「ダウントン・アビー」断想(9)
「画面には登場しなくても、何となく気になって、どんな人か見てみたくなる」人物としては、他にも次のような人たちがいる。
パットモアさんの甥、アーチボルド・フィルポッツ。
このドラマには、第一次大戦の生み出したあらゆる悲劇も描かれている。屋敷の料理長の愛すべき婦人パットモアさんの甥は戦死するが、詳しい事情がわからないので、調べてみると、正確には戦死ではなく、敵前逃亡して脱走兵として銃殺されたのだった。そのために、戦死者の慰霊碑にも名前を刻んでもらえない。パットモアさんにとっては、大変な衝撃であった。
もちろん、これは大きな恥でもある。周囲もそれを気遣って、むしろ秘密にしてくれる。しかし、印象的なのはパットモアさんは、恥じてはいるかもしれないが、それよりも「信じられない」と言い続けることだ。「徴兵される前に自分から志願して国のために戦おうとしたあの子が、敵前逃亡するなんて、よっぽど恐ろしいことがあったんだ」「志願して戦いに行ったあの子の死が無駄になるし、意味がないものにされるなんて」と、甥への信頼と、その志を黙殺し無視する者への怒りを隠さないし、理不尽を感じ続ける。
彼女のこの思いは伯爵の暖かい配慮でかなえられ、救われたかたちになる。しかし、身内に脱走兵が出たことをひたすらに恥じ、そんな汚名を家族に与えたことに対して甥を恨んだりする人だっていただろう。どこの国でもそうだったろう。
パットモアさんはそうではない。彼女は甥の勇気も誠実さもかけらも疑いはしなかった。「よっぽど恐いことがあったんだ」「逃げ出すような子じゃない」と思い続ける彼女を見ていると、私たちも自然に、彼を信じたくなる。何があったか詳しいことはわからないし、「志願した」という以外には、彼の人柄を示す資料も情報もまったくないと言っていい。だが、つい、「どんな若者だったのだろう」と思ってしまう。
ここでもまた、パットモアさんは、その手がかりとなるような、エピソードも思い出も写真もまったく私たちに伝えてはくれない。ひたすらな嘆きと怒りと信頼をくり返すだけで、そんな自分を通して周囲にも私たちにも彼女は甥への関心と好感を生み出す。俳優の演技にすべてを託して、他の説明を加えない、このドラマの手法である。
ちなみにこの甥は「フュージリア連隊」所属だったそうで、それを聞くとつい「ドリトル先生のキャラバン」で歌姫のカナリアピピネラが軍隊で飼われていた時に作って歌っていたという、
「私は小さいマスコット
羽のあるフュージリアの兵隊さん」
の歌詞を思い出した。そんなに伝統ある軍隊だったのね。
同じく戦争つながりでは、侍女オブライエンさんの弟もいる。この人は名前さえ出て来ない。ただ、オブライエンさんは、トーマス・バローと並んで、ドラマの当初から野心家で悪企みに余念がなく、周囲に不幸や不和をまきちらす悪役である。主役たちをあの手この手で常に苦しめる存在であると言っていい。
しかし、この二人もそれぞれ単純な悪役ではなく、時には対立もするし、思いがけない側面も見せつつ、変化もして行くというところが、このドラマの見事さである。オブライエンさんに関して言うなら、彼女がそういう思いがけない面を見せる大きな一つは、戦争その他の人手不足で急遽採用された従者ラングへの、計算などない思いやりである。
ラングは負傷して戦場から戻ったのだが、身体より心に傷を受けており、それから立ち直ることができない。結局職務をまっとうできずに辞職する。
最初はいつもの意地悪な口やかましい同僚の面をちらと見せるが、その後すぐオブライエンさんはラングの縫い物の腕をほめ、それを教えた彼の母親を評価する。そして、彼の心の傷にも気がつき、ずっと彼を支えてはげまし、辞職後にバローが彼の批判をしても相手にせず不快感を示す。
彼女はラングの戦場でのPTSD(精神的な外傷)に気づいたときに、こう話す。「わかるわ、私の弟も同じだったから。私のことをとても好いてくれていたの。戦場から帰って、苦しんで、結局また戦線に出て戦死した」
ラングは、自分の苦しみでいっぱいいっぱいだから、オブライエンさんに救われているにしても、しかとした反応はしないし、弟のことを聞き返したりもしない。オブライエンさんのこのつぶやきも、ほとんどなかばひとり言でしかないない。それだけに、彼女がいつもとまったくちがう、裏表のない暖かい優しさをラングに示す背後には、彼女を慕って愛した弟と、彼を救えなかった悲しみがひたひたとあふれる。
どんな姉弟だったのだろう。どんな弟だったのだろう。戦争前の二人が幸福でいる姿を、何だかとても見たくなる。
オブライエンさんは策士だし、人の心をもてあそぶ。たとえば同性愛者のバローを危機に追いこむために、若い下僕のジミーを利用するときなど、あまりにも手の内で転がすので、さすがにちょっと不自然に見えるほどだ。しかし、考えてみるとオブライエンさんは、こうした若い男の子の扱いにとても慣れているのかもしれない。それは、彼女を慕い彼女も愛した弟の面影を、彼女がそういう未熟な弱い若者に重ね合わせられるから生まれる能力なのかもしれない。
うむむ、「出て来ないけど、気になる存在」、あとはもう、ほとんどいないんですが、長くなったので、もう一回だけ延長します。お許しを。