私の書籍に対する基本姿勢は、その四冊の本の中にも書いてあるので、その後読み進められて、ある程度は納得して下さったことと思うが、そのご住職に限らず、研究生活を長く続けた者や、そのご遺族にとって、山のような蔵書の処理は、とても頭を悩ますことの一つだろう。

私は専門分野や趣味やらで、おおむね三部屋か四部屋を、書籍でいっぱいにしている。そして、「断捨離狂騒曲」の新刊にもちょっと書いたが、他のものは死ぬ前にすべて破棄し処理して、残された親族に迷惑をかけないようにするつもりだが、こと書籍に関してだけは、その努力はしないことに決めている。親族であれ他人であれ、残された人たちが、この件に関してだけは、どんなに苦労しようがしかたがないと思っている。そこだけは、死後の未来への配慮をいっさい放棄している。

親しくしていただいていた大先生が亡くなった後、ご自宅のとなりに書籍のための立派な建物を書庫として建てられていて、そこにはぎっしり本が詰まっていた。落成したとき、たしか他の学生や院生と見せていただいたことがある。先生はとても満足して幸せそうに私たちにその書庫を見せて下さった。

お亡くなりになった後、先生の同僚や後輩の研究者たちが、もちろん皆大先生だったから著名な古本屋にも知り合いが多く、いろいろ努力し、よい業者を紹介して(ブックオフとかとはまったく異なる、歴史も伝統もある著名な古書肆だ)、書籍はすべてちゃんとした価格で引き取られたということを聞いた。でも、それでもご遺族の方々は、その価格の安さに驚かれたようだともうかがった。「買ったときの値段を思うと」と感じられたようで、それは私にもよくわかると思う。研究のための書籍の高価さは、私のような独身でさえ生活と首っ引きで決意するものばかりで、ましてやご家族がおられたら、そんなものに、そんな大金を投じるのかと、呆然とし釈然としないほどの散財だろうと思う。

それなのに売却する時の価格は、おそらくその百分の一にもならない。いろんなものを犠牲にして研究生活を支えて来られたご家族には、まったく納得いかないはずだ。
 同僚の一人が私をうらやんで、「僕はまだ給料の全部を本につぎこんだことはないんだよ」と言い、学生に向かって、「買った本のすべてを、いつどこで、どんな思いをして買ったのか全部覚えている」と言ったことがある。私も彼も、まだ研究者としてかけだしの頃だったが、同じ思いは高齢の大先生でも、きっと同じだったはずだ。

それでも古本屋さんに買ってもらえるだけ幸運だ。貴重書も大きな全集も、最近では本屋さんも買わないし図書館も引き取らない。研究者ではない個人の蔵書家で、亡くなった人の膨大な立派な本の処理に困っているという、友人知人の相談もよく受けた。
 こんなに人類や国民の知的財産が粗末に扱われ無価値とみなされ、古紙の廃棄場に立派な本がどんどん棄てられている現状は、きっとどこかでしっぺがえしが来るだろうし、もう来てるのかも知れない。電子書籍がもてはやされる分、紙の本はますます無価値になって行くようだが、それもいつか電気がなくなった時、どんなひどい世界になるかは私には予想できない。せめて私自身の持ってる書籍だけは、死後にどうなろうと、生きている限りは死守してやるというのは、ささやかな抵抗と責任感だ。そう言ってる足元で、「断捨離」新刊四冊に書いたように、田舎の書庫の貴重な本や資料の多くを、片付け好きな親切な方の好意で断りもなくがっさり廃棄されたのだから、我ながら噴飯物だが、そのくらいのことで、私は自分の生き方や信念は変えない。

そうは言っても私の持ってる本なんて、大先生方はもちろん、同年代や先輩後輩の蔵書に比べれば、はるかに少ない。まあそれもあって、死後の誰かに苦労させてもしかたがないと開き直っていたのだが、最近、家や土地の処分なども考えて行く中で、私も少しは死後につながる社会性や親切心が生じて来て、つい何となく、書籍の処理についても一応見込みをつけたくなって来た。

ということで、すみません、後編に続きます(笑)。

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カツジ猫