「ブラック・スノウ」を読んで(1)
何を血迷って、この忙しいのに、こんな分厚くて重くて内容もびっちりつまった本を買ったんだろう私は、と思うんだけど、多分、日本の原爆投下について書かれているとわかったからだろう。それもアメリカの人が書いてて、ドキュメント風のもので、これは今までに読んだことのない新しい視点や情報が得られるかも知れないと、思ったからなんだろうなあ。
研究者の習性なのかオタクのサガなのかよくわからんけど、何かをかじると、それに関することを、とにかくとことん知りたくなるのよ。自分の専門の国文学研究以外だと、基本的には雑だし完璧ではないんだけど、何となくそのクセが抜けない。

で、結局長いこと、ベッドの枕元におきっぱなしていた。あのね、年をとって体力がなくなると、寝転がってあおむけになって、本を長時間読みふけるということが、できなくなるのだわさ。腕の力が弱くなって、文庫本ならまあいいが、ハードカバーの厚い本なんて、重くてずっと持ち上げてられない。
しかしながら、ベッド回りがあまりにも散らかってきたので、片づけるにはこれも読んでしまうしかないと思って、少し前の夜から突然読み出した。たしかに歯ごたえのある本だったが、事実をきちんとまとめているだけだから、読みやすいっちゃあ読みやすく、わりとあっという間に読めた。
と言っても原爆投下のことは、最後の十分の一ぐらいしか書かれていない。ただ、なぜそこに至ったかという成り行きが、それこそ日米両方の資料を駆使してていねいに書かれているから、広島長崎の悲劇に向かって、人類が着々と歩いて行く、その道筋がよくわかるから、言い方は変だが、主役はやっぱり原爆投下だ。これまで誰も書かなかったぐらい徹底的に、そこまでの悲劇にいたる花道!?が、綴られている。
それにしたって、冒頭からほぼ半分ぐらいまでが、聞いたこともない米国の政治家やら軍人やらの勢力関係や組織の対立や、その他いろいろが細かく書かれて、その意図も方向も、わかっちゃいるけど目が回る。昔の長編ロシア小説でも読む要領で、適当にぶっとばして、要するに戦争ってのは平和のときと変わらないかそれ以上の、権力者たちのごちゃごちゃなんだなということだけ把握して、読み進めて行って、本の半ばを過ぎたころ、身近な実感としてナマな感覚で浮かび上がってきたこととは、「何でそこでやめなかったんだ」という実感だった。まずそれを、まぎれない自分の意識として、意識した(笑)。
その少し前、テレビの「バタフライ・エフェクト」で、日本の海軍と陸軍が対立してはりあってたばっかりに、情報が共有されず、まちがった方針が選ばれ、双方ひくにひけなくなって、どんどん救いのない敗戦に突き進んだ(そして、その軍隊式縦割り構造はそっくり戦後の会社経営や社会構造にひきつがれ、今も何も変わっていない)という図式が鮮やかに描かれて、見ながらずっと「そんなことじゃないかとは思っていたけど、それにしたってバカなのか」といらだってしまったのだが、「ブラック・スノウ」が描く米国の政府や軍隊ももうちょっとましか、少しはちがうか知れないが、基本的にはその図式が、もっと入り乱れてからみあって、そのごたごたの中で、とにかく敵と味方の人殺しが進んで行く、というのは、まったく似たようなものだった。私の受け止め方やまとめ方が未熟でおおざっぱすぎるのかもしれないが、見る人が見れば、もっとちがいや問題点がみつかるのかもしれないが、要するにそーゆーことだという全体の印象は、まちがってないはずだ。
このあたりで本は半分あたりまで来ていて、話は東京大空襲をはじめとした、各都市への空爆がたけなわになっている。日本もそこそこ善戦してはいるけれど、そこはもう米国の力の強さが明らかになりはじめていて、日本は防ぐすべがない。このへんの空襲下の町や人々の被害のさまは、最後の原爆投下の描写よりも、はるかに細かく長く記されて、そうか東京をはじめとした各地の空襲は、こんなに悲惨で絶望的なものだったかと、あらためて、いや初めて実感した。「火垂るの墓」その他の文学や映画やドラマで何度も見ていたけど、それだけに、慣れてしまって、あまり切実に感じてなかったと気がついた。
この空爆の描写がものすごく長くて詳しいのは、その前に米国の政府や軍部で、「一般人を攻撃するのはよくない。そんなことをしていいのか」という議論が相当あったということもある。これまた私は、何となく知識で知ってはいても「民間人を攻撃することは許されない」という、近代戦のモラルや常識が、米国だか各国だかでは思ったよりずっと定着し、抵抗があったのだと、あらためて、初めて知った。そんな逡巡や激論を乗り越えて、日本への空襲を米国は選択したのかと、見直したわけでもないが、そうか、それはやっぱりとんでもないことだったのだなと気がついた。
今のガザやウクライナで、行われていることを見ると、民間人の殺戮など、普通過ぎることになってしまっているが、少なくとも、日本への空襲を決行するまでに、米国政府や軍部は、そういうタブーを感じていたし、それを乗り越えたのだなということが、長々しい記述を読み飛ばしながら、実感としてしっかり残った。
そこまでしなくてはということになったのは、多分「日本は決して降伏しないから、こうするしかない」という論理と実感だったのもわかる。そこで私が、このあたりを読んでいて、初めてナマな実感として感じたのは、「何でもう、この時点で降伏しないんだ」という日本政府か軍部か天皇か国民かに対する、怒りだった。これだけ空襲されて、これだけ勝てそうになくて、何で最後までがんばろうとか思っちゃうんだ、この時点で降伏しとけば、沖縄戦もなけりゃ、原爆投下もなかったんだぞと思うと、ひたすらに腹が立ってしかたがなかった。まあ、この本がそういう風にしむけた書き方をしてるのかもしれないが、この細かい事実の積み重ねを見せられると、やっぱり、その怒りがこみあげてきてしまう。
今こうやって書いていると、けっこういろいろ思い出すのだが、実は最初にこの本の感想を書こうとしたとき、私は一番印象に残った二つのことだけ書いておしまいにしようと思っていた。その二つが一番、結局、記憶に残ったからだ。長くなるから、それは、続きに書くことにする。