1. TOP
  2. 岬のたき火
  3. 日記
  4. 「ブラック・スノウ」を読んで(2、これでおしまい)

「ブラック・スノウ」を読んで(2、これでおしまい)

(1)の最後に書きましたが、私がこの分厚いみっちり中身のつまった本を読んで、一番記憶に残っているのは、次の二つなのです。

本はそばにあるけど、全部記憶で書くので、まちがってるところもあるかもしれませんが…。

一番目。東京大空襲や、いくつかの空襲で多くの町が壊滅し、住民が路頭にさまよってるとき、昭和天皇(今の上皇さんのお父さん)が、被災地を見て回るんです。もちろんお供を連れて堂々と馬に乗って。
 この本は、当時の日本人の(早乙女勝元もその一人)手記や日記をていねいに読んでいて、また当時日本にいた外国人の書いた記録も読んでいて、そのときの天皇や迎える国民の様子をかなりきちんと再現しています。

で、天皇の反応や、言葉や感想が、何も残っていないのです。もちろん会見とかもしてないし、お言葉とかもまるでない。表情や態度さえも記録にない。
 要するに、何を感じて、考えていたかが、まるっきりわからないのです。

(あのね、これは無駄話なのですけど、私が小学校のころ、妙に愛国心を訴え、天皇をたたえる映画が、大作としていくつも出来たのですよ。一番有名なのは、「明治天皇と日露大戦争」ってやつで、嵐寛寿郎が天皇を演じていた。同じような作品が他にもいくつかありました。私たちは先生に引率されて、村の小さな映画館に、その映画を授業の一環として、多分全部、見に行きました。あれって何だったんだろう。アベ首相が目の敵にした戦後レジュームのまっただなかで、週刊誌も新聞も猫も杓子も、戦争を反省し民主主義を称えていた時代なのに。先生たちも多分全員日教組だったはずなのに、何を考えて生徒を連れて行ったのかなあ。謎ですね。

でも、映画はそれなりに面白かった。私たちはたとえば戦闘中に日本兵が旗を敵に奪われまいと、死の間際まで死守しているのを、旗がそんなに大事だとわからず、「死ぬ前に旗にさわりたいと、皆でとりあいっこしてるんだろう」と思っていました。でも、私は戦争にまつわる美談や挿話を、あれらの映画でほぼ覚えたし、皆で放課後の校庭で、映画の真似をして戦争ごっこに熱中していたもんです。
 その中で私が記憶にのこる場面があって、それは、どの映画のどの天皇かは忘れたけど、兵士や国民のけなげな姿を目にして、思わず涙ぐみ、側近に、「あれを見よ、あれを…」と言いかけて声をつまらせるという映像でした。
 それが記憶に刻まれていたからでしょうが、私は何となく、支配者というものは、国民や兵士の苦しみやけなげな姿を見たら、ああいう気持ちになってああいう反応をするもんだとどっかで思っていたようです。
 実際の天皇を見たのは、それも学校から引率して駅まで行って、長いこと待って、列車で通過していくのを見たのですが、遠目だったし、特に何も印象に残っていません。その映画の映像の方を、天皇のあるべき姿として、覚えこんでいました。
 だから、その時の反応も発言も何も残っていないというのは、驚いたし、意外だったし、ちょっと無気味でした。
 いったい何を考えていたのでしょう。ズタボロの町と臣民を目にして。ショックか失望か哀れみか怒りか、何を感じていたのでしょう。)

実際にはこれ以後ずっと天皇は、戦争をやめようとしません。勝利をめざして、戦いを遂行させます。回りも誰もそれをとめなかった。そして、南の島でも沖縄でも大勢の兵士や市民が死に、空襲と原爆で多くの人が死につづけた。

何で、ここでやめなかったのか。勝てると信じて、万一の逆転に賭けたのか。そうとしか思えないけど、ああもうそんな。

この本は、天皇を迎える民衆の反応についても書いています。歓迎や感謝の声は上がらない。かと言って糾弾や反抗の色は見えない。ただ無表情で無反応だったと。
 それは抗議などしようものなら、即投獄や死刑だろうから、どんな態度も示さない国民の気持ちもわかる。もう政府や支配者を信じてはいない。でも、それを示すにも疲れすぎていて示せない。でも、これもまた、恐い。わかるけど、でも、とても恐い。

