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「才女の運命」補足

前回の話の続きです。出産場面の描かれ方について。

とはいえ、私は日本のドラマや映画をほとんど見ていないので、ひょっとしたら、昔ながらの「便所のブラシ」的出産場面も、まだまだそこそこあるのかもしれませんが。(ないことを祈る。)

しかし、たとえば、少し前の「セックス・アンド・ザ・シティ」の映画版なんかでも、あれだけ家族と子どもを望んでいたシャーロットが、やっと生まれた赤ちゃんが泣きまくりなのに消耗しきって、育児が不幸で、そんな自分に自己嫌悪を抱く、なんて描写を、きっちり描いてくれている。そんなにちゃんと見てるわけじゃないけど、いまどき、結婚式や出産場面イコールハッピーエンドなんてドラマや映画は、そうそうはない。それはむしろ、苦難と冒険の始まりでしかない、ひとつの通過点にすぎないし、まあ事実そうでもある。

前にざっと紹介した『才女の運命』って本の中の、学者や芸術家として夫以上にすぐれていたかもしれない女性たちが、偉大な夫の陰に隠れて、悲惨に滅びて行くいくつもの例では、出産と子育てが、その悲劇の中で、かなり大きな役割を果たしていた。

大ざっぱに言うと、今では想像できないんだけど、この奥さんたち、皆、6人とか8人とか、すごい人数の子を産んでるんですよ。そして、その半数近くが、どうかすると幼くて死んでる。生きて成人した子がまた、精神を病んだりして、ものすごく母親を苦しめる存在になっている。

たまーに母親を助けたマルクスの娘たちは、これまた母の死後、成人して皆、悲惨な死に方をしてしまってる。どこをどう見ても救いがないというか。

もちろん個人差も例外もあるだろうけど、私自身もふくめて、学問研究だの芸術活動だのにはまる女性(男性も)って、子育ては得意分野ではないと思うのよね。それに、出産自体、体力を使うし、幼児が死ぬまでの世話も大変だし、とにかくそのエネルギーは想像もできないし、一方で自分の研究や創作への意欲や情熱や才能が、業火のように心をかりたてるなんて、もうどう考えても地獄でしかない。

こういう状況や問題を少しずつでものりこえて、長い時間の間に、せめては今のような状態にまでなったのだろうけど、そういう問題提起が部分的でもされたあとに、いつも「便所のブラシ」みたいな出産場面で、それがチャラにされてた時期も長かったのよね。

ところで、このところ、気軽に読める本がほしくて、山口恵以子の「食堂のおばちゃん」「婚活食堂」シリーズを読みまくってしまったのだけど、楽しげな読みやすい筆致の中に、確固とゆらがぬ、とてもきちんとした人生観があって、そこがたいへん安心できる。

そこには、伴侶となる優秀な女性の研究者を支えて行こうとする夫の存在も、特別ではなく等身大に描かれていて、『才女の運命』の女性たちが味わった地獄と比べると、何という変化かと、救われる。たとえ平凡でも、小粒でもいい、こういう生き方が重なって築かれて行けばいい。地獄に支えられた偉大な芸術も学問もいらん。「第三の男」風に言うなら、鳩時計だけで十分だ。

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カツジ猫