「あきない世傳」読み上げた
内外(私の)ともに、いろんなことがありすぎて、書くひまもないうちにどんどん日が過ぎてしまうのだが、とりあえず思いつくままに。
高田都氏の「あきない世傳金と銀」のシリーズ、本屋で見るたび、面白そうだけど十三冊もある、こんなもんに手を出したらおしまいだと思ってひかえていた。なのに、何かのはずみで、つい読みだしたらやっぱりとまらなくなった。江戸時代の呉服屋の女主人の話で現代のアパレル産業もこんなんかしらと連想させたり、江戸時代のこともいろいろ描いてあって面白かったり、楽しめたのだが、それはいいのだが。
終盤に近く、主人公の女性は手酷い裏切りにあう。ネタばれにもなるから、詳しいことは書けないが、この裏切るやつがもう、私の大っきらいなタイプだった。べたべた依存して、変に卑屈なぐらい劣等感があって、その実、自信や野心がまんまんで、ヒロインの女性を憧れ嫉妬している。だいたい、冷静に見れば、このヒロインはそう恵まれた生涯を送ってもいない。泣き言言わずがんばっているだけで、見ようによってはみじめな人生でさえある。でもそれが輝いてみえるのは、この裏切り者がまるで何も見てないし、見る気もない卑怯な意気地なしの愚か者でしかないからだ。こういうのに限って変なエネルギーはあるから、始末が悪い。とにかく私は吐き気をもよおすぐらい、こういうやつが好かんのである。
どうせライトノベルみたいな話だから、この裏切り者も、いずれしかるべき、ひどい目にあうのはわかっていたのだが、それを一刻も早く目にしたくて、あろうことか私としたことが、今どきの若者みたいに、そういう場面が出るのを探して、数冊をまるっきり飛ばし読みをしてしまった。というか、ほとんど読んでない。裏切り者がぺしゃんこになるのを、とにかく見たいだけの精神で読み飛ばした。
そして、そいつがひどい目にあって消えるのは、ラストから数ページ前だった。
つまり私はそこを見たいばっかりに、終盤数冊を読む楽しみを失ったことになる。
作者として、これは成功なのかその反対かしらないが、とにかく、人を憎むと小説の中でさえ、あまりいいことはないというのが、よくわかった。
その報いでもあるまいが、十数年、びくともしなかったカタログハウスで購入した読書用のライトスタンドの電球が切れてしまって、ベッドで本が読めなくなった。しかも、その電球がもうなかなか売ってなくて、近くの量販店では手に入らず、すったもんだの果てにようやく製造元に頼んで送ってもらった。新しい電球はいやに明るく、本も読みやすくて、まあめでたしめでたしではあるからよかった。
それからじっくり数日かけて、読み飛ばした分をしっかり読んで、ようやく昨日あたり読み上げた。ふう、面白かった。出来すぎた話のようだが、女主人公の経営方針が一貫してぶれていないのが逆に説得力がある。
明日からサミットか。昨日だったかのラジオで、何かの記者会見でバイデン大統領は原爆投下について謝罪するのかとどこかの記者が質問して、その予定はないと政府の誰かが答えていた。二度ほど、その話を耳にしたが、それっきりぱったり聞かない。
そりゃ私がここ数日言ってるように、これだけ広島で原爆でと話題になってたら、当然原爆落とした者の謝罪や責任に話が及ぶよなあ。あんな質問、日本の記者はようせんだろうから、外国の記者だったのかもしれないが。
ジャニーズのセクハラ問題が、いたましいとも、おぞましいとも言いようがなく、告発した人たちの勇気に感謝せずにはいられない。だが、どうやら今日の市川猿之助一家の死亡も、似たような事情がからんでいるのかもしれないと聞くと、もう何をか言わんやである。いろいろ、いっしょにはならんだろうが、プロ野球の山川選手の事件も、私は彼がそんなにきらいではなかったから、自分はよくよく人を見る目がないのだなとあらためてうんざりする。
写真は七夕までに、とりあえず窓辺に飾ってる、ブリキの星。