いっさいのどんなメッセージも発しない支配者と、ボディランゲージですら、何も表現しない国民。天皇も天皇だが、国民も国民だ。こうなるともう、軍部も天皇もだが、国民もいいかげんアホだと思いたくなる。大勢の戦死も原爆も、結局は天皇に「こりゃもうだめだ、国民は使い物にならない」と、あきらめさせられなかった国民の、因果応報、自業自得じゃなかろうかとまで、イラツイてくる。

(当時の天皇が軍部の傀儡だったとは、この本を読む限りでは、とても思えない。母はよく、「あなたたちは当時の天皇の権力の凄さを知らない。天皇がやめろと言ったら、誰も反対なんかできず、すぐに戦争は終わったよ」と言っていた。彼はとことん、自分の頭で戦争継続を選び、徹底抗戦を強いた。その責任は決して薄れるものじゃない。
 ただ、その決定は本当に、まちがっていたのか?となると、そこは私にも確信がない。

天皇の責任を絶対に許さなかった母は、一方でベトナム戦争でアメリカが苦戦しているときに、まじめな顔で私に向かって、「今考えると、私たち日本の降伏ははやすぎたかもしれないね。ベトナムは、あんなに粘って、耐えて、戦いつづけてるんだもの。あれ見てると日本は早く諦めすぎたような気がする」と話した。私はあきれて、しかとした返事をしなかったが、今考えると、それはそうかもしれないという気がしないでもない。まったく、そこはどうなんだろう。
 母は戦時中は軍国少女で、戦後は一貫して共産党や社会党を支持し、戦争反対の活動を続けていた。そこは一度もブレなかった。でも、そんな中で、「あんた、イスラエルはろくなもんじゃない。ヒットラーは結局正しかったんじゃないかね」とか言って、私の腰を抜かさせた。そして今、イスラエル軍とネタニヤフがガザで行っている行為の数々を知らされると、母の言っていたことが、そんなに途方もなくもないような気がしてくるから恐ろしい。)

どんどん長くなるから、二番目はかんたんに、かたづけます。
 日本がなかなか降伏しないのに業を煮やしたアメリカが、民間人の犠牲もやむなしと決断して空襲や原爆投下にふみきるまでは、それなりの議論も逡巡もあったことは、前に書いた。それは、そのような方針が実行され始めてからも、やはり「残酷過ぎる」「許されるのか」と忸怩たる思いを抱いた人々も多く、原爆投下に携わった兵士の心にも深いトラウマを残している。

そういう議論の中で、常に、民間人の犠牲もやむを得ない、とにかく日本をたたいて勝利しなければ、と言い続け、その方針を最後まで貫いたのはルメイという人だった。彼は妻と娘を愛し、手紙を欠かさないよき夫で父だったのだが、日本の一般市民を殺すことについては、まったく疑問もためらいもなかった。雑な言い方をすれば、結局は彼の発言や信念や行動が、空襲も原爆も実現させたと言ってよい。

そういう点では人間として許せない人物であり、私は別に愛国心がある方ではないが、やはり日本人としては、そうそう虚心坦懐につきあう気分にはなれない。

驚いたのは一九六四年に日本はこの人に「外国人に与える最高の勲章である」勲一等旭日大綬章を与えている。航空自衛隊の創設に功労があったかららしい。国会では批判が強かったが「過去は過去として」と時の首相は押し切ったらしい。それにしたってバカすぎる、いったい誰だと思ったら、佐藤栄作首相だった。やっぱりね。私はこの人がノーベル平和賞を受賞してから、ノーベル賞というものに、まったく価値を感じなくなって、それは今被団協が受賞しても、変わらないぐらいだから、まあ意外ではない。

以上です。まあとにかく重量級の本ですから、あっさり読めとも言えないのですが、でもいろいろと、ずっしりためになる本ではあります。

あーれー、もう夜が明けてしまった。昨日は重労働をして、ゆっくり寝ようと思っていたのに。映画「オデュッセイア」の感想の続きも書きたいのに、これでは身体が持たないよう。

Twitter Facebook
カツジ猫