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「いつかの夏」感想

「いつかの夏」をぼちぼち読み直しています。完璧なぐらい悲惨な事件なのに、被害者の立派さと加害者の悲しいほどのアホさが、さわやかで力強い感じさえするのは、作者の力量か、被害者の力か。

事件を知ったときから、大の男三人に長時間監禁されながらレイプを許さず、暗証番号を明かさなかった被害者の女性に敬意しかなかったのですが、あらためて詳細を知り、被害者と母上の歴史を知ると、納得とともに、その敬意が強くなります。特別ではないのかもしれないけど、きっちりと、しっかりと、悩みも迷いもしながら生きて人生を築いて来た人の充実と輝き。

読者のコメントを見ると、「加害者像が追求されていない」「被害者によりそい過ぎ、感傷的過ぎ」という批判も時にありますが、まあそれは別の物語として書かれるべきなのかもしれないけど、書く価値がないほど内容ないのじゃないかという悪い予感もあったりして。

わかっている事実を見るだけでも、この犯人だか加害者だかは、本当にすることがすべてお粗末で情けない。被害者のていねいにきっちりと織り上げられた人生の強さと見事さは、たとえ、ここで断たれても、なお見惚れるほど素晴らしいのですが、それに比べて、この男たちの人生はもう何というか、見ていて気の毒で、つい同情したくなるぐらい。

もちろん読者コメントにもあるように、加害者のことは、ほとんど書かれてないのですが、あのね、被害者の最期に、彼女の生き方の集大成と総決算が輝いて示されるように、加害者たちも、この犯罪を見ただけで、たいがいのことがわかるんじゃないでしょうか。ある意味、犯罪者にとって殺人は作品なんですから。

被害者の彼女が立派で圧倒されたというのもあるでしょうが、少なくともこの三人は、彼女を苦しめて殺すのを楽しんではいないわけですよ、どう見ても。明らかに、読んでいて下手すると笑いそうになるぐらい、必死で早く殺してしまいたいと思って、一生懸命がんばっている。そしてもちろん、彼女の方からしても、同じ殺すならさっさと手際よく殺してほしいわけですよ。殺すのを長引かせて誰も得をしないし喜ばないわけですよ。後で聞いたり読んだりする私たちの不快さも含めて、ほんとに誰にもプラスにならない。

なのに、差別発言かもしれないけどさ、大の男三人で、きゃしゃな拘束した女性を殺すのに、ハンマーで四十回も殴るなんて、いろいろもう、アホですか。しかも前にも強盗やってご夫婦を殺し、高齢者も殺しかけた(まあそれも殺せなかったんだから不手際だわな)経験値は全然生かされてないじゃないですか。本当に強盗も殺人もせっかくやるんだったら無駄にしないようにしないと、何の教訓も活かせてないんじゃ、殺された人も浮かばれない。

もう、不謹慎を承知で言うと、殺されながら、彼女あきれて笑ってたんじゃなかろうか。バカにしてたんじゃなかろうか。こんな無器用で何するにも下手くそなアホどもに殺されるのは不本意だと残念がってたのじゃなかろうか。そんな気にさえなって来ます。
その前の、暗証番号聞き出す脅迫だって、私はそりゃ拷問にも洗脳にも明るくないから知らんけど、そしてまた、彼女が立派すぎるし手強すぎるのもあるんだろうけど、加害者たちは圧倒的な優勢を保ちながら、することが下手すぎで、甘過ぎで、結局成功していない。それどころか彼女が告げた偽の番号に暗号しこまれておちょくられてる。

彼女がその番号を告げるとき、「かわいそうなほど震えていた」というんですが、それはまあ人間の身体は意志と関係なく勝手に反応するからね、震えたかもしれませんが、彼女の演技であったかもしれないとまで思いたくなりますよ。ここまで加害者がバカだったら。
また不謹慎なこと言いますが、あの世にCIAやKGBがあったとしたら、幹部がスカウトするのは、絶対に彼女であって、彼らじゃない。

だから、裁判で弁護側が言ったという、加害者の主犯が「優しくて更生の見込みがある」という言い草も、私は根底から否定はできんのよね。この加害者たちは無理なことはやめとけというぐらい、犯罪が下手で殺人が下手で、いわゆるシリアルキラーとか(私はその定義だって全面的には信用しないが)には見えんもの。ただただもう、ちっぽけで間抜けで情けない。

昨日書き散らした、医療辞退のカードもそうですが、共通してるよね、重要なことしようとしてるわりには、力不足もいいとこの、やることの間抜けぶりが。
私はこういうど素人の仕事というやつに一番うんざりするんです。怒ったり恐れたりする前に、ただもう、うんざりするんです。あ、今日「極主夫道」の新刊が出るんだったな、買って来よう。

被害者の女性の歩んだ道と紡いだ日々は、それに比べて、本当に緻密で精巧で力強くて、たとえ中断されたにしても、その価値も魅力も変わらない。
どの部分も胸を打つのですが、私は特にさりげない関係でクールに結びつく高校の生物部の少女たちとの友情が震えるほど好き。コミックか小説にあるような、まだ完璧には誰にも描かれてないような、最高の世界がそこにある。
そして、その仲間たちと愛読していた小説の中のひとつが「十二国記」だったと知ったとき、深い衝撃のようなものが走りました。
「十二国記」には、高校生ぐらいの少女たちもふくめた、登場人物たちが命をかけ智略をつくして戦う場面が数限りなく登場し、中には敗れて死んで行く優れた脇役も、あのシリーズには多かった。

私は何を賭けてもいい、死の前の時間に彼女を支え、力づけ、思い出して策を練るのに使わせたのは、きっとあの物語です。そこで戦う男女、絶望的な状況の中であきらめず敵と戦い希望をさぐり、未来にかける登場人物の姿を彼女はきっと自分に重ねていた。
だからこそ、英雄のように彼女は振る舞えたのだと思います。
彼女を殺した男たちは、お粗末で低級なものでさえ、物語を持たずに生きていた。彼女はきちんとしっかりと、自分の物語を紡いでいたのです。生きる間も、死ぬときも。

ああ、そう言えば「聖の青春」の破天荒な主人公も、少女漫画を愛読し、萩尾望都と大島弓子が好きだった。
文学や芸術は、いつもそうして、そのように、人を支えて、人生を創るのだろうとあらためて思い知らされます。

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カツジ猫